福が来る準備をする

 「○○に合格(採用)お願いします!」
  
 「今年こそはダイエットに成功しますように。あとお金持ちになりたいし、イケてる彼氏も欲しいです」

 「身近にいる○○が嫌いです。あいつにバチをあててください」
 
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 北の地より、おみくじを背負って我が家に来てくれた可愛らしい目出鯛の群れ

 初詣で神社に行き、賽銭を投げて願い事をする。

 日本人なら多くの人が行う行為ですよね。
 
 でも上記のような願い方では、叶えるのはむつかしいかも知れません。

 何故ならあまりに受け身だから。
   

 会社や学校は、そこに入る事それ自体が目的なのではありません。

 職場であれば、自分がどんな力を提供でき、どんな利益をもたらすことができるかが具体的に事業所側に伝われば、おのずと採用されるでしょう。

 職場は「仲良しグループ」を作りに行く場というのではありません。

 お互いの力を出しあって、利益を共有できる仲間を求めています。

 学校であれば、それまでの勉学の努力の如何が問われますので、試験当日に体調を崩したりせず実力を発揮できさえすれば大丈夫なのです。

 自分の実力と学校選びが合っていなければ当然合格はむつかしいでしょうし、万が一まぐれで入ったところで途中で失速する可能性なども含めて、幸福とはいえないのではないでしょうか。

 お金は一所懸命に働く人にはそれに見合った額がもたらされるでしょうが、棚ボタを望んで何もしない人がお金持ちになるのはむつかしそうです。Dscn0831_3


 食べ過ぎたり飲み過ぎたりする人の精神は健康なのでしょうか。(マツコさんや力士やフードファイターのようなプロは別)
 
 精神的な飢餓感を満たすため、あるいは現実を受け入れがたくて、依存的に、逃避的に食べたり飲んだりしている場合は、生活や生き方、考え方、物事の認知の仕方そのものを見直す必要があるかも知れません。


 ある日、「この人いいなぁ」と思える人に出会ったら…?


 その人に好きになってもらえるような自分でしょうか。

 自己嫌悪に陥っているとしたら、そんな自分をはたして他者が好きになってくれるでしょうか。

 「好き」という感情はその人の存在そのものを好きと思えるのが本物の「好き」

 「主従関係を結びたい」
 「コンプレックスで繋がりたい」
 「弱みを握りたい」
 「相手を貶めて優越感を感じたい」
 「相手を利用したい」
 「私の虚しさを解消してほしい」
 というのは本物の「好き」ではありません。

 一時的に親しくなれたところで早晩破綻してしまうことでしょう。
 もっとも、そんな関係は破綻しない方が不幸だと思います。


 誰かの幸福を願うのならまだしも、不幸を願っているようじゃ幸福とは程遠いのでは?

 嫌いなヤツなど放っておくにかぎります。
 放っておけないとしたら、そういう自分自身に問題がありそうです。

 「幸福」はきちんと準備をしてきた人にはすでにもたらされている、あるいは来るべくして来るのでしょう。

 神社にお参りするときは

 私に必要なものはすでに与えられております。本当にありがとうございます

 と神様にお礼を言おうではありませんか。

 福をもたらす神様とは、すなわち自分自身の潜在意識や潜在能力に他ならない、と管理人は思います。

 


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一人っ子 末っ子

風薫る初夏。

この季節にぴったりのアジアンエスニックな一品・トートマンクンムウ(海老と豚のアジア風さつま揚げ)^^。
簡単でとっても美味しいです。
作り方は後ほどご紹介します。


Photo_2


さつま揚げといえば・・・・
 ある日の、おでんの鍋を囲んでの会話。

一人っ子「(一個残った)このさつま揚げ食べていい?」

末っ子「どうぞ」


しばらくして


末っ子「さつま揚げは?」

一人っ子「食べたよ。さっき、どうぞって言ってたでしょ?」

末っ子「そりゃ、食べていいとは言ったけど、全部とは思わなかったもん。半分とか、一口残すとかふつうしない?」

一人っ子「わざわざ断って許可されたんだから食べるでしょ、当然。残してほしかったならそう言えばいいじゃない」

末っ子「そうか…もしんないけど、でも、残してくれてるかなぁと....」

一人っ子「あんな小っちゃなもの(直径5㎝の丸形さつま揚げ)?どうぞって言っておいて一口残せって、意味わかんないんだけど。」

 読んでお分かりのとおり大変セコイ会話です。

 ただ、この会話には「一人っ子」と「末っ子」の特徴が凝縮されていると思うものです。

 ちなみに管理人は6年間一人っ子だった末にきょうだいが生まれた第一子。

 この場合、「一人っ子の言い分」は筋が通っており、「末っ子の言い分」は破綻していると感じます。

 とはいえ、親の愛情も衣服も文房具も、常に誰かと分け合い、誰かのおさがりが当たり前だった末っ子は、一つの何か(例えばさつま揚げ)があった場合、それがたとえどんなに小さなものでも自分ひとりで独占していいとは思っていません。
 その思いは他者にも投影され、みんなも「仲良くシェア」してくれるよねという感覚があるようです。

 一方、誰かと何かをシェアした経験が少ない一人っ子は、食べていいと言われたものは自分のものと認識し全部食べるのはしごく当然のこと。
 強欲というのではなく、自分のものと他者のものの区別がしっかりあるのです。むしろ、誰かと何かを取り合うとか競うという感覚が希薄です

