映画「みなさん、さようなら」

2013
 雪が降ると世界が白いふわふわに覆われて辺り一面美しいSnowy Worldになります。

 雪が積もると、じっとしていられない獅子座の同居人(犬ではありません)と外に出て公園に向かい、真新しい新雪の上に足跡をつけに行きます。

 車や人通りが極端に少くなり、雪が音を吸収するのでしょうか何とも静かな世界は、まるでスノーボウルの中のような閉じた世界に入ってしまった感覚を抱かせます。

 ”閉じた世界”といえば…最近観た映画、みなさん、さようならも、そうしたものを描いていました。

 主人公の悟は、看護師の母親と二人暮らし。
 小学校卒業後の20年あまりを団地の敷地内のみで生きた男
 小学生の時のある出来事をきっかけに彼は団地から出られなくなります。
 中学校は「団地の敷地外にある」という理由で登校を拒否。
 とはいえ、彼はいわゆる”ひきこもり”ではありません。

 それどころか。

 彼の生き方は建設的で、自立していて、愛情に満ち、求道的ですらあります。

 朝はベランダで乾布摩擦、学科の勉強はラジオ講座でしっかり学び、公園の遊具や街路樹で筋力を鍛え、マラソンをして身体の鍛錬にも余念がありません。
 目標は”一本指腕立て伏せ”。
 夜は手作りの名簿を持って、団地内をパトロール。
 107人の小学校の同窓生たちすべての家が無事がどうか見回ります。
 団地内に悪が進入したら、自分が守るために。
 16歳で団地の商店街の洋菓子店に弟子入り。
 仕事もしっかり。

 団地内には商店街も病院も役所も集会所もあり、狭い狭い2kの部屋も、なんというか…余分なものが削ぎ落とされた必要最小限的スペース感があって、これはこれで居心地よさそう。

 主人公の悟の、12歳から30歳までを演じる濱田岳がとてもいい味を出していました。

 映画「ゴールデンスランバー」の”キルオ”は、小説の作者・伊坂幸太郎が「濱田岳を想定して書いた」とのことですが、人間離れした妖精のようなキルオ同様、聖人のような悟も、彼以外の役者では演じられそうにない役です(小学生の役ができる大人ってなかなかいませんし)。
 
愛しさと切なさを駆り立てる純心一本気男子、ここにあり
 男の子を持つお母さん、特にオススメです!

 それでですね…もしも、映画のエンディングロールにクレジットされた「東京エキストラNOTES」という文字に気がついたら…。
 それは蟹座の同居人のサイトです(笑)。→
 
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 雪の夜は雪明りで辺りは明るい。

 こんな日は雪見酒といきましょう。

 日本酒もいいけれど、暖かい部屋で飲むベルギーなどのビールはこたえられません!

 古より、修道院内でそのレシピと製造法が連綿と伝えられた秘伝のビール。
 そういえば修道院も閉じた世界のひとつですね。

 何かをじっくり醸成・成就させるには、一時的に、あるいは部分的に世界を閉ざすことが必要かも知れません

 

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ヒュアキントスとアッシェンバッハ教授

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 春の訪れのごとく、台所に置いておいたヒヤシンスが花をつけ始めました。

 青紫のヒヤシンスというのは西洋の美少年を連想させます。

 太陽神アポロンに溺愛され、西風の神ゼヒュロスに嫉妬された、スパルタの美しい王子ヒュアキントス

 彼が死んだ時に流れ出た血から咲いた花がヒヤシンスということです。 

 ヒュアキントスような美少年…といえば、ヴィスコンティの映画「ベニスに死す」に出演した時のビョルン・アンドレセン演じるタッジオを一番に思い出します。
 
  「ギリシャ神話から抜け出たような」
 という表現が陳腐に思えるほどの、自然という造物主の創造した最高傑作の人間とはこれですよ、と示されているような少年。

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 純潔、優雅、高貴、若さ、上品さ、しなやかさ…そういった美質が指先や髪の毛の一本一本にまで行渡っているような、生まれながらにして至高の美を体現しているかのような存在のタッジオ。

