Christmas†クリスマス!№6キリスト教と無関係だった風習

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モミの木
 真冬の最中、雪や氷の中にあってもなお緑が青々としているモミの木は超自然的で神秘的な感じがします。アルザス地方では昔からこの木には何か特別な霊力が宿っていると信じられていました。
 古い伝説ではこの木を「生命の木」「楽園の木」と呼び、キリスト教以降はエデンの園に生えていた、すなわちイブがヘビにだまされたもととなった木であるとされたそうです。

 クリスマスにはモミの木に赤いりんごが飾られました。その後、お菓子やおもちゃ等をつるすようになったのですが、こうしてクリスマスツリーはアルザス地方からフランスとドイツに、さらにドイツからオーストリア、ポーランド、英国、北アメリカへと広がっていきました。

 英国で初めて、クリスマスにモミのツリーを持ち込んだのはヴィクトリア女王の夫アルバート公でした。公は故郷ドイツの習慣を英国に持ち込み、英国のクリスマスのホームパーティに多大に貢献したのです。くわしくは別の回で。 

七面鳥
 クリスマスのご馳走といえば七面鳥を連想する方は多いですよね。この風習は比較的新しく、1620以降のアメリカで生まれました。
 その年、メイフラワー号でヨーロッパからはるばる渡って来た清教徒たちは、寒さと飢えでその半数が命を落としていました。上陸後も食べものに事欠いた彼らにとって、簡単に捕まえられる野生の七面長は命を繋ぐご馳走でした。

 やがて先住民に農業を教えてもらい、翌年の秋、彼らは初めての収穫祭を迎えることができたのでした。この時、先住民を招いて、ジャガイモや豆やとうもろこし、そして七面鳥などのご馳走を囲んだのが感謝祭(11月の第4木曜日)の始まりとなりました。
 豊かになってからも、先祖が味わったひもじさを忘れないようにとの思いを込めて、感謝祭やクリスマスには七面鳥を食べる風習になったということです。
 七面鳥の中には、玉ねぎやセロリ、レバーやパンを炒めたものを詰めて焼き、新大陸の特産物クランベリーのソースをそえます。付け合せは、これも新大陸の野菜であるとうもろこしやジャガイモです。

 ちなみにヨーロッパでのクリスマスのご馳走といえば伝統的に豚だそう。彼の地では冬が来る前に豚をつぶして、リエット(パテの一種)、ソーセージ、ブーダン(血と脂肪の腸詰)、塩漬けのハムやベーコンなどにして冬の間の保存食としますが、クリスマスにはこれらを振舞います。
 フランスでは豚に加えて、牡蠣や魚、フォアグラ、シャンパンがクリスマスの食卓にのぼるというのですから、さすがはグルメの国。

Bûch de Noël ブュッシュ・ド・ノエル
 フランスあたりの地域では昔から冬至祭に、暖炉で太く大きな薪を燃やす習慣がありました。これはもともとは子宝と収穫を願う儀式で、この薪は「神聖な薪」と呼ばれ、りんご、桜、オリーブ、胡桃、プラムなどの果物のなる木であること(子宝を意味する)、硬くて何日もゆっくり燃え続けることが条件でした。

 冬至祭の真夜中のミサが始まる少し前に火が点けられ、薪は少なくとも新年までは燃え続けました。この薪の消し炭はその後の一年間大切に保存され、家や畑を災害から守るお守りとされたり、またこの炭で腫れ物のまわりをこすればじきに治るといい伝えられていました。

 この風習がキリスト教に取り入れられてからは、公現日までの12日間ずっと燃え続ける薪としてBûch de Noël ブュッシュ・ド・ノエルと呼ばれるようになりました。

★キリスト教の最も初期の時代から、宣教師達の政策は常に、異教の習慣にキリスト教に基づく解釈と意味づけを行うことによって、その習慣に適応しそれを取り込むことだったと言えそうです。

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Christmas†クリスマス!№5サンタさんの紅茶

 東方の三博士の贈り物がXmasプレゼントの起源のひとつということですが、贈り物といえば、Xmasの大スターを忘れるわけにはいきません。そうです。サンタクロースその人です。