 管理人が子どもの頃、苦手だったゲームは椅子取りゲーム。
 合図とともに素早く椅子を確保しようとする周りの子の動きについていけない感じで...。

.  ともあれ、ストレートでシンプルな一人っ子には、末っ子の複雑な思考回路が理解できず、その言動は時に言いがかりとしか思えないのでした。

 
アジア風さつま揚げ作り方
 
Photo_2生海老(生鱈でもよい)200gをぶつ切りにしたものと、ニンニク2かけをすり鉢で擦る(ニンニクは細かく、海老は粗い方が美味しい)。

そこに豚ひき肉300g細かく切った香菜を入れてさらに擦り混ぜ、きな粉大匙2、塩小さじ半分弱、片栗粉大匙1、卵一個、粉末魚類出汁適宜をいれて混ぜる。


小ぶりのハンバーグ状に形成してフライパンで両面にちょっと濃いめの焼き色が付くようにカリッと揚げ焼きにします。
 
付け合せは香菜千切りにした青いパパイヤなどが合います。

レタスで巻いて食べてもいい^^。

 タレはスイートチリソースナンプラー七味唐辛子レモン汁などでお好みに。

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ビールを飲みながらかぶりつきましょう!

ブリブリした噛みごたえと海老&お肉の旨みが身上です。

一人っ子と末っ子がケンカしないだけの量を用意しておくのがベスト。

他に、レトルトのグリーンカレーとご飯、あるいはフォー、そして熟したパパイヤでもあれば熱帯気分満点の初夏の宵を過ごせそうです。

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男よ、汝ソツのある者よⅠ

          

           獅子座人撮映のVictoire de Samothrace
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 多くの男性の口癖に
 「...面倒くさい
 というのが、ある。

 彼らは、世の中に、異性に、親や姉弟に、現実というものに、生活することに、常に何かしら面倒くささを感じているようである。

 確かに世の中は面倒くさいことに満ちていますよね。

 整合性がとれている物事は珍しく、何をするにも一筋縄ではいかず、シンプルにスキッと決まることはまれである。

 とはいえ、そのもともと面倒な要素をはらむものを、さらに輪をかけて面倒にしてしまっているのは、とりもなおさず本人自身ではないかと思えることが多々ある。

  マンションの管理組合の役員の仕事(会計)をしている蟹座人が、組合の会議やら銀行の用事やらを済ませて帰ってくるたびに色々グチる。

 いわく・・・
 
 「管理組合用のプリンタを新調した。
 面倒がないように自分が使っているものと同じ機種にした。
 そこまではいいが、(何故かは知らねど)そのお金の支払いがうまくいかず、とりあえず自分が立て替えているのだが、理事長が当分不在で、書類に彼の判子をもらえないために、プリンタ代金がすぐには自分のもとに返ってこない」

とか、

 「銀行に行って組合の必要経費をおろそうとしたが、押し間違えた印(理事長のものである)と、押しなおした印がわずかに重なっていたために、書類が受理されずお金をおろせなかった。
 再度、理事長から判子を受け取って書類に押しなおし、また銀行に行かねばならない。が、理事長は当分不在である」


 などといった愚痴を聞いていると、なんか、こう、ど~も、蟹座人自身が、実際に起こったことの面倒さの半分くらいに加担してしまっているんじゃね?と思えるのだ。

 というか、実は面倒事が好き なんじゃないのか?

 だいたい彼の話は、何が幹で何が枝葉かを飲み込むのがなかなか困難なのだ。

上記の会話部分は、なんとかまとめてみた結果であるが、この作業に、こちらはかなりの想像力と忍耐がいったのである。

 ネタ自体は悪くないのに伝え方がよくない。
 せっかくのネタが新鮮味を失い、不味くなってしまう。
 腕の悪い料理人のようである。

 聞いてほしいことがあるなら、口に出す前にいったん頭の中でまとめてから話してみてほしい
  とりあえず深呼吸でもして落ち着いたらどうか。

 「相手のいる場合の語り」というのは「独り言」ではないのだから、ある程度、起承転結を意識する必要がある。
 
 それが面倒くさいなら、無口なキャラになってみる、という手もある。 
 しかし、それでは蟹座人が蟹座人ではなくなってしまうであろう。
 
 今も、銀行から戻った蟹座人が、ひとしきり愚痴を言ったのち、バナナを買いにまた出かけるという。

 果物の中で唯一好きなバナナは、ほぼ毎日仕入れているようである。

 しかし銀行に行ったのなら、隣のスーパーマーケットで購入してくれば、外出は一度で済んだのではないか。
 銀行とバナナ売り場は地続きで5、6mしか離れていないのだ。
 
 こういう事態は、彼にとっては「面倒くさい」ことではないのであろうか。 
 たぶんそうなのであろう。

 「じゃっ」

 と言った彼が玄関を出てドアが閉まった直後、間を置かずにピンポ~ン!とベルが鳴るではないか。

 何事が起きたのか、と思ってドアに向かおうとすると、その直後、ドアが開き、そこに蟹座人が立っていた。
 彼は
 「肘が(ベルに)当たっちゃっただけです
 と言い残して、またすぐにドアを閉めた。

 
 さて、世の女子たちに言いたいのである。

 男性のこういったソツというか面倒くささを容認し、受け流し、さらにいっそ面白がれる才が全くないとなると・・・彼らとお付き合いするのは難しいかも知れません。


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冬仕度

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Humpty Dumpty sat on a wall
Humpty Dumpty had a great fall.
All the king's horses, And all the king's men,
Couldn't put Humpty together again.

ハンプティダンプティ塀の上
ハンプティダンプティ思いきり落ちた
王様のすべての馬も兵隊も
誰も元にはもどせなかった
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英国伝承のマザーグースの中には怖い唄がけっこうありますが、この唄も、
「覆水盆に返らず」
「後悔先に立たず」
「チャンスの神には後髪がない
(…?)」
 ということを連想させてなかなか怖いですよね。
 …怖くないですか?