 そのタッジオに驚愕し、打ちのめされ、ひれ伏す人間を熱演してくれたのが、ダーク・ボガード扮するアッシェンバッハ教授でした。
 (ここでは”教授”と呼ばせていただきます。)

 教授は「小説の作者・トーマス・マン自身と 音楽家のグスタフ・マーラーがモデル」といわれています。
  大変な才能の持ち主なので、いわゆる一般人とは違います。

 しかし、高名な芸術家であるからこそ、ウルトラハイレベルな神の意匠の前においては、自身の血の滲むような日々の闘い、あるいは自分自身の存在さえ、
 偏に風の前の塵に等しいというか、阿呆のわざくれとうか、要するに嘘っぱちの茶番なのだ!
 といった無常観を感じてしまうのです。

 そして同時に、エロス的情動に身を任せずにはいられない教授なのでした。

  タッジオは、ホテルや浜辺で教授とすれ違った際、一瞬視線をやったり、ほんの一幽かに笑んだような表情を向けるものの、教授のことはほとんど気にかけていない様子。

 一方、教授は完全にタッジオに支配され、彼のことしか考えられなくなってしまいます。
 
 激しい恋の嵐に翻弄される人の症状は、どうやら10代の少女よりも、ストイックに観念的に真面目に生きてきた初老のオジサンの方が、より重いようです。

 瞳孔は開き、顔は高潮し、息遣いは荒くなり、汗が噴き出し、心臓は破裂しそう。
 あるいは、苦しみに蒼ざめ、めまいに襲われ 悲嘆に暮れ、涙に咽ぶ。

  身体が宙に舞い上がるほどの高揚感と、暗い地の底にたたきつけられるような絶望感との狭間を行き来するのです。

 このように、理性が完全に失われた結果、様々な奇行に走らずにはいられない教授なのでした。
 もう、交感神経がテンパり続け、ドーパミンだかアドレナリンだかエンドルフィンだかが出まくっていて止まりません!

 強烈な官能の力による「恋の奴隷」状態です。

 でも…どうか「気持ち悪い」って言わないであげて下さい。
 本人だってどうにもならないのですから

  やがて…教授は、あたかもこの美しい死の天使に導かれたかのように、”天使”の姿を目で追いながら、旅先のベニスの浜で静かに息絶えるのでした。

 ダーク・ボガードという役者は、こういう役が実に似合うのですね。

 童顔で純朴さを感じさせる大きな黒い瞳のボガードが、魔性の相手にすっかりしてやられてしまうという展開は、映画「愛の嵐」の時のシャーロット・ランプリングとのからみに通じるものがあります。

  ところで、この物語は、作者トーマス・マンが実際にベニスに旅行した際に起きたことがベースとなっているのですが、なんとタッジオ少年は実在していたのでした。

 タッジオのモデルはポーランド貴族の末裔のタデウスという名の人物だったとか。

 ともあれ、世間に広く知れ渡った”タッジオ”といえば、ビョルン・アンドレセンその人だったわけですが、ビョルン自身は
 「今の私なら当時の自分に、そんな映画に出てはいけない、と言うだろう」
 とインタビューで答えていたくらい 、この映画に出演したことによって大変な苦労をしてしまったようです。

 
 もともとは音楽学校でクラシックを学び、ロックバンドを組んでいた彼。現在はストックホルムで音楽関係の仕事をしながら家族と暮らしているようです。 


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映画・ノルウェイの森

 2011年2月の公開最終日に滑り込みで観てまいりました。
 3・11の震災などの影響…は、ほとんど関係ないのですが、今頃、映画評を書いています。ははは。
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 映画・ノルウェイの森のパンフレット→
 プルート通信内の関連記事ノルウェイの森のこともご参照下さい。

 ●緑役の水原希子ちゃんは、トラン監督の奥さんの若い頃にそっくり!母性を感じさせる弥勒菩薩顔。
 
 監督の奥さんとは、彼の作品には欠かせないアーティストのイェンケ・リュゲルヌです。
 青いパパイヤの香り夏至などでヒロイン役をやっていた人ですね。

 女性の好みが一貫しているところが一徹な山羊座のトラン監督らしいなぁと感じ入りました。
  
 ●日本人監督なら(たぶん)69年当時の雰囲気を作品に盛り込むにあたり、当時の風物…たとえば都電とか、街や路地などの様子を再現したくなるんじゃないか…と感じるのですが、この映画にはそういったものはありません。
 あくまで外国人の想像上の過去の日本なのです。
 なので、作品世界が、確かに過去の日本なんだろうけれど、実際の69年というよりはパラレルワールドの過去の日本といったような不思議な感じでした。

