Christmas†クリスマス!№9-Old fashoned

2012

 蟹座の同居人が、とあるパーティのお土産にクリスマスリースを頂いてまいりました。
 素朴で暖かい味わいのあるリースです。
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 最近届いたカードも昔を思い出させるテイストのもの。

 管理人が子どもの頃に抱いた外国のクリスマスのイメージは、まさにこのカードの世界そのものでした。

 昭和の中ごろ、クリスマスというと、「バタークリーム」のケーキ、サイダー、お菓子の入った長靴…といったものを親が用意してくれていた覚えがあります。

 この時期、親たちはお正月の準備で忙しそうでした。
 今と違って、年が明けると七草くらいまでほぼ完全にお店が閉まってしまうため、ちょっとした終末感があったものです。

 クリスマスについては、ただでさえ忙しい時期に何をすればいいのかよくわからない、ちょっとめんどうな子どものための西洋の習慣といった程度の認識だったようです。

 ところで、本物のバタークリームには生クリームを凌ぐ美味しさがあるのですが、昔の大量生産のケーキの「バタークリーム」は一体、何で出来ていたのでしょうか!?
 あの可愛らしいバラの花や渦巻きは…?
 
 なんとなれば、あれはバターの美味しさや風味など全くなく、食べると気持ち悪くなる代物で、したがって当時の管理人にとって、クリスマスケーキは綺麗だけど食べたくないモノ第一位、という位置にあったからなのですが。
 
 その後、不二家の二段重ねの生クリームの苺ショートにお目にかかった時はあまりの美味しさに驚いたものです。

 さらに、もっとずっと後に、本物のバタークリームのケーキを食べた時は愕然とした次第(話がクリスマスからそれるのでこれ以上詳しくは述べませんが・笑)。

 英語圏文化風のクリスマスパーティを経験したのは小学5~6年生の時です。

 当時、大学を出たばかりの若い女性の先生が、自宅で始めた英語塾に通っていました。
 この先生は、当時は珍しかった帰国子女でした。
 アメリカ在住の、先生のお姉さんが送ってくれるという英語の絵本や教材、本場のクリスマスグッズは大変に珍しくエキゾチックで華やかなものでした。

 この英語塾で、2学期の終業式の日の夕方、小学生のためにクリスマスパーティを開いてくれていたのです。

 それは本当に嬉しいパーティでした。

 美しいクリスマスの飾り、外国のゲーム、カードとプレゼントの交換、英語の賛美歌とクリスマスソング、クルトン入りのコーンスープにジンジャーブレッドなどなど…。

 今ではすっかり日本に定着したものばかりですが、当時の日本の庶民の子どもにとっては、何もかもが新鮮で、豊かな国アメリカへの憧憬の念を、いたくかきたてられたものでした。
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こちらも最近頂いたカード。
2012年らしく、モダンでスタイリッシュで可愛らしさ満点です。
こんなカードが届くと、子どもの頃に味わったクリスマスシーズンの胸の高鳴りがよみがえるよう。

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Christmas†クリスマス!№8冬の銀座

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 Christmas†クリスマス!№7ヴィクトリア時代
の続きです。
 今年は白いポインセチアのリースです。

 という色で連想するものは…

冬、雪、月、西、無垢、聖、無原罪、浄化、初心、清潔、白衣、白熊、白百合、ミルク、マシュマロ、シャボンやビールの泡、
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ブルボン王朝の旗…。

 同居人の一人が、易学で言うところの、12年間のうち3年ほど続く「運気の底」を意味するといわれる期間が、今年(2011年 )いっぱいで終わりを告げるとか。

 2012年の幕明けとともに、運気の喪も明けて、新たな人生のサイクルに入るということらしいのですが…本人を見ていると確かにそういう感じがします。

 そんな訳で、今年は様々な物事を清算するという意味の白でドアを飾りました。風水においても、2012年の幸運色は白だそうですよ。
 
 ところで、もしも今あなたが行き詰まりや不全感を感じていたとしたら、荷物を多く持ち過ぎて身動きがとれなくなっているのかも知れません。

 荷物とは、
・環境への過剰適応。
・気の進まない、あるいは辛い人間関係。
・言い訳をしつつ続けている事。
・時間つぶしにしか過ぎない雑事
・何かへの依存
 などを指します。