1

 11月生まれの管理人は誕生日を迎えるともう年の瀬も間近かです。

「親しい人が私の誕生日を忘れていて悲しかった、腹がたった」
 という感覚は、昔から管理人にはほとんどありませんでした。

 自分だって忘れてしまう時さえあるのですから。
 誕生パーティとかも、別になぁ… 。
 だってじきにクリスマスやら大晦日やらお正月がくるんだし…。

 仕事やプライベートが年末仕様に向かう只中にある誕生日なもので、毎度のことながらあわただしさの中で過ぎゆく感じですねぇ。

 とはいえ、経験的には誕生日のあたりがたしかに運気の境目といいますか、体質や生活・仕事上の変化などが起こることが多いのは事実です。
  
 毎年、歳をとる事それ自体は別に嬉しくも悲しくもないのですが、
・やるべきことをやらずに時間だけが経ってしまった
・準備ができていないのに本番がきてしまった
・ものにする力がついていないのにチャンスらしきものが来てしまった
・非常に危なっかしい状態なのに放ったらかしていた…

 というのは怖いです。

 それらは塀の上にただ置かれた卵の無防備さに似た怖さを孕んでいると感じます。

Photo_2漠然とした不安」というのは、何かへの備えができていないのに時間やエネルギーを無為に消費している時に感じるものではないでしょうか。

 自分が今していることが何かしらでも建設的な事につながっている時、人はあまり不安は感じないものです。

 冬が来る前に冬支度をするように、大事なポイントだけでも手を打っておきたいですね(自戒をこめて)。

 冬の休日に、安心してプチ冬籠もり をしたければこそです。

 寒い冬は、暖かい部屋着、気に入ったハンドクリームにボディクリーム、好きな本やビデオ、楽しいおしゃべり、美味しい食事にお茶にお酒、うとうと昼寝、そんなものがこの上ない幸せをもたらしてくれます。

 ところで…塀から落ちたハンプティ・ダンプティのように割れてしまった卵はどうしていますか?

 お皿に乗せてラップをして電子レンジにかけ、他のゆで卵と一緒に裏ごしにして、塩、胡椒、マヨネーズ、パセリなどとあえ(あれば長ネギの白いところをみじん切りにして少々まぜ)、サンドイッチやトーストやサラダの具にしてはどうでしょう。
 
 紅茶と一緒に冬のおやつや軽食にどうぞ。
 白ワインと一緒でもいいですけど(笑)。

 デザートは黄桃のコンポート(缶詰)で決まりです。
 割れた卵の中身にそっくりでしょ?

 

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蛙の王

女性の愛を獲得する前の男性はほとんどカエルのようなものであるByプルート通信管理人 

グリム童話の蛙の王(別名”鉄のハインリヒ”)というお話です。
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 LE PRINCE GRENOUILLE Illustrated by Binette Schroeder 
 ある国に綺麗な姫がおりました。
 姫はお気に入りの金の鞠を持って森に行き、そこで一人で遊ぶのが好きでした。

 その日も姫は金の鞠を持って森に遊びに行きました。
 ところが大切なその鞠を泉(湧き水あるいは井戸)に落としてしまいます。

 鞠を失った姫が泉のほとりで泣いていると、泉の中から醜い蛙が出てきてこう言いました。
 「金の鞠を拾ってきてあげる。そのかわり私の望みを聴いて欲しい」
 姫はこれを承諾します

 蛙は泉の底深く潜って金の鞠を取ってきて姫に渡しました。
 ところが鞠を手にした姫は、蛙との約束を反故にして走ってお城へ帰ってしまいました。

 次の日。
 お城で王様と姫が晩餐を囲んでいると、家来がこう告げました。
 「扉の外にお姫様のお友達がいらして中に入れて欲しいと言っています」
  扉を開けてみると昨日、鞠を拾ってくれた蛙がそこにいました。 

  「昨日のお礼が欲しいのね。宝石でもガウンでも金の冠でも、欲しいものは何でもあげるわ」 
  と言う姫に対し蛙は

 「そんなものは欲しくない。昨日あなたは私を特別な友人として大切にしてくれるという約束をした。いつも側におき、あなたと同じグラスから飲み、同じ皿から食べ、同じベッドで眠る約束を」

 姫は、人間と蛙が愛し合って一緒に暮らすなんて出来るわけない、と思っていたので、昨日、蛙からその望みを聴いた時も、ばかばかしく思い、はなから相手にする気がなかったのです。

 ところがこれを聞いた王様は姫に厳しく言い放ちました。
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たとえ蛙でも、恩のある相手との約束は守らねばならない!

 蛙は姫の膝の上からテーブルに飛び移ると、姫の金のお皿からぴちゃぴちゃと下品な音を立ててスープを飲み、他の料理も姫のお皿から食べました。
 
 満腹になった蛙は今度は
 「お姫様のベッドで一緒に眠りたい」と言い出しました。
 姫は蛙を嫌々自分の部屋へ連れて行きますが、ついに怒り心頭に発し、蛙をつまみあげ、壁に思い切り叩きつけました。

 が、次の瞬間、姫が目にしたのは、潰れた蛙ではなく、美しい目をした優しそうな若者でした。
 
 実は蛙は、魔女に呪いをかけられて、蛙にされ泉に閉じ込められていたある国の王子でした。
 お姫さまに叩き潰されることだけが王子にかけられた魔女の呪いを解くただ一つの方法だったのです。

