蛙の王

女性の愛を獲得する前の男性はほとんどカエルのようなものであるByプルート通信管理人 

グリム童話の蛙の王(別名”鉄のハインリヒ”)というお話です。
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 LE PRINCE GRENOUILLE Illustrated by Binette Schroeder 
 ある国に綺麗な姫がおりました。
 姫はお気に入りの金の鞠を持って森に行き、そこで一人で遊ぶのが好きでした。

 その日も姫は金の鞠を持って森に遊びに行きました。
 ところが大切なその鞠を泉(湧き水あるいは井戸)に落としてしまいます。

 鞠を失った姫が泉のほとりで泣いていると、泉の中から醜い蛙が出てきてこう言いました。
 「金の鞠を拾ってきてあげる。そのかわり私の望みを聴いて欲しい」
 姫はこれを承諾します

 蛙は泉の底深く潜って金の鞠を取ってきて姫に渡しました。
 ところが鞠を手にした姫は、蛙との約束を反故にして走ってお城へ帰ってしまいました。

 次の日。
 お城で王様と姫が晩餐を囲んでいると、家来がこう告げました。
 「扉の外にお姫様のお友達がいらして中に入れて欲しいと言っています」
  扉を開けてみると昨日、鞠を拾ってくれた蛙がそこにいました。 

  「昨日のお礼が欲しいのね。宝石でもガウンでも金の冠でも、欲しいものは何でもあげるわ」 
  と言う姫に対し蛙は

 「そんなものは欲しくない。昨日あなたは私を特別な友人として大切にしてくれるという約束をした。いつも側におき、あなたと同じグラスから飲み、同じ皿から食べ、同じベッドで眠る約束を」

 姫は、人間と蛙が愛し合って一緒に暮らすなんて出来るわけない、と思っていたので、昨日、蛙からその望みを聴いた時も、ばかばかしく思い、はなから相手にする気がなかったのです。

 ところがこれを聞いた王様は姫に厳しく言い放ちました。
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たとえ蛙でも、恩のある相手との約束は守らねばならない!

 蛙は姫の膝の上からテーブルに飛び移ると、姫の金のお皿からぴちゃぴちゃと下品な音を立ててスープを飲み、他の料理も姫のお皿から食べました。
 
 満腹になった蛙は今度は
 「お姫様のベッドで一緒に眠りたい」と言い出しました。
 姫は蛙を嫌々自分の部屋へ連れて行きますが、ついに怒り心頭に発し、蛙をつまみあげ、壁に思い切り叩きつけました。

 が、次の瞬間、姫が目にしたのは、潰れた蛙ではなく、美しい目をした優しそうな若者でした。
 
 実は蛙は、魔女に呪いをかけられて、蛙にされ泉に閉じ込められていたある国の王子でした。
 お姫さまに叩き潰されることだけが王子にかけられた魔女の呪いを解くただ一つの方法だったのです。

 姫は約束どおり彼を大切にし、二人はめでたく結ばれました。
 
 ★管理人による物語の解釈★いきます。
 
 叩き潰された蛙が王子さまに…!?
 いいえ、実は蛙は最初から人間の男性だったんです。

 思春期の頃の若い男性って、手足ばかりが伸び、筋肉もゴツゴツし始め、変声期で声は蛙みたいにヘン。
 おまけに汗臭くて、顔には吹き出物が出来たりするし、精神的にはモヤモヤするし…感受性の強い男子などは、もう、まるで自分が醜い怪物にでもなったみたいな気がしてしまいます(よね?)。
 
 そこに母親(おとぎ話の魔女というのはたいていは不幸な母親のことです)という存在がさらに追い討ちをかけてきます。

 不幸な母親は、幼く無垢な息子に対して
 「この世はロクでもないんだよ。信じられる他人などいないかもね。幸福なんて望むのはおこがましいよ」
 ということを、言葉というよりその生き方によって、長年にわたり吹き込み続けます。

 その毒気によって、彼はまるで呪いをかけられたように萎縮し、外界に出てゆくことが出来ずに、井戸の中(自分の内なる世界)に逃避したり、引きこもったりしたくなってしまうのです。

 彼は夢想します。
 もし、気高く綺麗なおねえさんが自分を受け入れてくれたら…時に優しく、時に厳しく叱責しつつも、心身ともにずっと寄り添ってくれるなら、 自分はまた新たな生を与えられる
 そうでなければ、一生この狭い井戸から出るまい…。
 そんな感じで絶望と希望の狭間を行きつ戻りつ月日を過ごします。

 そんなある日、まさに理想的な乙女が目の前に現われたわけです。
 彼はなりふりかまわず必死で求愛します。
 ずうずうしく感じられるのは彼が一か八かの大勝負に出たから。
 ふられたら恐ろしい孤独と虚無感が待ち受けているでしょう。
 でも、何もしなくても、どの道この暗い井戸から出てゆけそうにありません。

 一方、女の子は思春期頃からどんどん女性らしく綺麗になっていきます。

 特に親の庇護のもとで不自由なく育った美しい女の子というのは、自己矛盾やら自己嫌悪やら激しい情動などとは基本的に無縁で、自己愛を育んでゆきます。
 自分と自分の世界以外にあまり触れる機会もなく、他者に対する想像力が欠けていたりします。

 とはいえ、この自己愛が後に男性や子ども、あるいは世界へと注がれる愛情の元となるので、女の子の場合、これは健全な自己愛といえましょう。

 この時期の女の子からすれば男の子はほとんど蛙みたいなものかも知れません。
 食事はガツガツ食べているだけでマナーとかなっていないように見えるし、洗練もされていない。
 本能に突き動かされて生きている様子は野蛮にしか映らない(でも、このプリミティヴさは、男性的生命力の表れでもあるのですけどね。)

 でもって、ガラガラ(ゲコゲコ)声でなんか幼稚な事を言っているけど、まともに聞いちゃいらんないって感じ?
 蛙のくせに「親密になりたい」なんて、意味わかんない…とかなんとか。
 
 とはいえ女の子も、親に庇護された少女の世界からいつかは出て、誰かと一緒に自分自身の人生を創っていかねばなりません。いつまでも、穢れない世界の住人ではいられないのです(どうしてもイヤなら尼寺へどうぞ)。

 姫を、少女から大人の女性へと目覚めさせるきっかけになったのが、強い怒りという情動だったというのが、この物語の秀逸なところだと思います。
 
 汚れを知らない夢見る少女が、ある日、陥った危機的状況。
 彼女は初めて怒りのエネルギーを爆発させます。
 それは殺意をも孕む狂気の沙汰。
 蛙を叩き潰す行為は実は姫自身の殻を打ち破る行為でもあったのです。

 この通過儀礼がないと、魅力的な大人の女性への成長や強い母性の獲得はむつかしいのかも知れませんね。

 実際、幼稚な精神状態なままの女性、芯の弱い女性、隷属的で自分の意志がまるでない女性、自尊心の低い女性は、異性や子どもを愛し抜くとか守り抜くという強さがありません。

 一緒にいる相手をうんざりさせ、子どもに呪いをかけたりします。
 ひどい場合はDVの餌食になったり、子どもを放置・虐待などしてしまうケースにつながることも。

  さて、このショッキングなイニシエーションの後、彼女は初めて世界を、異性を、そして自身の女性性を直視できるようになります。

 そして、それは蛙の王子にとっても同じこと。
 お姫さまに、いじけて醜く引きこもっていたネガティヴな自分を、思い切り叩き潰してもらったお陰で、ようやく大人の男性としての新しい自分を獲得できたのです。
 ひ弱な姫では、魔女の強力な呪いは解くことが出来ないのです。

 父親である王様が、可愛いはずの娘に対して、やけに厳しいのも納得がいきます。
 実は王様もかつて若い頃、蛙のようにみじめな孤独を味わったのかも知れません(お妃さまがそれをぶちのめして救ってくれたのでしょうか…)。
 また、手塩にかけた可愛い娘だからこそ、スポイルせずに突き放すことが最終的には娘の幸福につながるという親心から出た厳しさだったのかも知れません。
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 この物語は別名「鉄のハインリヒ」ともいいます。
 最後のおちはこうです。
 
 若い二人が結ばれたよく朝。
 金色に輝く八頭立ての立派な馬車が二人を迎えに来ます。
 馬車にはハインリヒという王子の忠実なしもべが乗っていました。
 ハインリヒは、王子が蛙にされて井戸に沈んだ時、悲しみのあまり胸がはりさけてしまわないように、胸に3本の鉄の輪をきつくはめました。
 その輪が今や、幸せと嬉しさのあまりに膨らんだハインリヒの胸から大きな音を立てて弾け飛んだのでした。