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サンタクロースとは誰か
 この方が一体誰だったか?については諸説ありますが、その中のひとつ聖ニコラウス説がかなり有名。きっとご存知の方も多いことでしょう。

 聖ニコラウスは西暦270年、小アジア(現在のトルコ)のミュラの町パタラで生まれました。貿易商の裕福な家庭に育ち、両親亡きあと、遺された莫大な遺産を貧しい人や病苦の人たちに分け与えました。彼自身は聖職につき、後にミュラの司祭になりました。

 この人をあらわす有名なエピソードの一つを紹介します。
ある貧しい両親がお金に困って、3人の娘を身売りに出そうとしていたところ、それを聞きつけた聖ニコラウスが、夜中にこっそり窓の外から金貨を投げ入れたのです。お陰で3人の娘は娼婦にならずにすみました。
 この時投げられた金貨は、たまたま暖炉のそばに干してあった靴下の中にすっぽりと入ったとかで、このエピソードが靴下の中のプレゼントというかたちで、現在まで残っているといわれています。
 

 聖ニコラウスは子供の守護聖人。頭上には司教の冠を戴き、片手に司教の杖、もう片手に黄金、あるいはパンののった書物を持ち、裾の長いローブをまとっている姿で描かれたりしています。
 
 ちなみにサンタクロースが現在のような、真っ赤なコスチュームをつけた白いヒゲで赤ら顔の陽気なおじいさんとして登場したのは1931年。アメリカの、コカコーラ社のCMイラストとして描かれた姿だったのです。サンドブロムという画家が油絵で描きました。
 それ以前の、ビジュアルとして描かれたサンタクロースは若者だったり、老人だったり、小人だったり、また服装も緑のガウンだったり、裸に近いものだったり色々でした。
 
 レイモンド・ブりッグスの絵本さむがりやのサンタ..福音館書店は、その陽気なサンタさんの、愛すべき堅実で幸福な日常が描かれていて、プルート通信管理人の大好きな絵本のうちの一冊です。大人も子どももたいそう楽しめることうけあい。

 日本では中国山地に、お年玉は親からもらうものではなく、神さまー庚申さまからもらうものとされ、大晦日の夜、子どもたちは庚申さまの前に自分のさいふを置いておく、という風習があったそうです。

 さてさて、タイトルのサンタさんの紅茶について。
 岩波書店のライオンと魔女・ナルニア国ものがたり(1)という話は、管理人が小学生の頃すっかりハマってしまったなのですが、その中に出てくるサンタさんが、大きな体をした、厳かな、気品のあるステキな人として描かれています。

 雪の中、命を脅かされつつ辛い旅をする一行のもとに、思いがけずサンタクロースがあらわれて、一行のそれぞれに重用な贈り物をわたします。その直後のシーンを引用してみます。

 ―とサンタクロースは、ふいにおごそかなようすをくずして、
 「今すぐみなさんにききめのあるものを、さしあげよう!」
ととりだしたのは(わたしはきっと、背中の袋から出したのだと思いますが、だれもとりだすところを見ていませんでした)、大きなおぼんで、その上に、五この茶わんと角砂糖の鉢、クリーム入れの壺、おまけにしゅうしゅう湯気をあげているとても大きな茶わかしまでのっていました。
 それからサンタじいさんは、
 「クリスマス、おめでとう!ほうんとうの王さま、ばんざい!」
と叫んで、むちをぴしりとならしますと、おじいさんもトナカイも、みんながわれにかえる前に、たちまち見えなくなってしまいました。
 ピーターが、さやから剣をひきぬいて、ビーバーさんに見せていますと、ビーバーおくさんは、みんなにいいました。
 「さあさあ、みなさん!そこに立ったままおしゃべりしていると、お茶がひえますよ。それじゃ、でくの棒ですよ。さ、おぼんをはこんでくださいな。朝ごはんにいたしましょう。パンきりナイフを持ってこようとおもいついて、なんて間がよかったんでしょ」
 そこで一同は急ながけをおりて、洞穴のなかにもどりますと、ビーバーさんがパンを切ってハムをいれてサンドイッチをこしらえ、ビーバー奥さんがお茶をついで、みんなしてたっぷりごちそうになりました。