 なんといいましょうか、「此処ではない何処か」を描いたファンタジー作品のような…。

 「ノルウェイの森」の映画化に関しては、これはもうよく村上春樹からOKをもらえたことだ!のひとことでして、そういった意味合いで、私はトラン監督は「よくやった」のではないかと感じます。
 
 もっとずっと後の世代に、それこそ原作者亡き後とか、この作品が古典的なポジショニングを得るであろう頃とかに、映画化する日本人が出るかも知れませんが。

 作品世界の芸術性に関しては、私は好きです。
「青いパパイヤ~」や「夏至」などのトラン作品同様、どの場面を切り取っても、細部まで監督の芸術的神経がいきわたったみごとな絵になっていました。

 さて…映画ではなく原作に関して。
 
 これは、「死」という絶対的で敵わない相手に囚われてしまった儚げな直子姫を、なんとか生きた世界に連れ戻そうと奮闘するも、敢え無く敗れ、自身も深い傷を負う騎士ワタナベの物語。

 この作品の個人的な感想は、観念的な何か(この作品の場合は死)に囚われ過ぎてしまった頑固者はどうにも出来ないものであるなぁということでした(最初に読んだ20年以上前も、今も)。

  およそ、自然は人間がコントロールできるものではありません。
 いくら文明を発達させても、台風や地震や火山の噴火などの自然現象そのものを防ぐことは不可能です。
 死も同様です。

 ・どうせ死ぬのだから、漫然とその時を待つのではなく、死に方と死ぬ時期を自分で選び取りたい派。

 ・いづれ死ぬのだが、それまでは何らかの代償を払いつつ、とにもかくにも生きてゆく派。
 もしこういった派閥あるがあるとしたら、管理人は後者です。

 死とは、絶対的で理不尽です。
 死んで楽になりたいくらい辛い、と感じても望みどおり死ねるものでもないし、また、どんなに生きたくても、無念にもその生をもぎ取られてしまうこともある。
 死はコントロール出来ません。
  
 死んだ瞬間には自分の意識はすでにないので、私たちは死そのものを体験したり味わったり堪能したりも出来ません

 死んだ後の事も、遺された人たちのことも、死んでしまった身にはあずかり知らぬこと。
 死がイベントになりうるのは、あくまでも死んだ本人ではなく生きている人たちにとってのことなのです。
 
 これはとどのつまり私にとって私の死は存在しないということではないか。
 管理人流メメエントモリの結論はこのように整いました。
  
 自分の死とは観念以外の何ものでもありません。
 観念に囚われすぎて現実生活がうまくいかなくなってしまう、というのは…受身すぎるかヒマすぎるかのどちらかではないか、と。
 小人閑居して不善をなす(個人的経験上)。

   井戸に落っこちるのはしょうがないとして、そこからいかに這い上がったか、という話なら好きなのですが。
  
 そんな感覚なものですから、死の妄想とか死ぬことに囚われてしまった人の話には…やはりどうにも心が惹かれないのです。 

   

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魚座的愛の世界―フレンズ・ポールとミシェルⅠ

 フレンズ―ポールとミシェルを観ました。実に30年ぶりです。
 
 映画が公開されたのは’71年です。
当時、管理人は小学生で、同じ年に公開された小さな恋のメロディという作品をとても愛する子どもでした。
 劇場で観た「フレンズ」の予告編は衝撃的過ぎて、すぐに観る気になれず、この作品を観たのは高校3年の終わり頃でした。
大学の合格発表を待ちつつ観た記憶があります。