 ハインリヒは王子の心の擬人化である。
 管理人的にはそう思います。

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愛を教えて-Rとの対話・№7

愛を教えて-Rとの対話・№6の続きです。

’08年1月 飯田橋駅界隈にて。
 少年Rと管理人が直接会って話した時の内容の一部を、出来るだけ忠実に(お互いが覚えている限り)再現しています。

――会うのは秋以来ですね。
 普段のメールでのやりとりは、いろいろと制限があるものね。今日は言いたいことは何でもどうぞ。

 はい。あの…何も言わないでとりあえず聞いて下さい。
え~と…貴女と関わってもう二年くらいになると思いますが、貴女に会って、僕は自分が分からなくなりました。

 もちろん、今までも良く知っていたわけではありません。
でも、分からないなりに、自分の性質や好み、性格は分かってるつもりでした。
しかし、それも貴女に壊されてしまったのです。

 「他人は自分を映す鏡」と良く表現されますが、僕は今まで、自分で持った鏡で、自分を映しているにすぎなかった。
 つまりは、自己満足に近い形で自分を定義していたんです。
 貴女は僕の「鏡」を砕き、「これが君の本当の姿だよ」と僕に鏡を向けて来たんですよ。
 正直言ってかなり迷惑でしたね(笑)。
 自分だけの領域だと思ってた所に、ズカズカ入って来られて…しかも 「僕」を破壊していく…。
 怖くてしょうがなかったです。
 自分が今まで築き上げてきた物を足下から崩された気分でしたよ。 

 会えば会う程、話せば話す程、僕は自分を失う感覚と共に、自分の中に今まで無かった物…自分に「変化」が起こり始めていることに気付いたんです。
 それも怖くて、僕は貴女を避けようとしました。

 でも…避ければ避ける程、気持ちは貴女との会話を求めていくんです。
 僕は「変化」を恐れながら「変化」を求めている。その証拠に貴女と話したいという気持ちはずっと強くなっていったんです。

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 僕は変化を受け入れることにしました。
 自分の変化した先が見たくなったのです。
この変化の行き着く先はまだよくわかりません。
 もしかしたらこの変化が貴女を傷つけるかもしれません。
それでも、僕は貴女と話せて今、嬉しいと感じています。
変化のきっかけを与えてくれた貴女に感謝しているんですよ。

――……しゃべってもいい?

 あっ、どうぞ。ああ、手の平がびしょびしょになっちゃった。

――おしぼりをもっともらいましょうね。
 率直に、一所懸命話してくれてありがとう。それにしても、私はそんなに怖いですか(笑)?

 今こうしていても怖いです。身体が小刻みに震えている。

――震えるほど怖いんですね…不快ですか?

 不快なんじゃありません。一緒にいたいんです。でも…震えてしまう。
貴女には全部見抜かれている気がするから。こんな経験、したことないから、どうしていいか分からない。

――私に全部見抜かれている気がしているのね。

.........................................................................................................

 僕が死んだら、貴女はどうしますか?

――そうねぇ…不慮の事故や病気ならしかたないけど、そうじゃなかったら、「なんで死んでいるんだ!」って怒りと失望を感じるでしょうね。
 
 死ぬって、ただの物体になってしまうことなのよね。
 動物の生態って、細胞レベルですごく活発に動いていて、考えられないような奇跡みたいなことが常に起こっているでしょ。身体も脳も。それが全部停止しちゃう。

 以前、本物の人間の全身の血管を樹脂加工したものを見た事ありますよ。
指の毛細血管の細かいところまで全部。すごいと思いました。あんなもの人間には絶対に造れない。

――「人体の不思議展」観ましたか?

 観ましたよ。僕あれ大好きなんです!

――あなたが死んだら私がどうするかって、何故知りたいと思ったの?

 それは…僕の甘えですよ。貴女が僕をどういう風に思ってくれているか知りたいという甘えです(笑)。

.......................................................................................................

 頭の良さには2種類あると思うんです。
 学校の勉強が出来て偏差値的に頭がいい人と、生きる知恵が豊富な頭のよさとがあると思うんですが、僕はどっちですかね?

――どっちか、ということよりも、私が感じるのは、あなたはとても観念的なんだね。

 観念的?

――「これはこういうものだ」というマニュアルを欲しがるのね。実際に対象とぶつかって感じたり、考えたりするんじゃなくて、頭の中だけで理解しようとする傾向があると感じますよ。

 僕はよく、「おまえは何でも考え過ぎるからよくない」って言われるんですけど。

――考え過ぎ…?うーん、むしろ思考が停止している印象があるけどなぁ。
 どんなことにも「こうすれば、こうなる」という答えがあると思っていて、その通りじゃないと「何故?何故?」って思うでしょ(笑)。
 何にでもすっきりした答えや結論があるわけじゃないのよ。
 出来ることは、対象とぶつかって、しっかり取り組むことくらい。勿論、逃げる、という選択もあるけど。
いずれにしろ、答えなんて、むしろ分からないままだったりすることの方が多いわよ。

 ぶつかって、取り組んで、エネルギーを注いでも、結局分からないんですか…。

――うん。 『分からない』ということが分かる。で、それを受け入れるの。
 大切なのは答えじゃなくて、取り組むことそのもの。それによって自分から、思いもよらない力や感覚が引き出されるんです。一人で頭の中だけでこね回しているだけでは体験できないようなことがね。

’08年2月。上野公園にて。

 僕、70歳過ぎの人に「お前は世の中のことが何も分かっていない」って言われたんですけど、じゃあ、その人には一体何が分かっているのか、と。

――うーん、少なくとも、70年以上の経験値はあるかな。
 例えば戦争を経験してらっしゃる。戦中、戦後の大変な生活も、軍国主義から一転、民主主義になってしまった世の中も。高度経済成長期も。あなたの知らない時代を知っている。

 昔を知っている人の方が、今の時代を生きている人間より偉いんですか?

――どちらが偉いというのではなくてね。昔の人は大変だった、という人は多いけれど、現代人だっていろいろ大変だものね。
 ただ、現在の社会というのは、唐突に存在しているんじゃなくて、長い歴史の流れがあって、ここに至るプロセスがあるでしょ。お年寄りというのは時代の生き証人なのよ。
 人間そのものは昔と今とで違っているとは思えないのよね。生きる環境や教育が違うだけで。自分の知らない過去を確かに生きていた人たち、そういう人の話は興味ない?

 でも、歴史が逆戻りすることはありえないと思います。

――そうねぇ……ただ、いつ何があるかはわからない。今の、たとえばこんなにハイテクに支えられた生活が明日もこのまま続いてゆくという、保障はないとは思うわよ。 

 でも…やっぱり人と人は完全には理解し合えないですよね。だって、その人の事情や苦しみや体験はあくまでその人のものであり、主観であって、僕にはどうすることも出来ない。
これって正論だと思うんですけど。

――…あなたは好きな異性がいますか?

 ……(うなずく)。

――その人が何かで苦しんでいる時に、あなたは
「でも、それはあくまで君の問題であって僕の問題じゃない。僕にはどうすることもできない。これって正論でしょ」
って言うのかしら?

 (しばらくテーブルに顔を伏せて考えてから)いや、好きな人に対してなら、こんな僕でも一所懸命どうにかしたいとは思いますよ。でも、僕は無力なんで…何もしてあげられないと思います。

――それでいいんですよ。
 人が辛い時にして欲しいのは、辛い状況にいるということを受けとめてもらいたい、ということじゃないかしら。
 欲しいのは解決策の提示ではなく、正論でもなく、受け止めてもらえているという感覚でしょう。
それがあると問題解決に立ち向かう勇気が出るものなのよ。
 あなたの言うように、その人の問題はその人がどうにかするしかないのは確かだからね。

 それって包容力ですよね。僕、ある人に「あなたは包容力がない」って言われました。

――じゃ、今後、包容力が育つといいですね。
 ここ(国立国際こども図書館)、どう思います?今から100年も前の建物だよ。
 今これだけのものを造るとなったら、どれ程のお金と手間がかかるのかしら。壁も床も手すりも外観も、当時の建築技術ってすごいわね。あと、子どものためにこういうものを維持して運営するという理念も。

 すごく素敵です。好きです、こういう昔の、よく分からないけど、なんとか様式?の建物。 近くに住んでいるのに、知らなかった…。

この後の話題は、ドストエフスキー、太宰治、漫画、お酒、タバコ、アヘン、マリファナ、食べ物、幼い頃のこと、海外、一人暮らし…等についてでした


愛を教えて-Rとの対話・№8に続きます。

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愛を教えて-Rとの対話・№6

愛を教えて-Rとの対話・№5の続きです


R これでも、僕は前より人を信頼しようと努力しています。
 無論、それは万人では無く少数の人ですがね。これは、貴女の影響ですよ?
少なからず、このお話は僕の思考を変え始めています。
自信を持っては言えませんが、 信頼してますよ。