 あるいは自分の荷物でもない他人の荷物を勝手に背負い込んで四苦八苦していることも。

 そういうものに時間やエネルギーが分散されている状態では、自分が本当にしたいことやすべきことが何なのか分からなくなりそうです。
 そうなるとさらに閉塞感も増しそうです。
 こうした負のスパイラルから抜けるには荷物を絶ち切りましょう。

 (易学や占いとは関係なく) 荷物に向かって開かれていた扉を潔く閉めてみましょう。その風圧で新しい扉が開きます。荷物を手放した人には良い縁が流れ込んで来るものです。
 
 さて、2011年のクリスマスは3連休。
 「好きな人とゆっくりできて嬉しい」人、
 「こんなにいらない!することがない」人、
 「クリスマスだからって何なの」と思う人
 「稼ぎ時で大忙し」な人、様々でしょうね…。
 
 クリスマスといえば、晩秋から始まる銀座の、商店会や各店舗が施すクリスマスデコレーションは、洗練されていて華やかで本当に素敵です。
 ミキモトの巨大ツリーをはじめ、今年の銀座通りには天に向けて翼をはためかせた天使のオブジェが輝いていました

 その日管理人は、銀座のシャネルビルのネクサスホールで行なわれるピグマリオン・デイズ・コンサートを聴きに行く日でした。

 それは、創始者ガブリエル・シャネルが無名時代のピカソ、コクトー、ストラヴィンスキーら多数の芸術家を支援していた精神に則って行なわれているもので、才能ある若手アーティストたちと観客との出会いの場を提供しているとのこと。
 インターネットで応募すると抽選で招待メールが来ます。

  お昼過ぎに日本橋へ行き、そこから歩いて京橋の画廊などをめぐりつつ、旧友との待ち合わせ場所・教文館へ向かいました。

 ちなみに画廊考古洞はお勧めです。
 京橋の裏通りにひっそりとある古へのタイムカプセルのような場所です。
 遥か古代の芸術作品のパワーに魅入られること間違いなし。

 演奏会はソワレ(17:00開演)だったので、安いカフェで、サンドイッチを水で流し込み(演奏会前にカフェインを取るとトイレが近くなるため)いざシャネルビルへ。

 本日の演奏は、ピアノ、ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラによるブラームスとシェーンベルグ。

 クラシックってわからない、敷居が高い、という方は多いですよね。
 それは、日常的にあまりなじみがなく、特別な時に高いお金を出して聴くもの、という日本の、クラシック音楽を取り巻く環境に起因していそうです。

 どんな芸術でも、とりあえず数多く触れてみないことには、その良さも楽しみ方も分かりえないのは当然かも知れません。
 そういった意味で、シャネルの取り組みは素晴らしいといえます。
 約一時間ほどの小コンサートなので、仕事帰りや買い物ついでに、カジュアルな気分と服装で楽しめるのも嬉しい。 ここでお気に入りのアーティストに出会う人もいるでしょう。

 迫力満点の演奏会終了後、なんと、観客にシャンパン・ロゼが振舞われました!
 素晴らしきかなシャネル!
 京橋・銀座に着いて、目と耳と舌をかなり楽しませて、この時点で掛かかった金額は、サンドイッチ代の350円のみ。
 素晴らしきかな銀座!
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並木通りにあるお店で手に入れたタッセル。雑誌の付録のトートも、使い古したメッシュのバッグもちょっと変身しました。→

 その後、友人とキリンシティ・ビヤホールで久々の再会の祝杯をあげました。
 友人とは、高校美術部の後輩で、大学も同じだった人。初めて出会ってから幾星霜…。
 お兄さんが父上の後を継いでくれないので、しかたなく社長になっちゃったとか。
 お互い、今年も無事に年越しを迎えられそうですかな(笑)。
 
 銀座のビヤホールというと、今はなき、旧交詢社ビルジングの一階にあった東欧風ビヤホールピルセンを思い出します。

 実は管理人は、そこに高校生の時から制服姿で出入りしていました。
 高校の美術部の顧問が毎年、晩秋から冬にかけて、銀座で個展を開いていたですが、そのお手伝いをした後、ご褒美に連れて行ってもらえたのがピルゼンだったのです。