 このハムはビーバーさんの家の天井から吊り下げられていた大きな骨付きのハム。それを薄く切ってはさんだサンドイッチとクリームたっぷりの熱い紅茶!作者の出身国のイギリスらしい食卓の風景ですが、このサンドイッチとサンタさんにもらった紅茶はどれほど美味しかっただろうか、などと幼い頭でしきりに想像していた頃を思い出します。

 この話のサンタクロースの登場のしかたは大変ドラマチックで、物語の一つの山場となっており、今でも読むたびに子どもの頃感じたワクワク感がよみがえります。
 この本を読む以前、サンタクロースに対しては、よくわからないけれど子ども好きの気前のいいおじいさんらしい…といったイメージしかなかったのですが、ナルニア国のサンタクロースはあきらかに神のみ使いの一人で、冒しがたい威厳と限りない優しさに満ちていて、読後、イメージが一変したものでした。

サンタクロースの呼び名
フランス語:Pèle Noëlペールノエル
ドイツ語:Weihnachtmannヴァイナハトマン、SamiChlausサミクラウス
英語:Father Cristmasファーザークリスマス
オランダ語:SinterKlaasシンタークラウス

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Christmas † クリスマス!№4東方の三博士と贈り物

 クリスマスというと、プレゼントがつきものですね。西洋では古くから、パーティなどで親しい者同士が交換しあったり、遠くの知人と送りあったり。近年日本でもすっかり定着したこの習慣。ではクリスマスプレゼントの起源となったのは……?
 

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東方の三博士とその贈り物
 イエスがベツレヘムの馬小屋で生まれたとき、その誕生を祝福する訪問者がありました。
 彼らは 「ユダヤのベツレヘムという村に、イスラエルの偉大なる王となるメシヤ(救世主)が生まれる」
 との星の予言を知り、未来のメシヤを拝むため、はるばる東方からやってきたのです。

 聖書では彼らを「学者」あるいはMagi-マギと呼んでいます。Magiとはペルシャの神に使える魔術師を示し、magic-魔法の語源となった言葉です。とはいえ、彼らはいわゆる魔法使いだったというわけではありません。天文学、占星術、薬学、哲学、占いなどに長けた賢者、学者たちだったようです。

 この訪問者は3人ということになっています。白髪と白髭の老人メルキオール、赤色人種の若者ガスパルド、黒人バルタザール。彼らはそれぞれ未来のメシヤに捧げるための贈り物を持参していました。

黄金Goldキリストの威厳を象徴。
乳香Frankincense北アフリカ産の樹脂のお香。キリストの神秘性を表す。
没薬Myrrhミュルラ-エジプトのミイラの語源。防腐剤として死体にしませる薬。やがて死すべき定めを暗示。
 
 この贈り物が後のクリスマスプレゼントの起源といわれています。O・ヘンリーの有名なクリスマスストーリー賢者のおくりものは原題をGift of the Magiといいますが、この題名は聖書の出来事から来ていることがわかります。
 3人の賢者がイエスのもとにやって来た日は1月6日。この日をEpiphany公現日といいます。神の民ユダヤ人ではない異邦人たちの訪問によって、イエスが全世界の王として公に現れた日を示しているそうです。
 12月25日のクリスマスから12日目にあたるので、Twelth dayとも呼ばれます。この期間を降誕節といい、クリスマスのお祝いの期間はこの日まで、ということになります。

 東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所にとまった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。(マタイによる福音書題2章1~10)
 この星は俗にベツレヘムの星と呼ばれていますが、この星の出現を示すと思われる事実が確認されています。バークレー聖書註解によると、当時、数年にわたり天体に異常な現象が現れた記録が残っています。
 特に王子誕生と呼ばれる月に天狼星(大犬座のシリウス)が空に異常な光を放った事実があるそうです。

イエス・キリストの意味
 イエスは名まえ、キリストは「油を注がれた者」という称号(ギリシャ語ではクリストス、ヘブライ語ではメシヤ、メサイア)です。イエス・キリストとは油を注がれた者・イエスという意味なのです。
 王、預言者、大司祭などの職務にある人は就任時に、頭に香油を注ぐ儀式をすることになっているそうです。この香油とは乳香などで香りをつけた油のこと。神の霊力が宿るとされ、それを注がれるということは、神の使命を果たす力が与えられたことを示すそうです。
 