 14歳のミシェルと15歳のポールの逃避行。
隠れ家での二人だけの愛の生活。やがて妊娠、出産……そして悲劇を予感させるラスト。

 予告編以上に衝撃を受けた本編でしたが、あれから30年。
当時は持てなかった視点で作品と向き合う自分がおります。
 
 この映画の原作者でもあるルイス・ギルバート監督は、3月6日生まれの魚座
 イタリアルネッサンスの偉大な芸術家、ミケランジェロと同じ誕生日です。
魚座は生まれながらにして美的感覚をはじめとする様々な感覚の豊かな星座
 だからでしょうか。魚座生まれのアーティストやクリエイターの多いこと。

 20世紀の奇跡のバレエダンサー・ニジンスキー他、ヌレエフ、ルノワール、ミケランジェロ、ショパン、ヘンデル、ラヴェル、ロッシーニ、ヴィヴァルディ、スメタナ、ヨハン.シュトラウス1世、ヴィクトル・ユーゴ、イプセン、ワーズワースなどなど、綺羅星のごとく輝く芸術家のオンパレードを擁するのが魚座宮です。

  繊細で純度の高い感覚世界に生きる魚座人は、総じて現実生活との折り合いが不得手です。

 魚座男性は、実務の現場などで
 「アイツ、どうも仕事の詰めが甘いよな~、っていうか感情や感覚に振り回され過ぎ?」
 なんて言われてしまうのですが
 ハードな体系的思考が苦手な感覚派だからなんじゃないか、と思われます。
 それは、裏を返せば、彼らの多くが本格的な芸術家たる可能性を秘めたる所以なのです。

 あるいはパートナーの女性から
 「彼、一緒にいて楽しいんだけど、ここぞと言う時に頼りないのよね。大したことじゃない次元で大騒ぎしたり、得意げになったり」
と思われているかも知れません。
 いいじゃありませんか、あなたがしっかりしていれば。
 彼の良さは優しさと他者への許しと献身です。
 それに、おだてりゃ、いくらでもその気になって頑張ってくれちゃうでしょ?
まぁ、あなたのご期待からすれば的が外れているかも知れませんが。
 さらに、才能を発揮した時の神がかり的な飛翔とでもいいましょうか…。
 そういえば、日本での魚座の有名人の代表格といえば、長嶋茂雄
桑田圭祐、竹中直人そしてバレエの熊川哲也、フィギュアスケートの高橋大輔です。
…なるほど。

 生き馬の目を抜くような過当競争の中での、取るか取られるか、といった生活にはおよそなじめません。
 激しい現実の嵐から守ってくれる、揺り籠のような世界がなければ疲弊してしまうのが魚座人です。

 さて、ポールとミシェルが愛を育むロケ地となったアルルのカマルグは、二股に分岐したローヌ川と地中海に囲まれた三角州。
その中心部にはヴァカレス湖を有する湿地帯です。
 そこは珍しい塩生植物や、世界中から飛来する野鳥などで形成された生態系が存在しており、とりわけカマルグのフラミンゴや半野生化した白い馬は有名です。
 美しい夢のような生命の揺籃といった場所なんですね。
Photo
 なんと、水の宮の魚座らしいロケーションでしょう。(右の絵画はゴッホが描いた、カマルグのサント・マリー・ド・ラ・メール)

 母なる水に囲まれた湿地帯。
 その水辺の小さなアトリエで、日がな一日絵を描いて、バッカス神からの賜物のワインで酔っぱらう。
 傍らには、ボッチチェリのヴィーナスのように可憐な妻と天使のように可愛い子どもたち。
窓の外には水を蹴って走る白馬の群れ。
 夕焼けの圧倒的な赤の中で、何か楽器を奏でつつ一日の終焉を迎える。
母親の子宮を象徴するような、このうえなく平和で美しい小宇宙
 

 魚座のアーティストが理想とする世界そのものです。

 こんな生活で一生を終えることが出来たら…。
 ミシェルの父・画家のリシャール・ラトゥールとポール・ハリソンはギルバート監督の分身でしょう。

 しかし、この理想郷は、儚い夢のような世界。
 やがて、迫り来る現実のまえに、もろくも砕け散ってしまうのですが…。
 カマルグのような美しい生態系はもろい。ポールとミシェルの愛の世界も。無粋な土足で踏みにじられたら二度と元へは戻れないだろう
  優しい魚座のギルバート監督の言いたかったことの一つはこういうことかも知れません。