  昭和初期の重厚な名建築の中にあったビヤホール。
 内装や調度品、巨大ビヤ樽、エキゾチックな料理、お客たちの陽気で文化的な雰囲気など、店内は完全に東ヨーロッパでした

 ものすごく辛いウィルキンソンのドライジンジャエールや、名物の薄~い皮の中にスパイシーなミンチが詰まったウラル風ピロシキ、衣がゴツゴツでジューシーなチキンバスケット、どこか糠漬けっぽいマイルドな味のザッハクラフトなどはピルセン独特の味わいで、忘れられません。
 
 成人してからもピルゼンには美術系の知人たちとよく行ったものです。今はもう記憶の中にしか存在しない場所ですが。
 
 管理人にとって銀座の街や画廊やビヤホールは、高校の美術室から続くエコールだったといえます。

 美術部の顧問の先生、あの頃は反抗的ですみませんでした。
 どうか長生きして下さいね。
 …っていうか、先日も電車の中でばったりお会いした時の様子からして、そうとう長生きしそうなので、まぁ、特に心配していないんですけど。 

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Christmas†クリスマス!№7ヴィクトリア時代

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Christmas†クリスマス!№6キリスト教と無関係だった風習
の続きです。

 英国にクリスマスツリーを飾る習慣をもたらしたのは、ヴィクトリア女王の夫、アルバート公でした。
 1841年のクリスマスに、公は故郷ドイツの習慣をウィンザー城に持ち込んでお祝いしたとのこと。

 ヴィクトリア女王の治世(1837年から1901年)は、産業革命によって大英帝国が未曾有の発展を遂げた時期。

 職人や技師、機械工といった労働者階級までもが豊かさを享受し、特に中産階級は、上流階級さながらの生活文化を取り入れることが出来たのです。

 それに一役買ったのが、当時発達した印刷技術。盛んに発行された出版物のグラビアなどで人々は女王の暮らしぶりを知ることが出来ました。
 また文化的な家庭生活のための指南書なども多く出版されました。
 
 暖炉の上には友人から届いた色とりどりのクリスマスカードが飾られ、炉の中は火が勢いよく燃えている。
 美しく飾り付けられたクリスマスツリーの下にはプレゼント。
 クラッカーを鳴らしてはしゃぐのは、仕立ての良い服を着せられた可愛らしい子どもたち。
 テーブルにはご馳走。
 仲むつまじい夫婦。Xmasu
illustration from "Favorite storys &carols"

 こんな家庭のクリスマスが確立したのがヴィクトリア時代。

 女王一家は豊かで幸福な時代の理想を具現化したお手本だったようです。
双子座の偉大なる女王・ヴィクトリア参照。

 それまでにもクリスマスカードは存在していたようでしたが、印刷技術の発達により、質の高い美しいカードが数多く作られたヴィクトリア期、人々は盛んにカードのやり取りをしました。

 クリスマスクラッカーは1847年、菓子職人であったトム・スミスによって発明されました。キャンディ状の筒を両端から引っ張ると派手な音とともに弾けます。発明当時、中には、砂糖菓子や占いカードが入っていたとか。世界中に大流行して今に至っています。

 ヴィクトリア時代は子どもが発見された時代とも言われています。
 それまでは、子どもは「小さな大人」といった認識しかされていなかったようですが、豊かになった人々は、子ども特有の、幼さやナイーブさ、繊細さ無邪気さなどに注目するようになりました。
 子どもを、現実の厳しさから保護するべき対象と捉え始めました。
 そして子どもに時間とお金と愛情をかけるようになったのです。

  子どもの可愛らしさを引き立てるような服を誂え、質の高い教育を施すようになり、家庭では子どものための音楽会や演劇会、パーティなどが開かれるようになりました。
 経済的に余裕のある中産階級では、子どもを学費の高い寄宿学校に入れましたので、家庭に親子の暖かい団欒が戻って来るクリスマスシーズンは、親は子どものために色々と張り切ったことでしょう。