★冒頭の写真の中央に映っているのは、直径7.5cmのクリスマス用アロマキャンドルですが、乳香と没薬が入っています。数年程前イギリスから個人輸入しました。
 火は…灯したことはありません。なにせ神の霊力が宿っているキャンドルです。恐れ多すぎます!それに、置いておくだけで周囲に十分神秘的な香りがただよい、さわった手からはしばらく香りが抜けないほど香気が強いのです。火なんかつけた日にゃ、おそらく家中すごいことになるのは必至と思われます(笑)。
 置いて眺めているだけで十分でございます。
 

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Christmas † クリスマス!№3リース

 ドアなどにリースを飾ると、とたんにクリスマスらしい雰囲気がただよい始めます。リースは英語ではWreath。うずまきという意味です。輪の形は終わりのない永遠をあらわしています。

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リースの起源
 発祥は古代ギリシャやローマ。花や枝葉や木の実で作ったリースは、名誉の印をあらわす賞として授けられていました。
 ’04年のアテネオリンピックでもよく目にした月桂冠ですが、古代より月桂樹(ローレル)はアポロンの霊木とされていたので、これを輪の冠にして競技の勝利者に与え、賞賛の意を表すのに用いられてきたのです。
 やがて様々なリースが、儀式や式典の時に、記念碑や墓などを飾るのにも用いられるようになり、現在に到っているそうです。

 薬草や香草やスパイスを用いたリースは魔よけとして、またリースの輪を通って幸福がやってくるという言い伝えもあり、永遠を表す形のリースは縁起ものとして、クリスマスにも飾られるようになりました。

 ★冒頭の写真は、今年のプルート通信管理人宅のクリスマスリースです。いまいちビシっとキマっていないのは手作りだからなんですよ。ツリーは飾りませんが、毎年この時期、ドアに手作りリースを掛けます。これのお陰で新聞屋さんや、お米やさんや、近所の人とひとしきり話が盛り上がったりします。

 実はこれ風水にのっとって作りました。管理人の家のドアは西にあります。風水では西に黄色いものを置くと、縁起がいいとか、お金がたまるとかいわれているので黄色や金やオレンジばかりを集めてみました。
 クリスマスリースなのに風水ってどうよ?まあ、なんというか…外国の文化を一応なんでも取り入れちゃって、自分たち流に消化してしまう日本人らしさがよく出ているリースということで(笑)。

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Christmas † クリスマス!№2冬至祭Ⅱ

 クリスマスはもともと冬至の祭りだったと前回の記事に書きました。当時の人々はどんな気持ちで冬至の祭りを迎えたのでしょうか。

 

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 とりわけ寒さが厳しいヨーロッパにおいて、冬というのは、常に死の恐怖と結びついていました。雪や氷や吹雪に閉じ込められ、気温は零下何十度にもなる日が何ヶ月も続きます。それは、このまま明るい太陽は拝めないのではないか、春や夏というのは自分の思い過ごしだったのではないか、と思えるような厳しさでした。

 保存食が尽きたら、槇が底をついてしまったら、重い病気にかかってしまったら…それらは即、死を意味するも同然。そんな恐怖とともにじっと身を潜めるようにして生きねばならない季節だったようです。
 この自然が与える厳しい試練ゆえ、冬至を迎えるということは、冬の峠を越えたも同然。この日を境に太陽は日増しに力を取り戻し、次第に昼が長くなります。死の恐怖を克服し、生への希望をとりもどす日として、いかに喜ばしい日であったか想像にかたくありません。

クリスマスの元になったお祭りと儀式
 ローマ神話のサトゥルヌスは農耕と豊穣を司り、土星Saturnの語源となった神。古代ローマではこの神を崇めるサトゥルナリア祭が行われていました。