――それは嬉しいですね。。

R 僕は人間不信と言うよりも自己不信ですね。
 他人を信じようとする自分の感情を疑う。
 正直今もまだそうですが、少しだけ余裕が出来たのかもしれません。

――年越しソバを作りながらメールを見ています。
『僕は人間不信と言うよりも自己不信ですね。他人を信じようとする自分の感情を疑う。』
そう思うのですね。
 そんな風に自分を客観視できるようになったのですね。

R あなたを信頼する努力をします。
えっと…今言わないと言うの忘れちゃいそうなので、今言わせて頂きます。
今年はありがとうございました。
今年は貴女に本当にお世話になりました。
本当に感謝しています。

――こちらこそ。
  あなたの魂は本当にひたむきで純粋なのですよ。

R 本当にそう思って頂けるなら僕も嬉しいです。
でも…ひたむきで純粋なのでしょうか。世界に嫌気がさす事があるのに。

_s1001m_2photo:Sozai Room.com


不意に思うのです。
全部壊したくなる。
全部捨てたくなる。
後に何があるなんて関係ない。
今この瞬間、僕の前から全てを消して
と思う時があるのです。

――それはどういう時なのですか?
 私はそれを知りたいのです。
 すべて消えた後、あなたは、一人でどうしているのでしょうか?
 それとも、あなたも消えるのですか

R 感情が溢れる時。
 愛であれ憎しみであれ他人に対する感情ですよね。
 表現する事は不可能だけれど、自らにためておく事が難しい時。
 自分を含めて消したくなります。貴女はどうですか?
 他人への感情が溢れる時、表現出来ないけれど、ためておくのが難しい時、どのようにしますか?
 それとも感情は溢れませんか?

――感情は溢れますよ。
 でですね、私は感情を「溜め」ておいて、反応しないでおくということができません。
 好意ならば、そのまま表現してしまいます。
 ただ、直裁的な表現ではないですよ。
 相手のことを知りたいとか、コミュニケーションを取りたいという思いを伝えるための手段を選んで表現します。
 で、相手が迷惑がったら、潔く引きます。
 憎しみというか、怒りも、それを与えた相手にストレートに表現しますよ。
 「どういうわけで、あなたが私を不快にさせたか」を論理的にきちんと説明します。
 理性が吹っ飛ぶくらい怒っていたら…そのまま表現してしまうかも知れませんね。

R 「怒り、憎しみ」ならそれも出来るでしょう。
 僕の知人にも「俺はこういう嫌な目に遭うべくして遭った」とやり過ごす人もいます。でも、「愛」は?
 本当に潔く引く事が出来るのでしょうか?

――「愛し合う」というのは、文字どおり、お互いの相手に感じる愛情が一致している状態ですよね。
 相手が嫌がっていたら、それを受け入れるしかないと感じますが。 「私は好きなんだから、あなたも私を好きになってくれなきゃいやだ」
 というのは、相手を愛しているのではなく、自分しか愛していないのでしょ。
 それとも、「愛の場合は引けない」とは別のことですか?

R 自分の中で芽生えた「愛」という感情を自分の任意で消す事は出来ますか?

――何故、消す必要があるのですか?

R それが「引く」という事ではないのですか?

――「引く」というのは、互いに愛し合うことが無理だと分かった時に、「愛し合う欲望を諦める」ということです。
 でも、相手に芽生えた愛それ自体を無理矢理消し去ることはないのではないかしら。
 愛されもしないのに愛するなんてみじめだ、と思いますか?
 でも本当にそうでしょうか?本物の「愛」とは、相手の存在を祝福することです。
 決してみじめな感情ではありません。
 
 R 「愛」とは、「祝福」ですか?
 相手が存在している事を喜ぶ事が「愛」ですか?
 相手に自分が出えた幸福が「愛」ですか?

――その通りです。ところで、ついに2年越しのメールになってしまいました(笑)。
 明けましておめでとう。
 2008年が明けまてしまいましたね。
 あなたの考えていた「愛というもの」を知りたかったのですが、
 新年を迎えたのでメールが届きにくくなっているかも知れません。
 ひとまず、この辺にしておきましょうか。
 
R 二年越しになってしまいましたね。すみません。
 こんなに長くするはずじゃなかったのですが…ごめんなさい。
 「愛」が出会いの「幸福」ならば、僕の貴女に対するこの感情はすでに「愛」ですね。
 
――愛はいろいろな形がありますよね。夫婦や恋人同士に限らず、親子愛や友愛や隣人愛、師弟愛。
 医者が患者を助けたいと思う感情。
 相手の苦しみを取り除いてやりたい感情。
 捨てられた仔猫の前を素通り出来ない感情。
 助け合って仕事をする仲間同士に芽生える連帯感や信頼感。
 勿論、物に対する愛も。
 相手を思うと、胸が温かくなったり、いじらしく思ったり、勇気づけられたり、懐かしさを感じたり……。
 そういうもの全部を「愛」だと私は認識しています。

愛を教えて―Rとの対話№7に続きます

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愛を教えて-Rとの対話・№5

 愛を教えて-Rとの対話・№4の続きです。

Photo_2photo:Sozai Room.com

R 貴女は「他者の愛や情や好意を拒否するのは、強いからではなく、それらを受け入れられないほど脆弱な自我しか持ち合わせていないから」とおっしゃいました。
ならば「許容力、包容力」が無ければ弱いのですか?「心の余裕」が無ければ脆いのですか?
 
――そう思います。それらは精神の弱い人間には持ち得ない力だからです。

 僕にユーリのそれと同じものを感じますか?

――いいえ。あなたはユーリに憧れ、共感したかもしれませんが、ユーリとは全く別の人種だと信じます。
じゃなきゃ、私とこんな話はしていないでしょう。

 僕を弱い人間だと思いますか?

――弱いとも強いともいえません。
 少なくともまだ何の罪も犯していません。
 なんといっても成長途上にある人です。まだ16歳です(たったの!)。
 自分の望む自己をいかようにも創造してゆけます。
 あなたには瑞々しい精神のキャパシティを広げて欲しいと望んでいます。

 そう…ですか。
 貴女とこうやってお話していて、僕の考え方は変わったのかもしれません。
 あるいは、まだ変わって無いのかもしれません。

 僕の考え方は僕自身がまだ精神的に幼いので、自分にとって、都合の良い様に理屈付けて、実は事実から目を背けているだけなのかもしれません。
 しかも本質を全然理解していない。
 他人に対してだって、「信頼していない」と言いながら他人に縛られて生きていて、自分の心の器から溢れてしまった物を否定しています。
本当は自分の器が小さすぎるのが原因なんですよね。
 僕は心の狭い人間ですね。
 自分に理解出来ない、分からない物を唯否定している。
 まるで駄々っ子みたいですね。

 貴女とお話して僕は、「自分の非」を、「自分の感情」を「自分の器の狭さ」を知りました。
 それで?僕はどうすればいいんでしょうか?
 自分の問題を解決する策は目の前にある。
  「他者を包容する力、許容する力」僕に足りない物はこれですよね?
 これを知った僕は何を変えれば良いのでしょう?
 どのように感情を表現すれば良いのでしょう?
 どうしたら他者の気持ちに応えられるのでしょう?