 子供向けの出版物も増え、チャールズ・ディケンズのクリスマスを題材にした作品などが子どもたちの間でよく読まれるようになりました。 

 クリスマスツリーの飾りはもともとは、枝にくくりつけた蝋燭を灯す、というものでした。この蝋燭は夜空に輝く星々を意味しており、ツリーの天辺に付ける大きな星はベツレヘムの星と呼ばれます。
 これは東方の三博士にキリスト誕生を知らせた星。Christmas † クリスマス!№4東方の三博士と贈り物参照。

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Christmas†クリスマス!№6キリスト教と無関係だった風習

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モミの木
 真冬の最中、雪や氷の中にあってもなお緑が青々としているモミの木は超自然的で神秘的な感じがします。アルザス地方では昔からこの木には何か特別な霊力が宿っていると信じられていました。
 古い伝説ではこの木を「生命の木」「楽園の木」と呼び、キリスト教以降はエデンの園に生えていた、すなわちイブがヘビにだまされたもととなった木であるとされたそうです。

 クリスマスにはモミの木に赤いりんごが飾られました。その後、お菓子やおもちゃ等をつるすようになったのですが、こうしてクリスマスツリーはアルザス地方からフランスとドイツに、さらにドイツからオーストリア、ポーランド、英国、北アメリカへと広がっていきました。

 英国で初めて、クリスマスにモミのツリーを持ち込んだのはヴィクトリア女王の夫アルバート公でした。公は故郷ドイツの習慣を英国に持ち込み、英国のクリスマスのホームパーティに多大に貢献したのです。くわしくは別の回で。 

七面鳥
 クリスマスのご馳走といえば七面鳥を連想する方は多いですよね。この風習は比較的新しく、1620以降のアメリカで生まれました。
 その年、メイフラワー号でヨーロッパからはるばる渡って来た清教徒たちは、寒さと飢えでその半数が命を落としていました。上陸後も食べものに事欠いた彼らにとって、簡単に捕まえられる野生の七面長は命を繋ぐご馳走でした。

 やがて先住民に農業を教えてもらい、翌年の秋、彼らは初めての収穫祭を迎えることができたのでした。この時、先住民を招いて、ジャガイモや豆やとうもろこし、そして七面鳥などのご馳走を囲んだのが感謝祭(11月の第4木曜日)の始まりとなりました。
 豊かになってからも、先祖が味わったひもじさを忘れないようにとの思いを込めて、感謝祭やクリスマスには七面鳥を食べる風習になったということです。
 七面鳥の中には、玉ねぎやセロリ、レバーやパンを炒めたものを詰めて焼き、新大陸の特産物クランベリーのソースをそえます。付け合せは、これも新大陸の野菜であるとうもろこしやジャガイモです。

 ちなみにヨーロッパでのクリスマスのご馳走といえば伝統的に豚だそう。彼の地では冬が来る前に豚をつぶして、リエット(パテの一種)、ソーセージ、ブーダン(血と脂肪の腸詰)、塩漬けのハムやベーコンなどにして冬の間の保存食としますが、クリスマスにはこれらを振舞います。
 フランスでは豚に加えて、牡蠣や魚、フォアグラ、シャンパンがクリスマスの食卓にのぼるというのですから、さすがはグルメの国。

Bûch de Noël ブュッシュ・ド・ノエル
 フランスあたりの地域では昔から冬至祭に、暖炉で太く大きな薪を燃やす習慣がありました。これはもともとは子宝と収穫を願う儀式で、この薪は「神聖な薪」と呼ばれ、りんご、桜、オリーブ、胡桃、プラムなどの果物のなる木であること(子宝を意味する)、硬くて何日もゆっくり燃え続けることが条件でした。

 冬至祭の真夜中のミサが始まる少し前に火が点けられ、薪は少なくとも新年までは燃え続けました。この薪の消し炭はその後の一年間大切に保存され、家や畑を災害から守るお守りとされたり、またこの炭で腫れ物のまわりをこすればじきに治るといい伝えられていました。

 この風習がキリスト教に取り入れられてからは、公現日までの12日間ずっと燃え続ける薪としてBûch de Noël ブュッシュ・ド・ノエルと呼ばれるようになりました。

★キリスト教の最も初期の時代から、宣教師達の政策は常に、異教の習慣にキリスト教に基づく解釈と意味づけを行うことによって、その習慣に適応しそれを取り込むことだったと言えそうです。