 姫は約束どおり彼を大切にし、二人はめでたく結ばれました。
 
 ★管理人による物語の解釈★いきます。
 
 叩き潰された蛙が王子さまに…!?
 いいえ、実は蛙は最初から人間の男性だったんです。

 思春期の頃の若い男性って、手足ばかりが伸び、筋肉もゴツゴツし始め、変声期で声は蛙みたいにヘン。
 おまけに汗臭くて、顔には吹き出物が出来たりするし、精神的にはモヤモヤするし…感受性の強い男子などは、もう、まるで自分が醜い怪物にでもなったみたいな気がしてしまいます(よね?)。
 
 そこに母親(おとぎ話の魔女というのはたいていは不幸な母親のことです)という存在がさらに追い討ちをかけてきます。

 不幸な母親は、幼く無垢な息子に対して
 「この世はロクでもないんだよ。信じられる他人などいないかもね。幸福なんて望むのはおこがましいよ」
 ということを、言葉というよりその生き方によって、長年にわたり吹き込み続けます。

 その毒気によって、彼はまるで呪いをかけられたように萎縮し、外界に出てゆくことが出来ずに、井戸の中(自分の内なる世界)に逃避したり、引きこもったりしたくなってしまうのです。

 彼は夢想します。
 もし、気高く綺麗なおねえさんが自分を受け入れてくれたら…時に優しく、時に厳しく叱責しつつも、心身ともにずっと寄り添ってくれるなら、 自分はまた新たな生を与えられる
 そうでなければ、一生この狭い井戸から出るまい…。
 そんな感じで絶望と希望の狭間を行きつ戻りつ月日を過ごします。

 そんなある日、まさに理想的な乙女が目の前に現われたわけです。
 彼はなりふりかまわず必死で求愛します。
 ずうずうしく感じられるのは彼が一か八かの大勝負に出たから。
 ふられたら恐ろしい孤独と虚無感が待ち受けているでしょう。
 でも、何もしなくても、どの道この暗い井戸から出てゆけそうにありません。

 一方、女の子は思春期頃からどんどん女性らしく綺麗になっていきます。

 特に親の庇護のもとで不自由なく育った美しい女の子というのは、自己矛盾やら自己嫌悪やら激しい情動などとは基本的に無縁で、自己愛を育んでゆきます。
 自分と自分の世界以外にあまり触れる機会もなく、他者に対する想像力が欠けていたりします。

 とはいえ、この自己愛が後に男性や子ども、あるいは世界へと注がれる愛情の元となるので、女の子の場合、これは健全な自己愛といえましょう。

 この時期の女の子からすれば男の子はほとんど蛙みたいなものかも知れません。
 食事はガツガツ食べているだけでマナーとかなっていないように見えるし、洗練もされていない。
 本能に突き動かされて生きている様子は野蛮にしか映らない(でも、このプリミティヴさは、男性的生命力の表れでもあるのですけどね。)

 でもって、ガラガラ(ゲコゲコ)声でなんか幼稚な事を言っているけど、まともに聞いちゃいらんないって感じ?
 蛙のくせに「親密になりたい」なんて、意味わかんない…とかなんとか。
 
 とはいえ女の子も、親に庇護された少女の世界からいつかは出て、誰かと一緒に自分自身の人生を創っていかねばなりません。いつまでも、穢れない世界の住人ではいられないのです(どうしてもイヤなら尼寺へどうぞ)。

 姫を、少女から大人の女性へと目覚めさせるきっかけになったのが、強い怒りという情動だったというのが、この物語の秀逸なところだと思います。
 
 汚れを知らない夢見る少女が、ある日、陥った危機的状況。
 彼女は初めて怒りのエネルギーを爆発させます。
 それは殺意をも孕む狂気の沙汰。
 蛙を叩き潰す行為は実は姫自身の殻を打ち破る行為でもあったのです。

 この通過儀礼がないと、魅力的な大人の女性への成長や強い母性の獲得はむつかしいのかも知れませんね。

 実際、幼稚な精神状態なままの女性、芯の弱い女性、隷属的で自分の意志がまるでない女性、自尊心の低い女性は、異性や子どもを愛し抜くとか守り抜くという強さがありません。

 一緒にいる相手をうんざりさせ、子どもに呪いをかけたりします。
 ひどい場合はDVの餌食になったり、子どもを放置・虐待などしてしまうケースにつながることも。

  さて、このショッキングなイニシエーションの後、彼女は初めて世界を、異性を、そして自身の女性性を直視できるようになります。

 そして、それは蛙の王子にとっても同じこと。
 お姫さまに、いじけて醜く引きこもっていたネガティヴな自分を、思い切り叩き潰してもらったお陰で、ようやく大人の男性としての新しい自分を獲得できたのです。
 ひ弱な姫では、魔女の強力な呪いは解くことが出来ないのです。

 父親である王様が、可愛いはずの娘に対して、やけに厳しいのも納得がいきます。
 実は王様もかつて若い頃、蛙のようにみじめな孤独を味わったのかも知れません(お妃さまがそれをぶちのめして救ってくれたのでしょうか…)。
 また、手塩にかけた可愛い娘だからこそ、スポイルせずに突き放すことが最終的には娘の幸福につながるという親心から出た厳しさだったのかも知れません。
Photo
 この物語は別名「鉄のハインリヒ」ともいいます。
 最後のおちはこうです。
 
 若い二人が結ばれたよく朝。
 金色に輝く八頭立ての立派な馬車が二人を迎えに来ます。
 馬車にはハインリヒという王子の忠実なしもべが乗っていました。
 ハインリヒは、王子が蛙にされて井戸に沈んだ時、悲しみのあまり胸がはりさけてしまわないように、胸に3本の鉄の輪をきつくはめました。
 その輪が今や、幸せと嬉しさのあまりに膨らんだハインリヒの胸から大きな音を立てて弾け飛んだのでした。