 本来これらは自分で探さなくてはいけない物なのは分かってます。
 だから、僕は貴女の親切心に甘えているのでしょう。
 答えたくないなら、構いません。

――よくここまでたどり着きましたね。
 よくまあ、こんなハードなやり取りに耐えたものです。
 あなたには自分自身と向き合う勇気が、知性がちゃんと備わっているではありませんか。
 やはりあなたの性根は歪んでいませんでした。すでにあなたは臆病者ではありません。

 『これを知った僕は何を変えれば良いのでしょう?
 どのように感情を表現すれば良いのでしょう?
 どうしたら他者の気持ちに応えられるのでしょう?』

 これらについては明日以降、一緒に考えていきましょう。
 私なりに援助します。

 『本来これらは自分で探さなくてはいけない物なのは分かってます。だから僕は貴女の親切心に甘えているのでしょう。』

 自分で探さなくてはならないとしても、他者に助けを求めるのは当然ですよ。
 
Rご迷惑ではないのですか?
僕は「他人様に迷惑だけはかけるな」といわれて育ちましたから。

 ――「他人様に迷惑をかけないように」
 これは親がよく子どもに言う言葉ですが、結構、罪つくりな言葉かも知れません。
 これを言う以上、「迷惑」と「世話になる」ことの違いを教えなくてはならないと思います。

 人は人の中でしか育つことができません。
 誰だって人を世話して、人に世話にならずには生きていかれません。
 子どもも大人も老人もです。まして、あなたのような若い人の世話をし、間違いを示唆し、面倒を見るのは大人 の務めです。
 だから人に世話になるのはいいのです。

 ただ、世話してくれた人には感謝して、さらに、いつか自分が大人になった時に、若い人に同じように愛情を返してゆけばそれでいいんではないでしょうか。
 人の世はそうやって廻ってきたのだと思うのですよ。


intermission

R こんばんは。夜分に申し訳ございません。
 今日やっと、合宿が終わり、一通りのやる事が終わったのでメールさせて頂きました。
 これからはまた、コンスタントに遅くとも一日以内に返信できると思います。
 そして、またお聞きしたい事があるのでメールさせて頂きました。

「誰かを信頼する事、愛する事。」
僕は今まで、自分が愛されたいから他人を愛すのだと思ってました。
それが全てだと思ってました。
でも、それが全てじゃないんですね。
「愛されたいから、愛す」のではなく「愛したいから、愛す」
このように自分本位の行動。
僕に出来るかどうかは別として、貴女はこの考え方で生きているのですね。

 僕は今までこういう考えを認めてませんでした。
 だから、今も他人へ抱いた想いが帰ってこない事を恐れているんですね。
 貴女は自分が信頼している人に、愛してる人に自分から何をしたいと想いますか?
 年末の忙しい時期に長い文章、本当にごめんなさい。
 返信は遅くて構いません。
 待っています。

――合宿お疲れ様でした。実りある合宿でしたか? 

 あなたのメールを読むと、よくここまでの境地に到達したものと感心いたします。
 『貴女は自分が信頼している人に、愛してる人に自分から何をしたいと想いますか?』

 例えば何かを美しいと思うとはどういうことでしょうか?
それは、そう思う人の内面に、美に対する感受性があればこそ、対象の美と感応しあって、美を美と感じることができます。
 美意識、美に対する感受性のない人はどんなに素晴らしいものを見ても何も感じません。

 愛もこれと同じで内面に愛のない人は対象に愛を感じることができないものです。
 ここまではあなたはもうお分かりですね。
 では「愛する」とは、「愛の実践」とはどういうことか?をあなたは求めているのですよね。

 『 僕に出来るかどうかは別として、貴女はこの考え方で生きているのですね。僕は今までこういう考えを認めてませんでした。だから、今も他人へ抱いた想いが返ってこない事を恐れているんですね。』

 他人を愛するにはまず、自分の中に愛が満ちる必要があります。
 ぬいぐるみを思い浮かべて下さい。
 ぬいぐるみというのは癒しのグッズです。
 ふっくらとしたぬいぐるみは思わず抱きしめたくなります。
 ところが、愛のない人というのは、ぬいぐるみの中のパンヤが少ないか、入っていないようなもので、シワシワのぬいぐるみです。
 いくら立派な布地で豪華な飾りが付いていようとも、想像するだにみじめな感じがしますね。
 
 このパンヤ(愛)は誰かが入れてやらねばなりません。
 子どもに対しては、親を含むまわりの人間たちがそれをし続けなければ、愛のなんたるかが分からなくて当然なのです。
 パンヤ(愛)が満ちてパンパンになれば自然に人を愛することが出来るようになります。

 「愛の実践」は、マニュアルでするものではないからですよ。

 愛を教えて-Rとの対話・№6に続きます。

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愛を教えて-Rとの対話・№4

愛を教えて-Rとの対話・№3の続きです。

Photo_2

――昨夜はメールが中途半端になっちゃいましたね。
続けたい気持ちに体力がなかなか追いつきません。
いつかあなたに言ったことがあると思いますが、今の精神状態で、若い頃の体力があれば……と思うのはこんな時ですねぇ。

 さて、私が感じた「私たちの精神の共通性」は、
・ものごとを突き詰められないではいられない業のようなもの。
・文学や思想、世の中の出来事、自分の身に起こったことを言語化しようとする性。
・人嫌いではありませんが、俗っぽさばかりの中では閉塞しそうになってしまうところ。
・精神的な高み、例えば、遥かに輝く星のようなものを目指していきたいといった願望……
 他にもあるかも知れませんが、とりあえず、思い浮かんだものを挙げてみました。
 ここで、一旦、メールを止めます。テストが終わったらまた送信しますね。

あの……僕、テストなんてほとんど気にしていないんで、出来ればればこのまま続けて頂けませんか?

intermission

 返信、遅くなって申し訳ないです。
 そして、自分勝手ですが「期末テスト」が思った以上に危なかったので、一端メールを止めさせて頂けませんか?
 本当にごめんなさい。自分の学力を過信してた罰ですね。
 でも、必ず返しますから。
 まだメールを切りたくないのです。宜しいでしょうか?

――勿論ですよ。今はテスト勉強に集中なさい。
 真剣なやりとりは、勉強の気晴らしというにはエネルギーを使い過ぎます。
  いくらあなたの成績がいいとはいえ、テスト中にこんなことをしていていいのかと、とても心配でした。
 いつでも再開しますから安心してね。
 


 テスト終わりました!
 『精神的な高み、例えば、遥かに輝く星のようなものを目指していきたいと思う願望』
 僕は「高み」に行きたいの かは分かりません。
 唯知りたがりなだけでそんな大層な事じゃないと思いますが?

――あらら?これはあなたが私に言ったことですよ。
 いつか食事に向かう途中、路上で二人で、三人目を待っていた時に。
 「もっと洗練されたい。精神的な高みに近づきたいんです」って言いませんでしたっけ?

そうでしたね。ごめんなさい。僕の言動は矛盾していますよね。


ー―謝らなくていいですよ(笑)。
   その時、あなたはトーマの心臓(萩尾望都作の、少女漫画の最高峰の一つ。ドイツの寄宿学校を舞台にくり広げられる、多感な少年たちの物語。テーマは、愛と贖罪)を読んだ直後だったので、その影響から、そんな言葉が出たのかもね。

 自分の考えは常に変わります。大方の人間は皆、矛盾しているものですよ。
 私もこの年になっても、それまでの考え方がひっくり返る瞬間を、何度も経験しています。
 まして若い時は、朝と晩で変わっていました。

R こんな僕と話しているのは嫌じゃないんですか?

――あなたは、事あるごとに
「こんな僕はイヤじゃないですか?本当ですか?でも、もうそろそろイヤになりませんか?」
と、言いますね。
 まるでこちらの忍耐を試されているような印象を受けるのですが。

 僕自身にそんな気は全くないのです。
 唯、貴女もおっしゃった様に僕と性格が正反対に近い貴女は、僕と話していて苛々するんじゃないか?と心配しちゃうんです。
 だって、わざわざ僕のために時間を割いてメールして頂いてるのに、たとえ僕が故意じゃないとしても、貴女を不快にさせたらそれはとても失礼な事だと思うのです。

ー―そんな風に思ってくれていたのですね。
 私はあなたにイライラしたりはしませんよ。
 失礼だなどと感じたこともありません。
 むしろ、私の質問にきちんとメールを返してくる律儀さは驚きに値します。

 ただ、あなたの無防備さがなぁ……私じゃなくて、他人に対しての無防備さが……例えば、発する言葉に相手に対する怒りがこもってしまうあたりが、気にかかるというか、心配なのです。
 これは自分の湧き上がった感情を、自分のなかで、一旦咀嚼、あるいは咀嚼しないまでも、思いとどまるという行為があればいいと思うのですが。

 僕は貴女みたいにはなれませんよ。自分の存在も確立出来ていませんから…

――あなたは私ではないので、私のようになるのではなく、自分自身になるのです。
いつか電話で
「改心する前のユリスモールには共感するが、改心した後の彼は好きじゃない」
と言いましたね。それはどうしてですか?

 傷を負った後の彼は、他人に優しさを求めなくなり、異常なまでに感情を抑えて、まるで感情が無い様に振る舞ってました。彼の対人の立ち振る舞いは、僕の「理想」に通じる物があったのです。

――では、あなたも、サイフリートのような人物との出会い、あるいは身体にBrand(烙印)を受けることを望みますか?