 魚座的愛の世界-フレンズ・ポールとミシェルⅡに続きます。

フレンズの世界を堪能したい方はこちらのサイトへぜひ!→カマルグのアトリエ


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若葉の頃―小さな恋のメロディⅡ

紅茶党―小さな恋のメロディの続きです。


歓声とともに、いつも走り回っている。
集団で、何か良からぬことをたくらんでいるようなノーティボーイ
本人たちはそうと気付かず、妙にコケティッシュな女の子
夢と現実を行ったり来たり。
地面の5cmほど上を、天駆けているかのような身の軽さ。
しなやかさ。
天使のような小鬼ども

Photo_2photo:Sozai Room.com


映画
小さな恋のメロディ
に描かれた、特別な季節、思春期。

 授業をサボって、海辺でデートしていたダニエルとメロディに、校長先生はお説教。

「生徒が学校に来なかったら、我々は教えることも出来ん」

そうなんです。
子どもがいなかったら教師も親も成り立ちません。
 
 ハーメルンの笛吹きじゃないけれど、もしも、子どもが消えてしまったら、この世は、死んだような世界になってしまいます。

 映画のラストは、ダニエルとメロディが共にトロッコに乗って、未来へ…という示唆的な感じで終わっています。
これに
「稼ぎもない子ども二人が、どうやって生きていくんだ」
という疑問や違和感を感じた人もおありでしょう。
 
 でも、ここから作者のメッセージを読み取ることが出来ます。
 
 子どもがうんざりして逃げ出したくなるような世の中は、大人の責任ですかね、やはり。

 「大人になるって、みじめなものでしょ」
 と感じるダニエルに、大人は納得のいく答えを、態度や生き方で示せるかどうか。
あるいは、その不安に寄り添えるかどうか…。
 本当の意味での大人の責任はこのあたりにありそうな気がします。
 子どもをスポイルしたり、干からびた説教で煙に巻いてばかりいたら、大人の元から逃げ出したくなっちゃうのも道理かも。

 ダニエルとメロディが、海辺で潮風に吹かれながら、砂の城を創っているシーンは、まさに地上に舞い降りた天使のようでした。

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紅茶党-小さな恋のメロディ

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管理人は紅茶党。

 煎茶や珈琲も好きですが、日常的に紅茶を愛飲しています。

朝は、お湯を沸かしてポットで紅茶を淹れているうちに目が覚めてきます。

 濃い目に淹れて、蜂蜜や砂糖、クリープや暖めた牛乳、あるいはマーマレイド、時に生姜などを淹れて飲みます。手軽なティーバッグもよく使いますが、必ず沸騰したお湯でポットで淹れ、ティーコゼー(お茶帽子)で保温します。

 茶器は、丈夫で使いやすく品のあるウェッジウッド。かつて香港やシンガポールを旅行した時に、安く手に入れたものです。

 写真は、我が家にあるブルー&ホワイトの食器。カップ&ソーサーはウェエッジウッドではなく、スポードのブルーイタリアン。ヴィクトリア時代の雰囲気が感じられる柄です。

 我が家には白地に青の柄の磁器が多く、産出国は英国、タイ、日本、デンマーク、ベトナム、韓国とバラバラです。でも、色使いが同じなので違和感はありません。
 ちなみに、普段使いするため高級品は持っていません。

 話を紅茶に戻します。
 管理人が小学生の頃、大ヒットした小さな恋のメロディというイギリス映画がありました。
 思春期の、可愛い子役たちの魅力が一杯の学園ものです。

 管理人にとっての最も印象的なシーン。
 
 ヒロインのメロディが、学校の帰りに、好きになったダニエルを家に誘います。
 メロディの家ではちょうど3時のお茶の時間。
 家族は、娘が連れてきた突然の来客を暖かく迎え入れます。

 お母さんが、大きなティ-ポットから熱いお茶を注ぎ、これまた大きな生ハムのスライスをお皿に取り分けてくれます。
 「ハムは骨の周りが一番美味しいわ」
と、お婆さん。
 