 ハインリヒは王子の心の擬人化である。
 管理人的にはそう思います。

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夢占い

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 管理人はしばしば、とても鮮やかな夢を見ます。

海の夢

・世界が水没した夢。
 水に沈んだ地下鉄の階段や太い柱、老舗のデパートなどはまるで古代遺跡のよう。 
 水没後の世界は完全な静寂に包まれており、大変美しいものです。
 管理人は、透明な青い世界で、道路や建物の脇を魚のように自由に移動しています。 

・両脇に高層ビルの立ち並ぶ道路が海になっている夢。
 道路の幅しかない海ですが、青い波が押し寄せては、引いていきます。
 波が最高潮に達すると、ビルの高層階と同じ程の高さになり、その後、ジェjットコースターの下りのようにヒューンと低くなっていくのを繰り返します。
 人々(自分も)は、その波に乗ったり潜ったりしていて大変楽しそう。
 砂浜も道路の幅。
 ちゃんと貝殻や海草が打ち上げられています。

・海の中に立っているマンション(あるいはホテルかも)に住んでいる夢。
 各階の南側のベランダが広く、パラソルや長椅子が置かれています。
 住人は、ベランダから海に飛び込んで泳いだり、船を浮かべて魚を取ったりしています。
 この建物内には素敵なショッピングモールや、植物園、畑などがあります。

 何だか、小学生が夏休みの宿題などで「自由に想像して描いた絵」といったような世界です。
  これらの夢は、思い出したように、繰り返し見ます。
 
 ラッセル・グラント著夢の辞典によると、

穏やかな海は吉兆。仕事のプロジェクトの完成、有益な友人、ロマンス運を暗示。荒れた海は好奇心をそそられるニュースが舞い込む

岸に打ち寄せる波はビジネスと恋愛の両面での前進を表す。
人で賑わっているビーチはあなたの安心感と信頼感の表れ。
 なるほど。でもねぇ…道路の幅の海とビーチってどうなんでしょ。
えらく小規模の安心と信頼、及び、ビジネス運と恋愛運ってこと?

小舟が浮かんでいたらビジネス運は吉
ふむふむ…。

裸で泳いでいたら吉兆。水着を着ていたら近いうちに人前で恥をかくかも
え~と…次回、裸で泳ぐようにします。

★海に潜る夢を見たら、近々、とびきりステキな誘いを受けそう。水中が澄んでいたら万事良好。水がにごっていたら残念な結果に。
ほ~…。

★貝殻は変わった出来事を暗示。貝殻を見つける夢は、恥をかくようなことが起こりそう。フジツボ貝は快適な老後を暗示。
 次回は頑張ってフジツボを探したいと思います。

太陽(火の玉?)の夢

 昔、見た夢です。
 中国の桂林のような、霧に煙る水墨画の世界をさまよっていました。
 歩いていたのは険しい山道。木々の間から、日没が見えます。
 その濃いオレンジ色の太陽を眺めていた次の瞬間、太陽がこちらに向かって来ました。
 ビーチボール大の火の玉と化した太陽に追いかけられて、必死に走って逃げていると、目前に古い遺跡のような巨大な寺院の門が。
その黒光りする重い門扉を開けて、建物の中に逃げ込むと、火の玉が、脱いだ靴の中に飛び込んで砕け散り、あたりは一瞬オレンジ色の火花につつまれました。

 ★上の夢は予知無でした。 何を暗示していたでしょう。

①借金取り
②大きな仕事の締め切り
③妊娠

 ちなみに『夢占い辞典』によると、
★明るい光を放つ太陽は成功を暗示。真っ赤な太陽は苦労を暗示。けれども最終的には勝利を手にします。
日の出は、あなたの前に新しい扉が開かれようとしていることを意味。日没は刺激的な変化の前触れ。
 

★現実同様、火は重要な要素です。火は体を暖め、清めるものでありながら、近づきすぎると火傷を負ってしまいます。
即ちこれは、更生期を意味する強烈なシンボル。と同時に、相当手痛い跳ね返りをも意味します。

とのことでした。

 

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管理人的エロスとの遭遇Ⅱ

管理人的エロスとの遭遇Ⅰの続きです。

 身体は他者のまなざしによって客体化される

 エピソード2

 「このクラスの男どもさぁ、結構色々な女子にお世話になってるのね、毎晩。
 ふふっ。キミは第2位だね。Aちゃんが1位。3位はMさん」

 中学生活のある日の放課後、ちょっと早熟なKという男子が、唐突に管理人にこう呟きました。

 「はあ?」
 「いや…何でもない」
 「何なの今の。どういう意味?」
 「忘れて、忘れて。今の発言は却下、却下」
 「言いなさいったら!」
 「きゃはは~」

 逃げるKを屋上まで追いかけたけれど、バカらしくなってやめました。

 釈然としないまま部活(演劇部)に行き、練習の後、事の次第を二人の先輩に話してみたのです。

 一人は副部長のC先輩♂。お笑い芸人のような才能があって、父性的というか、下町の気のいいオジサンのような包容力も持ち合わせていました。
 
 もう一人は…名前が出てこない(汗)。頭が良く、透き通るような白い肌をした、ちょっと危険な香りのする非常にキレイな先輩♀でした。

 「ああ、それはねぇ、ジイのことだね」
 と♀先輩。
 
 「ジイ?」
 初めて聞く言葉でした。

 「そ。文字で表現するとこうなるのだよ」

 ♀先輩は、黒板にデカデカと、漢字表記とアルファベット表記で、その現象を書き表しました。
 ポカ~ンとしている管理人に
 「C、ここから先は、あんたが教えてやりなさいよ」