 でも、僕はユーリと同じように傷を負いたいとは思えません。負っても僕は彼の様に振る舞えないからです。
「改心する前のユーリ」の生き方が僕には「強く」見えました。彼はサイフリートに会い、背中に消えない傷を負いましたよね?
 傷を負った後の彼は他人に優しさを求めなくなり、異常なまでに感情を抑えて、まるで感情が無い様に振る舞ってました。
 彼の対人の立ち振る舞いは僕の「理想」に通じる物があったのです。だからだと思います。勿論、貴女は間違っているとお思いになると思います。

――そうですね。
 あなたを傷つけるかも知れませんが、やはり、あなたは「強さ」というものをはき違えていると思わざるをえません。
 例えばヤクザの下っ端のチンピラが、強さを装って肩を怒らせ、周囲を威圧して闊歩し、コワモテ風の表情やファッションに身を包むということをしますが、私に言わせれば、ユーリの振る舞いもチンピラと変わりません。
 演じているモノが違うだけで、世の中や人間の情、何よりも自分自身の自然というものをナメきった思想は一緒です。
 それは卑怯な者が、強さを勘違いして演じるパフォーマンスです。
 しかもユーリ自身はうまく演じている(周囲をすっかりだましきっている)つもりが、実はトーマもオスカーもバッカスもお見通しでした。
 エーリクなどは直感でユーリの欺瞞を見抜いてしまいます。
 ユーリは完璧主義者ですが、じつは完璧主義な人というのは完璧からは程遠く、返って自己の不完全さやほころびを過度に露出してしまうからです。
 「完璧主義」とは、「完璧」というありえないものを追求しすぎた人が陥る病ではないかしら。

 『傷を負った後の彼は他人に優しさを求めなくなり、異常なまでに感情を抑えて、まるで感情が無い様に振る舞 ってました。
 彼の対人の立ち振る舞いは僕の「理想」に通じる物があったのです』

 他者の愛や、情や、好意を拒否するのは、強いからではなく、それらを受け入れられないほど脆弱な自我しか持ち合わせていないから。
 ユーリは脆弱な自我をかかえ、自らを孤立に追い込みつつ、実は
「自分の何もかもを引き受けて現状を打開してくれる強い他者」
を渇望していました。
 ユーリが跪く(精神的に)相手がトーマだったなら、普通の人間として救われた筈ですが、ユーリはトーマの真っ直ぐで純度の高い愛情を受け入れることができませんでした。
 ピカピカの優等生でなければならないと思い込んでいたユーリは、自らのシャドウ(暗いネガティヴな部分)を過度に押し殺していたので、どうしようもなくサイフリート(悪魔)に、ひかれました。
 そして、心身ともにズタズタにされたのですね。

  その後、まあ、いろいろあって、ユーリは正気を取り戻しますが、ユーリが本当に繋がるはずであったトーマは、すでに、この世のものではなく、故にユーリは一生を、トーマ(神)への愛に捧げるべく、修道の道へ向かったのです。
以上が私の「ユリスモール」の解釈です。

 ユーリはおそらく、傷をつけられる前は自身の「自然」も他人の「情」も認めていたのでしょう。
 しかし、「傷」を受ける事で彼は変わった。
 彼は自分を律し、何事にも興味がない様に振る舞った。
 僕が思うにユーリは傷を負ってからも感情を表現したかったのだと思います。
 しかし、トーマを裏切り、サイフリートに向かったという事実が彼を締め付けているのです。
 つまり、彼にとってサイフリートに向かった事が罪で、その罰として、自分の感情を面に出さない様にしていると思います。
 罰の意識から、必死で自分を押さえ付けている人を、ヤクザのそれと同じだとは思えません。

――そもそもユーリが世の中をナメていたのは、サイフリートとの一件が発端なのではありません。
 オスカーが転入してきた当初から、彼は、臆面もなく
 「自分のソンになることはしないんだ。自己嫌悪にかかりたくないから。後悔や反省も嫌いだ」
と言うような子どもでした。
 ハメを外さず、やることすべてが考えつくされ、計算しつくされた子。
 たいした優等生哲学ですが、私自身の好みからいうと、こういうお子サマはあまり好きではありません。
 ただ、それは彼のコンプレックスに根ざした振る舞いであり、環境から獲得した感覚で、このあたりまでは、幼いながらも良く頑張っていました。

 ときにユーリのコンプレックスはファザーコンプレックスです。
彼の父親はドイツ国の基となった六つの種族にはいないギリシャ系ドイツ人。
 コンサバな人たちからは異端視される人種です。
 しかもユーリのおばあ様いわく、
 「事業に失敗し、山ほど借金を抱えて死んでしまったバカ」。
 そんな父の汚名を晴らすためと、現実にある借金を返し、自分に冷たい祖母、ひいては自分を差別的な目で見るドイツ民族を見返すために、自分はどうしても成功するしかない、と思いつめていたのです。
そして、「ひとりで虚勢をはって、自分の理想であるところの完全な人間を目指していた」わけですね。
 ユーリは、いじらしいほど健気な頑張りやだったのです。
ただ、そういう人間にありがちですが、自分が同世代の友達すべてより優位に立っていたつもりだったと思います。でなきゃ、やっていられませんよ。実際。
 友情や同情、好意といった、友人たちが彼に寄せる、血の通った人間の情といったものはユーリにとって邪魔くさい余計なものだったでしょう。

 私が思うに、ユーリの罪は、トーマではなくサイフリートに向かったことそれ自体というよりは、サイフリートに烙印を押されたことによって「自分はもうダメだ」と思ってしまったことです。
 後悔している自分自身を、ユーリを救おうと手を差し伸べているトーマを受け入れられなかったことです。
 本気で罪を悔い改めたいと望むなら、今度こそ、自分で自分を縛り付けるといった愚考をやめて、自己開示しなければなりませんでした。
 人間が罪を犯してしまう場合、ある意味しかたのないケースがあると私は思っています。
 ただ自分の罪に気付いた後にどういう行動をとるかで、その人の真価が問われます。
 ユーリの場合、罪の意識におぼれているだけで、すべてを拒絶し「死んだも同然」になっていたことがサイフリートに向かったことよりも罪深かったと感じます。そこに留まっていた限りにおいてユーリはヤクザな人間になってしまっていました。


愛を教えて-Rとの対話・№5に続きます。

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愛を教えて-Rとの対話・№3

愛を教えて-Rとの対話・№2の続きです。

2_4

 いいですよ。全然構わないです。いや、素晴らしい持論だと思いますよ。僕も「死」の先は「無」だと思います。残るとしても、人の記憶の中だけでしょう。
――ご賛同ありがとう。でもってですね、私はプライベートにおいては、あまり好きではない人や興味を持てない人に、時間やエネルギーを注ぎたくありません。
 なるべく多くの人と広く軽く関わる、ということも、苦手です。
 
でも、その事を知った上でも、行動出来ない人は居るんじゃないですか?

――たしかにいるでしょうね。おせっかいながら、行動できない理由の一つに、「荷物を持ちすぎているから」というのがありそうです。
 つまり、あれもこれも手放したくない。その実、どれもこれもどうでもいいように思える。で、身動きがとれない。自分の立場も混乱してしまう。そういう経験はありませんか?

 僕多分、このタイプですよ。僕は今まで「八方美人」って良く言われてましたから

――変える気はありませんか?

R 変えたら何が変わるんですか?

――できれば受けたくない「痛み」が、「喜び」や「楽しみ」よりも、より生きてる実感
を与えてくれる、などということはくなるでしょう。

R じゃあ、溢れている僕の中の何を捨てればいいんでしょうか?