Christmas†クリスマス!№7ヴィクトリア時代に続きます。

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Christmas†クリスマス!№5サンタさんの紅茶

 東方の三博士の贈り物がXmasプレゼントの起源のひとつということですが、贈り物といえば、Xmasの大スターを忘れるわけにはいきません。そうです。サンタクロースその人です。

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サンタクロースとは誰か
 この方が一体誰だったか?については諸説ありますが、その中のひとつ聖ニコラウス説がかなり有名。きっとご存知の方も多いことでしょう。

 聖ニコラウスは西暦270年、小アジア(現在のトルコ)のミュラの町パタラで生まれました。貿易商の裕福な家庭に育ち、両親亡きあと、遺された莫大な遺産を貧しい人や病苦の人たちに分け与えました。彼自身は聖職につき、後にミュラの司祭になりました。

 この人をあらわす有名なエピソードの一つを紹介します。
ある貧しい両親がお金に困って、3人の娘を身売りに出そうとしていたところ、それを聞きつけた聖ニコラウスが、夜中にこっそり窓の外から金貨を投げ入れたのです。お陰で3人の娘は娼婦にならずにすみました。
 この時投げられた金貨は、たまたま暖炉のそばに干してあった靴下の中にすっぽりと入ったとかで、このエピソードが靴下の中のプレゼントというかたちで、現在まで残っているといわれています。
 

 聖ニコラウスは子供の守護聖人。頭上には司教の冠を戴き、片手に司教の杖、もう片手に黄金、あるいはパンののった書物を持ち、裾の長いローブをまとっている姿で描かれたりしています。
 
 ちなみにサンタクロースが現在のような、真っ赤なコスチュームをつけた白いヒゲで赤ら顔の陽気なおじいさんとして登場したのは1931年。アメリカの、コカコーラ社のCMイラストとして描かれた姿だったのです。サンドブロムという画家が油絵で描きました。
 それ以前の、ビジュアルとして描かれたサンタクロースは若者だったり、老人だったり、小人だったり、また服装も緑のガウンだったり、裸に近いものだったり色々でした。
 
 レイモンド・ブりッグスの絵本さむがりやのサンタ..福音館書店は、その陽気なサンタさんの、愛すべき堅実で幸福な日常が描かれていて、プルート通信管理人の大好きな絵本のうちの一冊です。大人も子どももたいそう楽しめることうけあい。

 日本では中国山地に、お年玉は親からもらうものではなく、神さまー庚申さまからもらうものとされ、大晦日の夜、子どもたちは庚申さまの前に自分のさいふを置いておく、という風習があったそうです。

 さてさて、タイトルのサンタさんの紅茶について。
 岩波書店のライオンと魔女・ナルニア国ものがたり(1)という話は、管理人が小学生の頃すっかりハマってしまったなのですが、その中に出てくるサンタさんが、大きな体をした、厳かな、気品のあるステキな人として描かれています。

 雪の中、命を脅かされつつ辛い旅をする一行のもとに、思いがけずサンタクロースがあらわれて、一行のそれぞれに重用な贈り物をわたします。その直後のシーンを引用してみます。

 ―とサンタクロースは、ふいにおごそかなようすをくずして、
 「今すぐみなさんにききめのあるものを、さしあげよう!」
ととりだしたのは(わたしはきっと、背中の袋から出したのだと思いますが、だれもとりだすところを見ていませんでした)、大きなおぼんで、その上に、五この茶わんと角砂糖の鉢、クリーム入れの壺、おまけにしゅうしゅう湯気をあげているとても大きな茶わかしまでのっていました。
 それからサンタじいさんは、
 「クリスマス、おめでとう!ほうんとうの王さま、ばんざい!」
と叫んで、むちをぴしりとならしますと、おじいさんもトナカイも、みんながわれにかえる前に、たちまち見えなくなってしまいました。
 ピーターが、さやから剣をひきぬいて、ビーバーさんに見せていますと、ビーバーおくさんは、みんなにいいました。
 「さあさあ、みなさん!そこに立ったままおしゃべりしていると、お茶がひえますよ。それじゃ、でくの棒ですよ。さ、おぼんをはこんでくださいな。朝ごはんにいたしましょう。パンきりナイフを持ってこようとおもいついて、なんて間がよかったんでしょ」
 そこで一同は急ながけをおりて、洞穴のなかにもどりますと、ビーバーさんがパンを切ってハムをいれてサンドイッチをこしらえ、ビーバー奥さんがお茶をついで、みんなしてたっぷりごちそうになりました。