 「えええ。そんな事、この子に教えるの、俺が?」

 「そうよ。正しい情報は当事者から。この子の円滑な生活のために」

 「え~と…まず、そいつらは、クラスの女の子の人気投票をやったんだね。なんのランキングかというと…ったく、しょうもねぇなぁ」

 今はなき古~い木造校舎の一教室で、中1だった管理人は二人の先輩から、男子に起こる身体的現象についてのレクチャーを受けたのでした
 当時小学校では、女子だけ集められて「女の子の第二次性徴における生理現象」についての授業は受けましたが、男子については、なんら、きちんと教えられることがなかったのです。  
 さらにC先輩は言いました。 

「キミは秋の文化祭で『夜の女王(メーテルリンクの「青い鳥」の登場人物)』をやるでしょ。俺に対しては(C先輩は『夜の女王の召使い』役と『時の翁』の二役でした)もっと、こう、冷たく、高飛車にやって欲しいんだよね。跪く俺の手を靴で踏む演技、演技じゃなくて本当にやっていいから」
 
 「C先輩の手を踏む?そんなこと出来ません!」
 という管理人に、キレイな♀先輩は言いました。
 ちなみに彼女は『チルチル』役。利発な紅顔の美少年、といった感じがとても良く出ていましたっけ。

 「Cはマゾ。あなたはサドの役なんだからね。メリハリがないと舞台が台無しになっちゃうわよ。Cは上手いから、今のままではあなた負けちゃいますよ。召使いに負ける女王なんて、無様でしょ」

 管理人は「サドとマゾ」という言葉もこの時初めて聞きまして、二人から諄々と説明を受けました。
 
 今頃あのお二人、どこでどうしているのやら。
 当時の中学生の精神年齢の高さに、改めて驚くとともに、この方々に感謝してやみませんよ、全く。
 なんというか…日教組かぶれの教師たちよりも、よほど深く人生を教えてくれた気がします。
 でもって、管理人が男の子の生理現象についても、特に嫌悪感もなく、「はぁ…そういうものなんだねぇ」と受け入れることが出来たのは、ひとえに彼と彼女のお陰と感謝申し上げます。
 

 「青い鳥」の本番では、やはりC先輩の手を踏むことは出来ませんでした。
 床に置かれた彼の手の、すぐ側をグイグイ踏むことで許してもらいました。

 

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管理人的エロスとの遭遇Ⅰ

 ・過激なわりにニブい
 ・無意識過剰
 ・普通の人が怒るようなところでは怒らないが、聞き流すようなところを突っ込み過ぎる
 ・予測出来ない行動に出る

 これらは、管理人が今までの人生の中で幾度となく聞かされた、他者による「管理人評」です。

 なんか…こうして並べてみると、蠍座の特色そのものとダブるフシがありやなしや。

 エピソード1

  中学3年のとある休み時間。

 管理人は前の休み時間に友人から借りた「りぼん」という漫画雑誌を読みふけっていました。
 学校の規則は「漫画雑誌持ち込み禁止」。
 先生に見つかったら没収されてしまいます。
 (今は昔、そういう時代があったのです)

 読めるところまで読んでしまって、無事、友人に返したい。
 必死に集中していると、周りの音が耳に入らなくなるのはこの頃からの癖。

 ある作品を読み終えて、ふと、顔を上げました。

 すると、なんと、教室中に上半身裸の男子たちが大勢いて、困惑しつつ、一部ニヤニヤしつつ、息を詰めてこちらの様子を伺っているではありませんか!

 次の時間は体育だったのですね。
 すっかり忘れていたのは言うまでもありません。

 体育は男女別で二クラス合同で行います。
 でもって、女子は隣の教室に行って着替え、男子はこちらの教室で着替えるわけです。
 ところが、管理人一人が、何故か漫画を読みふけっていて、席を立たない。
 これには男子たち、さぞ困ったことでしょう。

 あわてて体操着の入った袋を持って、席を立ちますと、
「押さえろ!出すな!」
という声がして、教室の前のドアも後のドアも男子たちが押さえています。
 もちろん彼らはふざけていたのですが…。

  ここで…顔を真っ赤にし、目に涙を浮かべ、顔を両手で覆って、その場にしゃがみこむ、あるいは
 「お願い、出して」
 と懇願する、などという可愛い態度が出たら、男子はなかなか楽しめたかも知れません。

 しかし、そんなコマンドは、中学生の管理人にはありませんでした。
 今もありません

  
 「こいつら…調子にのりやがって」

 あ、もう一つ、他者による管理人評に自分が悪いくせに逆ギレするというのがあります。
  
 この時、管理人は、ドアを死守しているある男子に注目しました。他の男子たちは全員無視です。

 パシリっぽい、ちょっと弱めのその子に真っ直ぐに接近してゆきますと、
 「え、え?」とビビっている彼のアゴを、無言で右手で掴んでねじりながらしゃくり上げました。

 彼の全身の力が抜けましたので、押しやって、ドアを開け、廊下に出て、ドアを閉めました。
 なんか教室がどよめいていました。

 後で、
 「気付かないフリして、男の裸を見たかったんだろう」
 とか言うタワケたヤツがいましたが…んなわけないでしょ! 
 一体、男の裸ってなんぼのもんですか?