な、何っ!?このバラ色の、ハンカチ大の、うす~い美味しそうなハムは!
 明らかに日本のハムと違うハム。

 さらに
 「ダニエル、魚食べる?」
 とお母さん。

 魚!?ティータイムに魚!焼き魚?まさか、煮魚じゃないよね。
何だか知らないけれど、紅茶と合う魚って食べてみたい……。

 この魚、オイルサーディンですね。トーストに乗せて食べると美味しいですよね。

当時の日本の子どもには十分にエキゾチックな英国の食生活。

でもって、愉快なお父さんが、娘の初めてのBFを前にして、やたらとテンパりながら、嘘かホントか分からない話で、一所懸命笑いを取ろうとするところ。
 英国庶民の幸せそうな一家団欒の様子にすっかり魅了されてしまいました。

ダニエルとメロディの愛の語らいも、トムの頼もしいガキ大将ぶりも、ラストのカッコイイ結婚式も、ビージーズやCSN&Yの音楽も,皆みんな素敵だったですとも!
 しか~し!
 食い意地の張った子どもだった管理人の印象に残ったのは食事のシーンばかり。

 他にも、ダニエルのママが出かける直前までお茶を飲んでいるシーン、職員室の朝のティータイム(ただし、ここで先生方が飲んでいるのはネスレのインスタント珈琲だそうです)など、実に美味しそうなお茶がよく出てくる映画でした。

 高校の頃はなぜか一部の友人たちの間で紅茶が流行し、男子も女子も、ダージリンがいいだの、アッサムだの、オレンジ・ペコがどうのこうのとおしゃべりしていた記憶があります。
 
 ちなみに管理人は祁門(キームン)かアールグレイが好きです。

愛すべきガキ大将、トムを演じたジャック・ワイルドは、2006年に53歳で世を去りました。 
 映画「オリバー」で、すでに本格的な演劇人を予感させる芸達者ぶりだったジャック。 
ありし日のジャック・ワイルド

カマルグのアトリエ管理人・モーランGさんの、目頭が熱くなるようなサイトです。

 一方、ダニエルを演じたマーク・レスター
天使というものが地上に存在したら、きっと、かくあるべしと思わせる程、可愛かった彼は,カイロ・クリニックを経営する実業家に。
カールトン・クリニック

若葉の頃―小さな恋のメロディⅡへ続きます。 
 

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乙女座は塵を積もらせ山にする

 ショーシャンクの空には最も好きな映画の中の一つ。
 

製作発表された’94年、アカデミー賞を受賞したのはフォレストガンプでした。
 その影であまり目立たない存在に甘んじている感があるのですが、私は断然、断然こちらのファンです。

 この映画は、ほとんど絶望的に見える局面においても、針の穴からさす光ほどの希望を信じて、知性と能力を総動員しつつそれに向かった人間が、最後にどんなすごいことを引き起こすかを、
教条的な説教臭さを一切排除して見せてくれます。

 慎重で堅実な努力の積み重ねが、まるで魔法のように途方もないラストに集約していく様子は圧巻。もう恐れ入りやの鬼子母神(!?)な作品。

 管理人思うに、その途方もないコツコツ努力の主人公、アンディ・デュフレーンは乙女座です。

 若くして銀行の副頭取を勤めるアンディは実務家の典型。言ってみれば非感覚的人間です。
 事実関係の裏打ちなしに、雰囲気や好みや人情に流されて物事を信じ込んだりしません

 とっつきが悪く、第一印象は冷酷に見えるのですが、けっしてそうではありません。情熱を内に秘めた理性派なのです。 
 たとえば映画の中でアンディが、高校中退のロックンロール兄ちゃん・トミーに高卒の資格を取らせようと、一所懸命勉強を教える姿はとても暖かくって優しい。

 緻密でコンサバティブ。 そして、周到で完璧な戦略

 この映画を観ると、実務家の実力にあこがれちゃいます。

 これらの特徴を知れば知るほどアンディが乙女座に見えてくる、っていうんで調べてみたら、この映画の原作者のホラー小説王、スティーブン・キングが’47年9月21日生まれの乙女座でした。