 このハムはビーバーさんの家の天井から吊り下げられていた大きな骨付きのハム。それを薄く切ってはさんだサンドイッチとクリームたっぷりの熱い紅茶!作者の出身国のイギリスらしい食卓の風景ですが、このサンドイッチとサンタさんにもらった紅茶はどれほど美味しかっただろうか、などと幼い頭でしきりに想像していた頃を思い出します。

 この話のサンタクロースの登場のしかたは大変ドラマチックで、物語の一つの山場となっており、今でも読むたびに子どもの頃感じたワクワク感がよみがえります。
 この本を読む以前、サンタクロースに対しては、よくわからないけれど子ども好きの気前のいいおじいさんらしい…といったイメージしかなかったのですが、ナルニア国のサンタクロースはあきらかに神のみ使いの一人で、冒しがたい威厳と限りない優しさに満ちていて、読後、イメージが一変したものでした。

サンタクロースの呼び名
フランス語:Pèle Noëlペールノエル
ドイツ語:Weihnachtmannヴァイナハトマン、SamiChlausサミクラウス
英語:Father Cristmasファーザークリスマス
オランダ語:SinterKlaasシンタークラウス
 
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Christmas † クリスマス!№4東方の三博士と贈り物

 クリスマスというと、プレゼントがつきものですね。西洋では古くから、パーティなどで親しい者同士が交換しあったり、遠くの知人と送りあったり。近年日本でもすっかり定着したこの習慣。ではクリスマスプレゼントの起源となったのは……?
 

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東方の三博士とその贈り物
 イエスがベツレヘムの馬小屋で生まれたとき、その誕生を祝福する訪問者がありました。
 彼らは 「ユダヤのベツレヘムという村に、イスラエルの偉大なる王となるメシヤ(救世主)が生まれる」
 との星の予言を知り、未来のメシヤを拝むため、はるばる東方からやってきたのです。

 聖書では彼らを「学者」あるいはMagi-マギと呼んでいます。Magiとはペルシャの神に使える魔術師を示し、magic-魔法の語源となった言葉です。とはいえ、彼らはいわゆる魔法使いだったというわけではありません。天文学、占星術、薬学、哲学、占いなどに長けた賢者、学者たちだったようです。

 この訪問者は3人ということになっています。白髪と白髭の老人メルキオール、赤色人種の若者ガスパルド、黒人バルタザール。彼らはそれぞれ未来のメシヤに捧げるための贈り物を持参していました。

黄金Goldキリストの威厳を象徴。
乳香Frankincense北アフリカ産の樹脂のお香。キリストの神秘性を表す。
没薬Myrrhミュルラ-エジプトのミイラの語源。防腐剤として死体にしませる薬。やがて死すべき定めを暗示。
 
 この贈り物が後のクリスマスプレゼントの起源といわれています。O・ヘンリーの有名なクリスマスストーリー賢者のおくりものは原題をGift of the Magiといいますが、この題名は聖書の出来事から来ていることがわかります。
 3人の賢者がイエスのもとにやって来た日は1月6日。この日をEpiphany公現日といいます。神の民ユダヤ人ではない異邦人たちの訪問によって、イエスが全世界の王として公に現れた日を示しているそうです。
 12月25日のクリスマスから12日目にあたるので、Twelth dayとも呼ばれます。この期間を降誕節といい、クリスマスのお祝いの期間はこの日まで、ということになります。

 東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所にとまった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。(マタイによる福音書題2章1~10)
 この星は俗にベツレヘムの星と呼ばれていますが、この星の出現を示すと思われる事実が確認されています。バークレー聖書註解によると、当時、数年にわたり天体に異常な現象が現れた記録が残っています。
 特に王子誕生と呼ばれる月に天狼星(大犬座のシリウス)が空に異常な光を放った事実があるそうです。