―― ここで重要な鍵になるのが、あなたの不得意な「自分の感覚」です。
これがないと、あるいは鈍っていると取捨選択は到底出来ません。
 溢れているものの中から「大事なもの」と「どうでもいいもの」に仕分けするために、まず、自然に湧き上がる自分の感情に蓋をしたり押し殺したりせず、それを受け入れてみてはどうでしょう。
外に出すのではありませんよ。
もちろんいい感情も、悪い感情も。

R 不躾ですみません。貴女は僕にどうなって欲しいんですか?僕をどうしたいんですか?
思い上がりだったらすみません。

――幸せになって欲しいんです。「僕は別に不幸じゃないですよ」とか言われそうですが。
 手首を切って生きていることを実感している子が目の前にいて、それを知ってしまった以上、放っておくことができないのです。
「やりたい人間にはやらせておけばいい。本人の勝手である」
という対応は、年配者にならともかく、若い人に対しては私はしたくありません。まぁ、この答えはいずれまた。
あなたが、なまけもので、頭の悪い子なら放っておくのですがね。

そうなんですか……。

――自分の立ち位置が分からなくなった」例の「無 論、これ以外にもあるんですけど…」を、よければ教えて下さるかしら。

 そうですね…やっぱり、「無視」って事が関係しますね。自分が誰も信用して無いと肌で感じた時、自分から人を無視した時、「自分はこの人達とは仲良くなれない」と思った時に、「じゃあ、逆にこの人達とは違う自分は何なんだろう?
 自分はあの人達と同じ場所に立ってない」と感じる事もあります。
……やっぱり、説明が下手ですみません。

――「この人達とは違う自分は何なんだろう?自分はあの人達と同じ場所に立ってない」
この感じが、あなたにとって、自分の立場が分からなくなって自傷行為に走る程しんどいのですね?
 私も、そういう感覚は、実は幼稚園くらいの時から感じていたましたよ。つまり、他の皆が楽しいとする集団の遊びなどがさして楽しくない。一人で絵でも描いてる方が余程いい。
 子どもって野蛮でバカだ。自分も野蛮でバカなのに(笑)。
 アニメやテレビの話も、皆が夢中になるほど楽しくない。
空想をめぐらすとか、好きな本でも読むとか大人と話している方がいいとかね。でも、そういうこととは違うんでしょうね、きっと。

 いや、僕もそうですよ。大人の人と話す方が楽しいし、皆でワイワイやるのは嫌いじゃないんですが、苦手というか、めんどうくさいというか…周りの子(特に一部の女子)にはもう、呆れています。  
 つまらない事で集まって…僕には唯の「馴れ合い」にしか思えません。
 周りの子が悪い意味で、子供に見えます。

――それは大人でも変わりませんよ。
 ま、ただ本人たちが好きでしていることに対して何の文句もありませんが、自分が関わらなくてはならない場合は困りものです。
 かつて、ある会議というか寄り合いの、あまりの馬鹿馬鹿しさにテーブルを引っくり返したくなるくらいウンザリしたことがあります。
 そこでは誰も問題の解決など目指していない、退屈しのぎにただ、他人を招集し、誰かの噂や悪口を言って馴れ合っている。以来、そういうものには一切出席していません。
 過激な危険人物です(笑)。
 つまり、あなたの場合は周囲への怒りの矛先が、他人ではなく、自分自身に向かう、というのが私との違いなのでしょうか?

 どうなんでしょう…。そうなのかもしれません…。
 周りにも怒りは有るのですが、輪に入れない自分にも憤りを無意識に感じているのかも知れません…

――「輪に入れなくても構わない。むしろこっちからお断り」とはならないんでしょうね。

 高校に入ってからは輪に入れなくて、憤りを感じる事は少なくなりました。
 多分、先生や話が分かる同級生、保護者と話す方がずっと、知的で面白い、という事に気付いたからだと思います。
 でも、やっぱり会話の様子を遠くから見ていると少し感じる事はあります。

――この先、大学、社会と進むにつれてあなたのレベルに合った人たちの割合はもっと多くなるかもしれませんね。
 まぁ、人間には孤になれる時間が必要ですが、「集団の中の孤独」というものには、なかなか慣れないですよね……ところで、自傷行為はすでに過去のことですか?

 それは、分かりません…。確かに「居場所」の事で最近は自傷行為はしていません。でもまた、自分がそういう事で自傷行為を行うかもしれません。
それに実は、自傷行為は「居場所」の事以外でもした事が無い訳じゃないのです。

――そうなんですね。あなたとのメールを読み返して感じたことがあります。
 どうも、あなたの言葉の認識の仕方に、微妙な問題がありそうな気がするのです。責めているのではありませんよ。
 私はこのやり取りにおいて決して、あなたを責めたりしません。どうか、誤解しないでね。
例えば、
・他人を信じる→他人の言うことを鵜呑みにする
・自分の感情をむりやり押さえつけない→感情のままに言動を表現する
・自分の感覚に責任を持つ→自分の身の上に起こったことはすべて責任を取らねばならない
いかがでしょうか?

今、挙げて頂いた例は確かに自分に当てはまりますが…僕の、その認識は間違っていますか?間違っているならどのように間違っていますか?

――「他人の言うことを鵜呑みにする」「感情のままに言動を表現する」「自分の身の上に起こったことはすべて責任を取らねばならない」これらを実践していたら人生はドツボにはまりまくってしまいます。
説明は…おいおいしていきましょうね。急がずにね。
あとはですねぇ……「謙虚」と「偽善」も混同している印象があります。

 僕は自分の事を「謙虚」か「偽善者」かと言われたら「偽善者」だと思いますよ。
というより、人は皆偽善者じゃないでしょうか。

――例えば?

 先に断っておきますが、これは僕の見解です。 かなりの偏った見方でありますが、それを押しつけてる訳ではありません。
僕から見れば、「他人のため」と言う人は、後の自分のために計算してやってる人にしか思えません。
だから、正直「ボランティア」や「募金」等をやってる人は、「誰かを助けたい」という表面の下に、社会的な見返り(賞賛や賛美)が欲しい」 という「欲求」が見える気がします。

――たしかにそういう人はいますね。
 でも、「人は皆、偽善者」と言い切ってしまうのはよくありませんよ。
 そうじゃない人もいますからね。もっと緻密に考えましょう。
 他者に愛情を注いだり、奉仕することで得られる喜びは生きがいになり得るのです。
 純粋にそれを目指す人もちゃんといます。
 そうか、そうでないかを見分けるのはわりと簡単ですよ。
 偽者は「善意」を他人に押し付け、自分がいかに世のため人のために頑張っているか、好かれているか、重要だと思われているかを、聞かれてもいないのにアナウンスしたがります。
 あとは「べき」とか「ねばならない」とかいう言葉を多用しますねぇ。
それから、あなたは「個性的」という言葉も誤解しているでしょ。
 あなたは、相当に、めずらしいくらい個性的な人です。

僕が個性的…どういう所がですか?

――物事の考え方というか思考回路、それらの表現のしかた、発声の仕方、しぐさ、他者のアクションへの反応。例えば、私があなたを含めた数人の子を食事に誘ったことがありましたね。その時の反応などなど、どれをとってもあなた独特のもので、他の誰にも似ていません。

「個性的」な事は「似てない」事ですか?

――「個性」とは、その人にしかない独自性といいますか、固有な特徴のことです。
 まぁ、それを言ってしまえば誰だって個性的なわけですが、私の経験からいうと、人の反応はたいてい、いくつかのパターンにカテゴライズされることが多いようです。
 ところが、あなたは、非常に独特です。つまりとても個性的ですよ。

 そう言ってもらえると嬉しい限りです。僕にとって個性的な人とは明確に「我」を主張出来る人でしたから。 だから、自分は個性的じゃない思ってました。

――「個性」はどちらかというと「主張」とは無縁なものではないかしら。
 なるべくしてそうなっている、あるいは、ただ、そうであるものだからです。
 借り物の、観念的な「我」をうるさいくらい主張する人、例えばよき母や妻、夫、善良な市民を自認している人たちの中に多いのですが、彼らは驚くほど似通っているものです。

R 人と形態面ではなく「精神面」で似ている事は、悪い事だと思いますか?

――いいえ。私は精神性に共通点がない人とは、なかなか深くは付き合えないのです。
 しかし、だからといって私と共通の精神性がない人を否定したりはしませんよ。

 では、お聞きします。貴女は僕と「精神の共通性」を感じましたか?

――とても感じますよ。

 どの様な所にですか?

愛を教えて-Rとの対話・№4に続きます。

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愛を教えて-Rとの対話・№2

愛を教えて-Rとの対話№1の続きです

 相手の思惑は怖くないのですか?

――怖いのは、他人の思惑ではなく、抑圧し続けた自分自身の自然から、ある日、復讐されることではないかしら?

Rそれは、自分が関わりたくない人と関わり続けた結果、ある日突然フラストレーションの限界を超えるという事ですか?

――そういうこともふくまれるでしょうね。例えば、リストカットなどの自傷行為をする子。彼らはどうやら、自傷行為をしている時だけ「生きている」感じがして、普段は生きている感覚を持てないらしいのです。普通にしているだけでは生きている実感がない。それ程までになるには余程、自分の自然な感情を押し殺してきてしまったのではないでしょうか。あるいは誰かに押し殺させられているのです。

 実を言うと…僕も…リストカット経験者です。僕がリストカットしたのは自分の立ち位置が分からなくなったからです。
自分の存在を確かめたくて、確かにここにいると思いたくて手首を切りました。

――そうだったのですね。

「痛み」はできる限りなら…受けたくないものです。 でも、「痛み」は僕にとって「喜び」や「楽しみ」よりも、より生きてる実感を与えてくれるのです。

――そういうことなのですね。リストカットは生きることを実感したいからする。死にたいわけではないのですね?