 
 自分に無関係な男性の、隠されていないツルリとした裸に感じるのはエロスではなくて、無防備さ。

 相手と自分の実在がどういう関係性を持つかによって、相手の身体性(裸か着衣かはあくまで無関係です)に意味が生ずる…というか。 

  でも、まあ、この時の騒ぎは管理人が全面的に悪いのですよ、勿論。
 中学生だった当時のクラスメイトたちよ、本当にごめんなさい。

管理人的エロスとの遭遇Ⅱに続きます。 


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誕生日に蛇のように脱皮する管理人Ⅰ

 昨年(’07年)の11月、管理人はレーシック(近視矯正手術)を受けました。
 管理人の従妹がレーシックを受けて「いきなり世界が変わった」と言うのを聞きつけた両親に、強く強く勧められたのです。Seurat_019

 それまでは、角膜をレーザーメスで削る手術なんて、聞くだに恐ろしく
「一体どこの世界の住人がそんな怖いことをするのだ!?」
という感覚しかなかった管理人でした。
 しかし、近親者が受けてみて、

「痛くないし、血も出ないよ。バッチリ見えるようになって、帰りはそのまま、一人で歩いて帰れるから。
あ、でも帰りの電車の切符は先に買っておいた方がいいかも。手術直後は視界がちょっとにじんで、切符の値段表が読みにくいから」
 などと言うではありませんか。

ホントに、ホントにそんなもんなのか!?

この0.03という絶望的な視力、一生背負っていかなくてはならない不治の病だと思い込んでいたド近眼が、たかだか15分ほどのオペで、完治してしまうのか!?

入院もせず、顔を包帯でぐるぐる巻きにすることもせず!?

だとしたら、私のこの不自由きわまりない何十年間は何だったのか!?

眼鏡もコンタクトレンズも、もはや完全に顔の一部と化して過ごしたこの歳月は!?

あやまって眼鏡を踏み潰し、コンタクトレンズを排水溝から流しちゃったり、お風呂場で落として無数の水滴の中を探し回った、あの情けなくも愛しい日々はぁぁぁ!?

 といった考えが怒涛のように押し寄せたものの、すぐに予約を取ってカウンセリングを受けに行き、11月5日の誕生日に術前検査をして、11月18日に、1.0の視力をGETしたのでしたeye 

 クリニックに着くまでは、なくてはならぬ必需品だった眼鏡。
手術後、滲んだような柏駅前の町並みを眺めながら、もう永久に必要なくなったその眼鏡の存在が不思議でした。

 そのまま柏の高島屋に飛び込み、本やCDの背表紙の文字が裸眼で見える事実に感激。
 その日はカンツォーネのCDやらシャンパンを買って帰り、聞きながら飲みながらPCに向かって知り合いにEメール打ちまくり!

 実は手術当日の飲酒とパソコン使用、及びケータイメールは固く禁じられております。良い子はマネをしないで下さい。
 
 手術翌日、世界の美しさにため息が出ました
それまでは、形のはっきりしないないぼやけた色の塊の集合体でしかなかった世界が、街路樹の紅葉や地面を埋め尽くす落ち葉の一枚一枚まで鮮明に見えるのです。
さながらスーラの絵のように。道路のレンガの色の一つ一つの濃淡まで。
 なんとなれば、強い度数の眼鏡やコンタクトレンズを使用していると頭通がしてくるので、どちらも0.3~0.5の度数のものしか使用できなかったからです。

 誕生日に蛇のように脱皮する管理人Ⅱに続きます。

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愛を教えて-Rとの対話・№7

愛を教えて-Rとの対話・№6の続きです。

’08年1月 飯田橋駅界隈にて。
 少年Rと管理人が直接会って話した時の内容の一部を、出来るだけ忠実に(お互いが覚えている限り)再現しています。

――会うのは秋以来ですね。
 普段のメールでのやりとりは、いろいろと制限があるものね。今日は言いたいことは何でもどうぞ。

 はい。あの…何も言わないでとりあえず聞いて下さい。
え~と…貴女と関わってもう二年くらいになると思いますが、貴女に会って、僕は自分が分からなくなりました。

 もちろん、今までも良く知っていたわけではありません。
でも、分からないなりに、自分の性質や好み、性格は分かってるつもりでした。
しかし、それも貴女に壊されてしまったのです。

 「他人は自分を映す鏡」と良く表現されますが、僕は今まで、自分で持った鏡で、自分を映しているにすぎなかった。
 つまりは、自己満足に近い形で自分を定義していたんです。
 貴女は僕の「鏡」を砕き、「これが君の本当の姿だよ」と僕に鏡を向けて来たんですよ。
 正直言ってかなり迷惑でしたね(笑)。
 自分だけの領域だと思ってた所に、ズカズカ入って来られて…しかも 「僕」を破壊していく…。
 怖くてしょうがなかったです。
 自分が今まで築き上げてきた物を足下から崩された気分でしたよ。 

 会えば会う程、話せば話す程、僕は自分を失う感覚と共に、自分の中に今まで無かった物…自分に「変化」が起こり始めていることに気付いたんです。
 それも怖くて、僕は貴女を避けようとしました。

 でも…避ければ避ける程、気持ちは貴女との会話を求めていくんです。
 僕は「変化」を恐れながら「変化」を求めている。その証拠に貴女と話したいという気持ちはずっと強くなっていったんです。

Photo

 僕は変化を受け入れることにしました。
 自分の変化した先が見たくなったのです。
この変化の行き着く先はまだよくわかりません。
 もしかしたらこの変化が貴女を傷つけるかもしれません。
それでも、僕は貴女と話せて今、嬉しいと感じています。
変化のきっかけを与えてくれた貴女に感謝しているんですよ。

――……しゃべってもいい?

 あっ、どうぞ。ああ、手の平がびしょびしょになっちゃった。

――おしぼりをもっともらいましょうね。
 率直に、一所懸命話してくれてありがとう。それにしても、私はそんなに怖いですか(笑)?

 今こうしていても怖いです。身体が小刻みに震えている。

――震えるほど怖いんですね…不快ですか?

 不快なんじゃありません。一緒にいたいんです。でも…震えてしまう。
貴女には全部見抜かれている気がするから。こんな経験、したことないから、どうしていいか分からない。

――私に全部見抜かれている気がしているのね。

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 僕が死んだら、貴女はどうしますか?