イエス・キリストの意味
 イエスは名まえ、キリストは「油を注がれた者」という称号(ギリシャ語ではクリストス、ヘブライ語ではメシヤ、メサイア)です。イエス・キリストとは油を注がれた者・イエスという意味なのです。
 王、預言者、大司祭などの職務にある人は就任時に、頭に香油を注ぐ儀式をすることになっているそうです。この香油とは乳香などで香りをつけた油のこと。神の霊力が宿るとされ、それを注がれるということは、神の使命を果たす力が与えられたことを示すそうです。
 
★冒頭の写真の中央に映っているのは、直径7.5cmのクリスマス用アロマキャンドルですが、乳香と没薬が入っています。数年程前イギリスから個人輸入しました。
 火は…灯したことはありません。なにせ神の霊力が宿っているキャンドルです。恐れ多すぎます!それに、置いておくだけで周囲に十分神秘的な香りがただよい、さわった手からはしばらく香りが抜けないほど香気が強いのです。火なんかつけた日にゃ、おそらく家中すごいことになるのは必至と思われます(笑)。
 置いて眺めているだけで十分でございます。

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Christmas † クリスマス!№3リース

 ドアなどにリースを飾ると、とたんにクリスマスらしい雰囲気がただよい始めます。リースは英語ではWreath。うずまきという意味です。輪の形は終わりのない永遠をあらわしています。

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リースの起源
 発祥は古代ギリシャやローマ。花や枝葉や木の実で作ったリースは、名誉の印をあらわす賞として授けられていました。
 ’04年のアテネオリンピックでもよく目にした月桂冠ですが、古代より月桂樹(ローレル)はアポロンの霊木とされていたので、これを輪の冠にして競技の勝利者に与え、賞賛の意を表すのに用いられてきたのです。
 やがて様々なリースが、儀式や式典の時に、記念碑や墓などを飾るのにも用いられるようになり、現在に到っているそうです。

 薬草や香草やスパイスを用いたリースは魔よけとして、またリースの輪を通って幸福がやってくるという言い伝えもあり、永遠を表す形のリースは縁起ものとして、クリスマスにも飾られるようになりました。

 ★冒頭の写真は、今年のプルート通信管理人宅のクリスマスリースです。いまいちビシっとキマっていないのは手作りだからなんですよ。ツリーは飾りませんが、毎年この時期、ドアに手作りリースを掛けます。これのお陰で新聞屋さんや、お米やさんや、近所の人とひとしきり話が盛り上がったりします。

 実はこれ風水にのっとって作りました。管理人の家のドアは西にあります。風水では西に黄色いものを置くと、縁起がいいとか、お金がたまるとかいわれているので黄色や金やオレンジばかりを集めてみました。
 クリスマスリースなのに風水ってどうよ?まあ、なんというか…外国の文化を一応なんでも取り入れちゃって、自分たち流に消化してしまう日本人らしさがよく出ているリースということで(笑)。

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山羊座の支配星・土星は豊穣の神の名

 クリスマスの祭りは古代ローマの農耕と豊穣の神サトゥルヌスを祭ったサトゥルナリア祭がその起源でした。

 サトゥルヌスSuturnusというのは土星Saturn、土曜日Saturdayの語源となった言葉。ちなみに悪魔Satanとは無関係です。

 土星は山羊座の支配星であり、ローマ神話の神サトゥルヌスは山羊座の守護神なのです。

 サトゥルヌスは父王ウラヌスの、「おまえは実の子どもによってその王座を奪われる」との予言どおり、息子のジュピターに神の王国を追われ、イタリアにたどり着きました。ローマカピトリヌスの丘に市をつくり、そこの王となります。民に農業やさまざまな技術を授け、太古の黄金時代を築いたとされています。

 山羊座の人は土星から「宿命の感覚」の影響を受けているといわれています。
そのため、試練や困難や苦しみさえ、人生の一部として受け入れることができるのです。サトゥルヌスは有能な神でしたが、山羊座の人も真面目、責任感、成熟といった美点をそなえています。

 管理人は個人的に蟹座と山羊座はあなどれない(もちろんいい意味でですよぅ)と思っているのですが、山羊座の人の、ジタバタせず、浮ついたところがなく、何があっても自己がゆらがない雰囲気をひそかに尊敬しているのです。