Rはい。死にたいのではありません。

――わかりました。ところで「自分の立ち位置が分からなくなった」と感じたことについてもう少し詳しく教えてくれませんか?

 うーん…何と言えば言いのか…。ある意味、立ち位置が分からないという事は「無視される」に近いと思います。
 例えば、三、四人の集団で話し合いをしていたとします。その中で自分も話し合いのメンバーなのに、話し合いは自分の存在を無視して、まるで始めからいなかった様に振る舞われる。
そんな時に不意に「自分はどこにいるのだろう?」と思う時があるのです。
無論、これ以外にもあるんですけど…うーん説明が下手ですみません。

――他人にどう思われているか気になってしょうがない、あるいは、嫌いな人からも嫌われたくないあなたにとって、これは辛いでしょうね。
つまり、あなたの存在が、他人の目の中にしか存在しないと感じられるならば。そう感じますか?

そう…なのかもしれません。他人は自分を感じるためにいる…のかもしれません
  
――あなたは他人本意で生きているのではないでしょうか。
世の中には、他人本位で生きている人と、自分本位で生きている人がいます。
 自分本位というと、自己中心な、わがままな、自分勝手なという意味に取られるかもしれませんが、そういうわけではありません。
 「自分の感覚に責任を持つ」という意味なのです。他者の反応は受け入れはしますが、それに振り回されたりはしない。よって、自分本位の人は、他人がどうであろうと、世の中で何が起きようとと、それはともかくとして、自分は自分である、と思えるのです。

 一方、他人本位というのは、「他人任せ」という意味です。自分が他人次第で、周りの状況次第で、いかようにも変わってしまう可能性があるので、非常に不安定な心もとない立場だと思います。どうでしょうか?

 そうです。自分には多分「個性」というものが無いのでしょう。
それに、「自分に責任を持つ」そんな事が出来る程、僕は強くありませんでした。僕はこんな人間です。自分が無いのかもしれません。話しいて嫌になりませんか?特に貴女の様に自分に責任が持てる人は、こういう人間を嫌うのではないですか?

――うーん。あなたは非常に個性的だと思いますけれどね。
「自分の感覚に責任を持つ」ということが、そんなにも難しいというか、何か特別な強さを必要とするのかな。
まあ、それはともかく、先日、あなたが私の頼んだ原稿を書き上げてきてくれましたよね。その時の嬉しさを今でも覚えていますが、あなたは他人に頼まれたことに対して、きちんと誠実な対応ができる人です。いとおしいと思いこそすれ、嫌うなどということはありません。

 僕にそんな感情を持っても良い事なんか無いですよ。

――私はあなたに何らかの見返りを求めているわけではありませんし、何か「良い事」を期待しているのでもありません。「可愛い」とか「いとおしい」という気持ちは、それを感じていることそれ自体が、私にとって幸せなことなのです。

Rそう……なんですか……。

――あなたは、他人から、「好き」、「愛しい」、「可愛い」と言われることは苦痛ですか?あるいは、苦痛ではないにしろ、「だから何?」といった感覚を覚えますか?


R だから何?と思う事はあります。愛し方も愛され方も分かりません。愛は重いと思います。相手の思いに対しては、断るとしても義を尽くすべきだとは思いますけど。


――あなたとのやりとりで、私が感じたあなたの思想―他人は信じるな。他人など愛してもどうせ裏切られるだけだ。この世の中に自分の居場所などない。人生は苦痛だ-―
これらをあなたに吹き込んだのは誰ですか?それとも、あなたが全くの自分自身のみで獲得したものですか?

R えーと…まず、人生は苦痛じゃないです。そこまで悪いものとも思ってません。
唯、別に何時この人生が終わっても構いません。僕は何時、死んでもいいのです。
勿論、「何時も後悔が無い様に生きて来たから、何時死んでも構わない。」なんて、前向きなものじゃないです。
僕が居なくても、世界も、学校も、人も、回っていくんですよ。変わらないんですよ。
それは、僕に代わりなんていくらもいるでしょう?
こういう考え方は…強いて言うなら「環境」から学びました。だって、誰が何と言おうとこれは感じられる「真理」の一つですよね?
「感情」に関して言えば、僕自身の経験や僕の性格から、こんなにねじ曲がった物になってしまいましたよ。

――ということは、裏を返せば、あなたは世の中や、世の人々にとって、特別なかけがえのない存在でなければ、ここに居る理由というか、生きる価値が見出せないと、言っているように聞こえるのですが、この解釈は違っていますか?

そういう訳ではありません。自分が特別じゃ無くてはいけないなんて思った事は無いです。「居ても居なくても同じ」って事です。

――それをいうなら、別にあなたじゃなくても、ローマ法皇だろうが、一国の首相だろうが、マザーテレサだろう
が、誰であろうと彼らが死んでも、世界も、学校も、人も、相変わらずなんの支障もなく回っています。その意味では、確かに「居ても居なくても同じ」。だから?この後に続く言葉は?

 うーん。勘弁して下さい。もう、僕なんて居なくてもいいではありませんか(笑)!

――(笑)では、あなたの人との理想的な関係はどんな感じですか?

R 円を思い描いて下さい。
円の中心に僕がいます。
円の中が僕の領域です円を構成する線が僕と外の境界線です。
僕の理想は「この線から僕は外に出ない。だから、あなた達もこの線より内に入って来るな。」つまり、線を引きたかったんですよ

――円の線を乗り越えようとする人がいたら、どうします?

R 何もしません。というよりできません。

――私は乗り越えまくりですが、これはいいのですか?

Rあくまで理想ですから。人生は思い通りにはいきません。

――人は、たとえどんなに優れて世に貢献していようとも、目を見張るほど美しくても、例えばナイフの一突きで、あっけなく、それこそ死ぬ時は、人もミジンコも全く同じように逝ってしまいますよね。
その後はただの骸です。

私は、死んだ後には、霊魂も前世も後世もへったくれもないと思っています。
あったとしても、そんなものはどうでもよろしい。
私にとって人生とは、たかだか何十年の今生しかないのです。
「今は冴えなくても、来世はイケている人生を」だの「天国では幸せになれる」
という思想は否定はしませんが、私にはなじみません。

とにかく、死んだらこの私は完全に無に帰するのです。それは、いつかわかりません。
「あと10年です」などと分かるのであれば計画の立てようもありますが、明日かも知れません。
ま、いずれにしろ、あなたも私もあと100年もしないうちに完全にこの世から姿を消しています。
誰も覚えてすらいないかも知れません。
そう思うと、自分を含め、回りの人間が、今、生きていてお互いにかかわっているということが、奇跡としか思えないのです。

人間が生きているうちに出来る、一番シンプルでしかも尊いものは、愛情や友情のやりとりであろうと思います。
これが私の持論ですが、反論その他、何でもどうぞ。

愛を教えて・Rとの対話―№3に続きます。

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愛を教えて-Rとの対話・№1

’06年の秋に出会った15歳の少年R。

 優秀な成績、熱心な課外活動、丁寧な言葉使いと、一見典型的な優等生風のRは、一方で、身のうちに飼っている獣を厚いカラで押さえつけつつ、その獣が出口を求めて暴れることに翻弄されているような印象の少年でした。
 イノセンスと俗気、拒絶と渇望、攻撃と防御……相反する要素をモザイクのようにはめ込んだような捕らえどころのない性質。

 「愛を教えて」は’07年の秋から続いた、Rとプルート通信管理人との間でやり取りされた内容を記したものです。

R 正直言って、愛ってよく分かりません。「愛」や「好意」は自分からは最も遠い感情なので。仮に誰かから「愛している」と言われても、「それが何?」って思います。

――あなたは誰かを好きになったことはないのですか?

R……僕などに好かれたら、その相手は迷惑だろうと思うので、表に出しません。
 例えば、僕は大人と話すのが好きなんですが、それは相手の経験や知恵の量に惹かれるからであって、その人の人格そのものに惹かれているわけじゃない。
 僕の知識欲を満たしてくれたり、何かを授けてくれる相手なら誰でもいいんです。

――相手が人というよりは、知識や経験に見えると?

R しかも、人間に上も下もないはずなのに、相手の考えに優劣をつけてしまう。一方、自分が他人にどう映っているか気になってしかたがないんです。だから対人関係は疲れます。

――相手にどう映っているかばかり気にしていたらそれは疲れるでしょうね。

R そんなこと気にしないで、自分の思うままに振舞える人は楽だと思います。これは皮肉じゃないですよ。心底そう思う。でも、できない。

――あなたの望みは何でしょうか?

R 感情をなくしたい。

――感情がなくて生きていかれますか?