――そうねぇ…不慮の事故や病気ならしかたないけど、そうじゃなかったら、「なんで死んでいるんだ!」って怒りと失望を感じるでしょうね。
 
 死ぬって、ただの物体になってしまうことなのよね。
 動物の生態って、細胞レベルですごく活発に動いていて、考えられないような奇跡みたいなことが常に起こっているでしょ。身体も脳も。それが全部停止しちゃう。

 以前、本物の人間の全身の血管を樹脂加工したものを見た事ありますよ。
指の毛細血管の細かいところまで全部。すごいと思いました。あんなもの人間には絶対に造れない。

――「人体の不思議展」観ましたか?

 観ましたよ。僕あれ大好きなんです!

――あなたが死んだら私がどうするかって、何故知りたいと思ったの?

 それは…僕の甘えですよ。貴女が僕をどういう風に思ってくれているか知りたいという甘えです(笑)。

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 頭の良さには2種類あると思うんです。
 学校の勉強が出来て偏差値的に頭がいい人と、生きる知恵が豊富な頭のよさとがあると思うんですが、僕はどっちですかね?

――どっちか、ということよりも、私が感じるのは、あなたはとても観念的なんだね。

 観念的?

――「これはこういうものだ」というマニュアルを欲しがるのね。実際に対象とぶつかって感じたり、考えたりするんじゃなくて、頭の中だけで理解しようとする傾向があると感じますよ。

 僕はよく、「おまえは何でも考え過ぎるからよくない」って言われるんですけど。

――考え過ぎ…?うーん、むしろ思考が停止している印象があるけどなぁ。
 どんなことにも「こうすれば、こうなる」という答えがあると思っていて、その通りじゃないと「何故?何故?」って思うでしょ(笑)。
 何にでもすっきりした答えや結論があるわけじゃないのよ。
 出来ることは、対象とぶつかって、しっかり取り組むことくらい。勿論、逃げる、という選択もあるけど。
いずれにしろ、答えなんて、むしろ分からないままだったりすることの方が多いわよ。

 ぶつかって、取り組んで、エネルギーを注いでも、結局分からないんですか…。

――うん。 『分からない』ということが分かる。で、それを受け入れるの。
 大切なのは答えじゃなくて、取り組むことそのもの。それによって自分から、思いもよらない力や感覚が引き出されるんです。一人で頭の中だけでこね回しているだけでは体験できないようなことがね。

’08年2月。上野公園にて。

 僕、70歳過ぎの人に「お前は世の中のことが何も分かっていない」って言われたんですけど、じゃあ、その人には一体何が分かっているのか、と。

――うーん、少なくとも、70年以上の経験値はあるかな。
 例えば戦争を経験してらっしゃる。戦中、戦後の大変な生活も、軍国主義から一転、民主主義になってしまった世の中も。高度経済成長期も。あなたの知らない時代を知っている。

 昔を知っている人の方が、今の時代を生きている人間より偉いんですか?

――どちらが偉いというのではなくてね。昔の人は大変だった、という人は多いけれど、現代人だっていろいろ大変だものね。
 ただ、現在の社会というのは、唐突に存在しているんじゃなくて、長い歴史の流れがあって、ここに至るプロセスがあるでしょ。お年寄りというのは時代の生き証人なのよ。
 人間そのものは昔と今とで違っているとは思えないのよね。生きる環境や教育が違うだけで。自分の知らない過去を確かに生きていた人たち、そういう人の話は興味ない?

 でも、歴史が逆戻りすることはありえないと思います。

――そうねぇ……ただ、いつ何があるかはわからない。今の、たとえばこんなにハイテクに支えられた生活が明日もこのまま続いてゆくという、保障はないとは思うわよ。 

 でも…やっぱり人と人は完全には理解し合えないですよね。だって、その人の事情や苦しみや体験はあくまでその人のものであり、主観であって、僕にはどうすることも出来ない。
これって正論だと思うんですけど。

――…あなたは好きな異性がいますか?

 ……(うなずく)。

――その人が何かで苦しんでいる時に、あなたは
「でも、それはあくまで君の問題であって僕の問題じゃない。僕にはどうすることもできない。これって正論でしょ」
って言うのかしら?

 (しばらくテーブルに顔を伏せて考えてから)いや、好きな人に対してなら、こんな僕でも一所懸命どうにかしたいとは思いますよ。でも、僕は無力なんで…何もしてあげられないと思います。

――それでいいんですよ。
 人が辛い時にして欲しいのは、辛い状況にいるということを受けとめてもらいたい、ということじゃないかしら。
 欲しいのは解決策の提示ではなく、正論でもなく、受け止めてもらえているという感覚でしょう。
それがあると問題解決に立ち向かう勇気が出るものなのよ。
 あなたの言うように、その人の問題はその人がどうにかするしかないのは確かだからね。

 それって包容力ですよね。僕、ある人に「あなたは包容力がない」って言われました。

――じゃ、今後、包容力が育つといいですね。
 ここ(国立国際こども図書館)、どう思います?今から100年も前の建物だよ。
 今これだけのものを造るとなったら、どれ程のお金と手間がかかるのかしら。壁も床も手すりも外観も、当時の建築技術ってすごいわね。あと、子どものためにこういうものを維持して運営するという理念も。

 すごく素敵です。好きです、こういう昔の、よく分からないけど、なんとか様式?の建物。 近くに住んでいるのに、知らなかった…。

この後の話題は、ドストエフスキー、太宰治、漫画、お酒、タバコ、アヘン、マリファナ、食べ物、幼い頃のこと、海外、一人暮らし…等についてでした


愛を教えて-Rとの対話・№8に続きます。

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