 12月25日(冬至)から1月の6日までの7日間(12月17日から24日までという説も)、仕事や学業は休みとなり、ミサ(豊穣の儀式)や道化祭り、無礼講の宴会、仮面劇などが催され、人々は古代の精霊たちと一体になったかのような騒ぎに打ち興じたといわれています。そしてこの祭りが後の、カーニバルやハローウィンになっていったということです。

 その後に来るローマ帝国時代は初期キリスト教時代。キリスト教とは無関係のミトラ教の方が広く信仰されていました。ミトラ教は12月25日を「Nataris Sol Invictus (ナタリス・ソル・インヴィクタス)ー無敵の太陽の誕生日」という名の祭日としていました。この日は若い太陽神を崇める日で、再生した太陽の神が新生児の姿を借りて現れるとされていました。
 しかしミトラ教はローマ帝国の国教とはならずに、次第にキリスト教に取って代わられていきました。キリスト教はミトラ教を吸収していったのです。

 日本における冬至の祭りとはどんなものだったのでしょうか。
 日照時間が一年で最も短い霜月の下弦の日(現在の12月22日頃)は、農耕生活者にとっても危機感をあおる日だったようです。神々を村に迎えて盛大に祝う行事が冬至前後に集中していたようで、地方によっては地上で盛んに火をたいて太陽の光を強めようとする祭りなどもありました。
 冬至の夜に神聖な旅人が村々を訪れ、奇跡を起こすという伝説が多く残っており、これなどはサンタクロースを彷彿とさせます。ちなみに、この旅人は弘法大師とするところが多いそうです。

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Christmas † クリスマス!冬至祭

 クリスマス。この言葉を聞くと、なぜかうきうきしてしまいます。キリスト教信者でもないのに無節操?いえいえ。もともとこの時期は古来より、世界各地で冬至のお祭りが行われていたのです。

 冬至は一年で一番日照時間の短い日。暦の上ではだいたい12月の22頃がこの日にあたります。昔の人々はこの日を境に、弱まった太陽が新しく生まれ変わる、と考えていました。太陽が新しく生まれ変わるーいわば太陽の復活を祝う冬至祭の類がこの時期行われていたようです。

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 冬来たりなば春遠からじ。冬至とは、寒く厳しい冬ももう後半に入ったのだという希望の日でもあったのでした。今のように文明が発達していない時代、「冬を越す」ということはまさに命がけ。無事に春まで過ごせますようにとの人々の願いと祈りは、今とは比べものにならないほど真剣だったのでしょう。
 キリスト教は太陽の復活とキリストの復活を結びつけ、冬至の祭りを信仰に取り入れることに成功したといえましょう。日本においても昔から、冬至の祭りは存在していたのです。うきうきするのは、ご先祖様伝来のDNAに組み込まれていることかも知れませんね。

クリスマスの始まり
 実はキリスト教の草創期には、クリスマスの祝祭は存在しませんでした。福音書にもキリスト降誕の正確な日付は記されていません。西暦354年、時のローマ教皇リベリウスが降誕祭を12月25日に設定したのです。

 世界中どこにおいても最も重要な祝祭は、太陽のまわりをまわる地球の推移を示す日付の前後に置かれます。冬至は暦の上ではだいたい12月の22日頃。一方、死後の復活を果たすキリストの降誕祭はキリスト教最大のお祭り。クリスマスを冬至の頃に持ってきた教皇は賢かった!

 日本では、例えばお彼岸は春分と秋分の日を中心に前後3日間、計7日間となっていますが、これは中国伝来の季節区分によります。現在は一般に墓参りや寺参りなどの行事の日になっていますが、これは仏教伝来以降のこと。これもキリスト教と同じように、古来からの太陽の推移をめぐる祭りと、特定の宗教が結びついた例といえましょう。古くは季節の変わり目として、農神を祭り、作物の豊穣・収穫を祈り感謝する習俗があったのです。

クリスマスの語源
英語 キリストのミサ=Christmas クリスマス
フランス語 誕生日=Noëlノエル(ラテン語で誕生日Natalis dies ナタリスディエス、あるいはギリシャ語のneos新しいhel太陽ー冬至の瞬間によみがえる太陽と符号)
ドイツ語 聖夜=Weihnachten ヴァイナハテン

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