 占星術翁・満天王いわく
 「絵でも建築物でも文章でも、作品というものはすべて作者そのもの。
たとえば小説の主人公や重要人物は、たいていその作者の姿が投影されているものじゃ」
うんうん。翁、本当にそうだね。さすが年の功。

 映画「ショーシャンクの空に」の原作は、キングの短編集、「ゴールデンボーイー恐怖の四季・春夏編」に収められた刑務所のリタ・ヘイワース

 さて原作の主人公アンディはたしか、小柄で華奢な神経質そうな男、となっていたと思いますが、映画では2m近い大男ティム・ロビンスが好演しています。
 相手役のモーガン・フリーマンはアカデミー賞、ゴールデングローブ賞の主演男優賞にノミネートされました。
 いたいけで可愛いロックンロール兄ちゃんトミーはギル・ベロウズです。
ちなみにどうもトミーは魚座に見えてしまう管理人です。


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秘密の花園

 幼い頃より、心の奥底に培ってきた小宇宙
 現実に疲れた折などに訪れては、そこの草木や空気、水や生きものと親しみ、再び現実世界に蘇生してゆくための、この世のどこにもない秘密の場所。

 子どものころ(もちろん大人になってからも)、たぶん誰しも親しんだであろう特別な場所を思い出させてくれるのが、映画秘密の花園(原作:フランセス・H・バーネット)です。   

 考えてみれば子どもの人生ってなかなか大変です。
 知性もプライドもあるのに、生活力、知識、経験がなく、おまけに体力もないので、当面は大人に依存せずには生きていけないのですから。

 メアリとコリンは上流階級の生まれですが、それぞれ大人からの愛情に恵まれず、周囲から徹底的にスポイルされています。
 最初、メアリは頑迷な老人のように気難しい子どもとして、コリンは死の恐怖におびえつつ、ヒステリーの発作を繰り返す寝たきりの子どもとして、つまり、とうてい手に負えないような、哀れな風情で登場します。

 ただその性格と体質は彼ら生来のものではなく、実は、置かれた環境をそのまま体現しているだけ、ということがよくわかります。 

 子どもは本来、生命力旺盛。豊かな感性や、他者と親密になれる才能も生まれながらにして持っているものです。もちろんメアリとコリンとて例外ではありません。

 メアリはある日、封印された庭を発見します。
 この庭と、召使の弟・野生児のようなディコンの助けをかりて、はじめて自分の意思で何かを成し遂げようと決意し、実行するメアリとコリン。
 みるみる蘇生してゆく彼らは、本来の柔軟さと健康を取り戻しただけでなく、エロティックですらあります。

 妻の死から立ち直れず、妻を思い出させる息子コリンとの関わりを持つことができなかったクレイブン卿や、使用人頭のサディスティックなメドロック女史、子ども嫌いで社交にしか興味がなかったメアリの母親らからはエロスのかけらも感じなかったのに。

 この映画は、健康な子ども同士というのは十分エロス的存在だということを教えてくれます。

 プラトンによればエロスとは真善美に到達しようとする哲学的衝動ということです。
 なので、いろいろあって疲れちゃってる(笑)大人よりは、子どものほうがエロスに近いのも当然なのかもしれません。

 子どもはエロスの何たるかをただ生きているだけで示してくれる。

 大人は子どもを養ってやっている、などと思っていますが、実は生かされているのは、大人の方なのかも知れません。

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天秤座シガニーのバランスの良さ

  前回ご紹介した映画スノーホワイトSNOW WHITEで大活躍だったシガニー・ウィ―バー
 いやはや上品な奥方から、悲劇の母親、誘惑的なファムファタル、狂気に翻弄されて止まらない魔女、そして極めつけは特殊メイクを駆使したリンゴ売りの老婆と、この1本で「シガニー大変身」を堪能できます。
見ている方も楽しいけれど、演っている方はさぞや楽しいであろうと思わせる映画です。