R 僕は生きていけます。それじゃ、生きる意味がないじゃないか、といわれたら別に命を捨ててもかまわない。「死」も感情を捨てる手段の一つだと思います。

――なぜ、そうまでして感情をなくしたいのでしょう?

R 僕が一番怖くて嫌いなものは「精神的な痛み」です。「傷つく事」とも言えます。
 人に嫌われたり悪口を言われた時の嫌な気分。僕の心というか感情はそういう痛みに対して過敏です。自分が嫌いな人からも嫌われたくない。
 要するに僕は臆病者なんです。
 そういうことから逃れるために僕は「痛み」の元の自分の感情を憎むのです。感情なんかなければいいのに。嬉しいと感じるよりも悲しいと感じない方がいいんです。

――嫌いな人からも嫌われたくない。そして嬉しいと感じるより悲しいと感じない方がいいのですね。
 その先に何があるのでしょうか?とても無理なことにエネルギーを使っていると感じますが。

R 無理な事……ですか?あなたもやはり感情が絶対だとお思いですか?理性は感情に逆らえないと?

――いえ、そうではありません。私にとって絶対的なものといえば「死」しか思いあたりません。
 感情は肉体同様、ただそこに存在するのでは?。
 理性の力で心臓や肝臓の動きを操作できないように、自然に湧き上がる感情も理性や意志で押さえつけようとするのは不毛なことではないかしら。

R 沸き上がる感情は、それが好意であれ憎悪であれ、他人に対するものならば感情である事に変わりないですよね。
 その感情を「逆らえないものだから」といって、想いのまま相手にぶつけたらどうでしょう?
 相手の感情を、状況を、状態を無視して相手に自分の想うまま感情をぶつける事はいいのでしょうか?
 「理性を持たない愛はただの暴力だ」。本からの引用ですが、これは真実だと思います。

――自分の想うままに相手に感情をぶつける行為が良くないのは当然です。
 感情を対人に示す場合は、それが相手に示していいものかどうかを選択する能力と示す技術が必要です。
 私が言っているのは対人に示す前の段階のこと。

R どういうことでしょうか?

―― 例えば誰かを「憎らしい」と思う。その場合、そう思う自分を否定せず、受けれるということなんですよ。
 さらにそう思う自分と向き合ってみる。
 その感情がどこから来るのか分析してみるのもいいかも知れません。
 まぁ、そういうことが面倒くさかったら、とりあえず、湧き上がるままに放っておく。勿論、この段階で相手にぶつけないようにする。そこは理性で。
 穏やかな人というのは、何も感じていないのではないのですよ。
 感じたことを自分の中で処理して、意志の力でむやみに外に出さないようにしている人なのではないでしょうか。あるいは、感情の示し方が、他人を不快にさせない人とかね。

R どうしてですか?他人を憎む事はいけない事じゃないんですか?悪い事をしてる自分を肯定するのはいいんですか?

――感情それ自体にはいいも悪いもないでしょう。例えば、身勝手な殺人を犯す人を憎むのは悪いことでしょうか?自然な感情だと思いますが。問題は「憎しみ」に突き動かされた後に、どういった行動をとるかでは?

R 「想う」だけなら何をしても構わないんですか。

――いけませんか?

R あなたはご自分を肯定していますね?自分の中の「我」に重きを置いていらっしゃる。だからこんなにも感情を肯定されている。僕みたいな考えの人間とは平行線をたどるばかりですね。

――そう思いますか。私は、この話し合いが平行線だとは全く感じていませんよ。
 ただ、あなたの思考の回路が停止して、考えることを拒否している印象があります。
 世にあまたあるミステリーやサスペンスやホラー小説。
 それらは作者が自分の中の悪意を、作品という形で昇華させた結果です。
 悪意を抱くのが悪いとして、感情を抑圧していたら存在しえなかったのでは?他にも絵画や映画などの芸術作品、漫画などもね。
 あなたは、私が自分を肯定していると言いましたが、私には、自分を肯定せずになぜ生きていかれるのか不思議です。
 この世界を認識しているのは自分自身なので、自分を肯定できないということは、世界をも肯定できないということではないですか?それで生きるのは、なさかなかしんどそうです。

R そう思えるのは、あなたが自分以外の誰かに必要とされ、大事に想われているからですよ。
 また、あなたがその想いを信じているからではないでしょうか。

――私が誰かに必要とされているかどうかはともかく、私は自分を受け入れてはいますが。  

R あなたはとても強い人だと思います。そんなことが出来るのですから。僕には出来ません。
 それはたぶん、自分を一番信じていないから。
 僕は自分が世界に唯一のものだとは思えないんです。代わりがいる気がしてならないんです。
 僕には……自分が此処に居ていいのか、自分がここにいる理由が、分かりません。

――あなたはこの世で、唯一無二の存在ですよ。
 その顔の、その肉体の、そのDNAのRさんは、他に存在しません。現に今だって、あなただから、私に目をつけられ(笑)、ここでこんな話をしているのです。他の人ならこういう展開にはなっていないでしょう。

R でも、この話し合いだって、何も僕じゃなくてもよかったんですよね。

――私とこんなやり取りをするハメになったのはあなただからです。
 自分がここに居る理由。それは苦労しつつも自分で発見しなくてはなりません。人生とはその問いの答えを探す旅ではないでしょうか。「人生の意味」とは、それを問うのではなく、私たち自身が、人生から問われているのです。「あなたは何故、今、ここに存在しうるのか?」と。
 まあ、「すべての生き物はただ生まれ、死ぬ。人生に意味なんかない」とする考えも、私はそれはそれでいいと思います。ただ……そう思うには人生は長すぎるし、目的や意味を欲するのも当然か、と。

 それはともかく、私は、本日ただいま、あなたとの話し合いに全力を注いでいるつもりですが。
 この年まで生きていれば、若い人とこんな話をしている自分に出会うことが出来るという感慨とともに。

R あなたはどうして他人を信じられるのですか?

――信頼しないと何もできないからですよ。それこそ生きていかれません。
 世の中は、人間同士の信頼で回っています。仕事を依頼し、納期どおりに仕事が上がってくる。まぁ、たまに間に合わないことや、どうにも出来上がらないこともありますよ、そりゃ。思わぬミスや、詰めの甘さなどでよくない結果になることも確かにある。
 でも、社会は基本的に信頼と約束事で動いています。
 時間通りに電車が走り、お店や職場が開き、物品やサービスとお金のやり取りがあり、お釣りはごまかされない。とりあえず、現代の日本の社会はそうですよね。
 報道をにぎわすアナーキーなケースや人々もありますけれど、大方の人は他人を裏切ろうと思って生きてはいません。

 私は、個人的には相手の言うことはそのまま受け入れるようにしています。カルト教信者の言うことも、「本人がそう言うんだから、それは本人にとってそうなんでしょう」と受け入れますよ。
 ただ私にとってはそうではないので、私自信は入信しないだけです。
 相手が約束をたがえた場合は、相手には約束を果たせないだけの理由があったのだろうと、認識しますが。私自信、やむを得ず約束を果たせない場合がありますから。勿論、事前のことわりや、事後のフォローをきちんとしますが。

 それでも、相手が信じてくれないなら、その現実を受け入れるしかありません。
 なぜなら相手の感覚は相手の領分なので、私がどうこうできるものではないからです。
 自分がどうこう出来るのは自分だけです。 他人のことは、いくら想像したところで、あくまで、こちらの想像の範疇を出ない。
 ただ人間というのは面白いもので、言葉よりもその人の行動や身体に現れる様々な表情が実に雄弁に、その人の真実を語っていたりしますよ。

R ……そういう不安定な関係の中で人を信じるんですか?
 相手は嘘をついてるかもしれないんですよ?

――嘘でもいいじゃないですか。それがその人にとっての真実なのかも知れませんよ。
 相手が何を差し出そうと、こちらは率直な信頼を差し出していればいいのでは。そうすると、相手を甘く見て嘘で丸めようとする相手は遠ざかってゆきます。嘘を重ねすぎると、相手ではなく、自分自身が内部崩壊していくものではないかしら?
 そんなわけで私の交友関係は仕事もプライベートも全く不安定ではありません。皆、それなりに信頼で繋がっています。でなければ仕事は立ち行かないし、友人関係も続きません。ただし度を越えてプライベートに踏み込んだりすると、信頼関係は壊れます。
 他人に見せている顔とプライベートが完全に一致する人は多くはないでしょうから。

 相手の思惑は怖くないのですか?

――怖いのは、他人の思惑ではなく、抑圧し続けた自分自身の自然から、ある日、復
讐されることではないかしら?

愛を教えて-Rとの対話№2に続きます

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