 シガニー・ウィ―バーは1949年、10月8日が誕生日の天秤座。テレビ会社社長の父と女優の母を持つ生粋のニューヨークっ子です。スタンフォード大では英文学を、エール大では演劇を専攻して修士号を取った才媛。
 その後アクターズワークショップで演劇を学び、舞台女優を経て’77年「アニーホール」で映画デビュー。
アカデミー賞に複数ノミネートされるなど、女優としての地位を不動のものにしています。
夫は舞台演出家。現在は映画制作のプロダクションを設立し、さらに精力的に活躍しています。
また、41歳でママにもなっています。

 このプロフィールでもわかるとおり、生まれ育ちがいいだけでは手にできない成功を得ているシガニー。
 まさに天秤座的なすぐれた現実感覚と、バランスの良さを持ち合わせています。
有能な実業家が女優もやっているという感じでしょうか。
何をやらせても器用にこなし、それでいて器用貧乏にはおちいっていないのですね。

 天秤座はエネルギッシュでスタミナにあふれ、仕事や遊びの仲間として人気がある、ということですが、それは、仕事には遊びの楽しさを、遊びには仕事の真剣さを取り入れられるバランス感覚の良さゆえでしょう。
 エネルギッシュとはいっても、「汗」とか「根性」とかとはおよそ無縁に見える天秤座。
 けっこう、すごいことをサラリとやっているように見え、努力を表に出すような無粋さを感じさせない優雅な星座です。

天秤座:9/23~10/22、風の宮、支配星は金星

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映画スノーホワイトに見る母娘の心理劇

グリム童話の白雪姫をリメイクした映画は数あれど、中でも個人的によくできているなぁと感心したのが、シガニー・ウィーバー、モニカ・キーナ出演のスノーホワイトSNOW WHITE(’97初公開・米)

 洋の東西を問わず、おとぎ話によく登場するテーマのひとつに継母ものがあります。
 白雪姫シンデレラ、鉢かつぎ姫などに見られる継母は、なさぬ仲の娘の存在を脅かしにかかるのが定番。 
 が、実はこの継母たち、心理学的には実母と見るのが妥当なようです。

 「まさか~。どうして実の母親がわが娘を脅かすの?」
 と思った方は、母娘間の葛藤がない、あるいは比較的少ない幸運な方かも知れません。
 母親と娘はある時を境に、女としての存在や生き方をめぐって火花を散らすことがあるのです…。
 
 中世、北ヨーロッパのとある領主の後妻として迎えられたクローディアは、美しく、教養豊かな女性。
 何かと反抗的な先妻の娘リリーとも、なんとか仲良くなりたいと願っています。

というのも、クローディアの母親は、ある理由で世間から差別され、不幸なまま死んでいった女性。
 そんな母のもとで育ったクローディアの悲願は、この世界に輝かしい形で受け入れられ、母が果たせなかった幸福―人間として、女性として、母親としての幸せを享受すること

 生まれた時からいい家に育った令嬢のようにふるまうクローディアは、普段は本来の自分を抑圧しています。
 その抑圧したシャドウとも言うべきもう一人の自分を鏡の中に閉じ込めて、精神のバランスをうまく保っていたクローディアでしたが…。
 可愛いかった娘が、いつしか自分の存在を脅かすような女性と化した時、母親もまた恐ろしい魔女に変身してしまうのです。

 それにしても…女同士の、狂気と正気の、邪気と無邪気の壮絶な闘いの前に、王も青年貴族もなすすべもなくデクノボウ状態なのでした。
 いやはや、抑圧されていない男は、抑圧されている女の前では赤ん坊も同然。
 これを読んでいる方も、誰かの地雷を踏まぬよう気をつけましょう。
 この映画に関する心理学的補足説明こちらをクリック。 

★シガニー・ウィ―バーが狂気の「継母」クローディアをド迫力で演じています。
対する「白雪姫」リリーも、原作のような弱々しい姫ではありません。理不尽な事態に果敢に立ち向かってゆく気の強いお嬢を、モニカ・キーナが好演。
中世の、異教徒や魔女迫害に対するテーゼも盛り込まれており、演出も凝っていて、子ども向けの甘い作りにはなっていません。
 画面はあくまで、幻想的で、悲劇的な美しさをたたえるファンタジック・ゴシック・ホラーです。 

★こちらは男性版です。グリム童話の蛙の王ー母親に呪われた青年

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