ところで。山羊座の方もそうでない方も、今の自分の運勢はどうなってんの?今すぐ知りた~い!という方にオススメ。満天王という優しげな翁が占ってくれています。

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Christmas † クリスマス!№2冬至祭Ⅱ

 クリスマスはもともと冬至の祭りだったと前回の記事に書きました。当時の人々はどんな気持ちで冬至の祭りを迎えたのでしょうか。

 

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 とりわけ寒さが厳しいヨーロッパにおいて、冬というのは、常に死の恐怖と結びついていました。雪や氷や吹雪に閉じ込められ、気温は零下何十度にもなる日が何ヶ月も続きます。それは、このまま明るい太陽は拝めないのではないか、春や夏というのは自分の思い過ごしだったのではないか、と思えるような厳しさでした。

 保存食が尽きたら、槇が底をついてしまったら、重い病気にかかってしまったら…それらは即、死を意味するも同然。そんな恐怖とともにじっと身を潜めるようにして生きねばならない季節だったようです。
 この自然が与える厳しい試練ゆえ、冬至を迎えるということは、冬の峠を越えたも同然。この日を境に太陽は日増しに力を取り戻し、次第に昼が長くなります。死の恐怖を克服し、生への希望をとりもどす日として、いかに喜ばしい日であったか想像にかたくありません。

クリスマスの元になったお祭りと儀式
 ローマ神話のサトゥルヌスは農耕と豊穣を司り、土星Saturnの語源となった神。古代ローマではこの神を崇めるサトゥルナリア祭が行われていました。

 12月25日(冬至)から1月の6日までの7日間(12月17日から24日までという説も)、仕事や学業は休みとなり、ミサ(豊穣の儀式)や道化祭り、無礼講の宴会、仮面劇などが催され、人々は古代の精霊たちと一体になったかのような騒ぎに打ち興じたといわれています。そしてこの祭りが後の、カーニバルやハローウィンになっていったということです。

 その後に来るローマ帝国時代は初期キリスト教時代。キリスト教とは無関係のミトラ教の方が広く信仰されていました。ミトラ教は12月25日を「Nataris Sol Invictus (ナタリス・ソル・インヴィクタス)ー無敵の太陽の誕生日」という名の祭日としていました。この日は若い太陽神を崇める日で、再生した太陽の神が新生児の姿を借りて現れるとされていました。
 しかしミトラ教はローマ帝国の国教とはならずに、次第にキリスト教に取って代わられていきました。キリスト教はミトラ教を吸収していったのです。

 日本における冬至の祭りとはどんなものだったのでしょうか。
 日照時間が一年で最も短い霜月の下弦の日(現在の12月22日頃)は、農耕生活者にとっても危機感をあおる日だったようです。神々を村に迎えて盛大に祝う行事が冬至前後に集中していたようで、地方によっては地上で盛んに火をたいて太陽の光を強めようとする祭りなどもありました。
 冬至の夜に神聖な旅人が村々を訪れ、奇跡を起こすという伝説が多く残っており、これなどはサンタクロースを彷彿とさせます。ちなみに、この旅人は弘法大師とするところが多いそうです。

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Christmas † クリスマス!冬至祭

 クリスマス。この言葉を聞くと、なぜかうきうきしてしまいます。キリスト教信者でもないのに無節操?
 いえいえ。もともとこの時期は古来より、世界各地で冬至のお祭りが行われていたのです。

 冬至は一年で一番日照時間の短い日。暦の上ではだいたい12月の22頃がこの日にあたります。 
 昔の人々はこの日を境に、弱まった太陽が新しく生まれ変わる、と考えていました。太陽が新しく生まれ変わるーいわば太陽の復活を祝う冬至祭の類がこの時期行われていたようです。

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 冬来たりなば春遠からじ。冬至とは、寒く厳しい冬ももう後半に入ったのだという希望の日でもあったのでした。

 今のように文明が発達していない時代、「冬を越す」ということはまさに命がけ。
 「無事に春を迎えられますように」との人々の願いと祈りは、今とは比べものにならないほど真剣だったのでしょう。

 キリスト教は太陽の復活とキリストの復活を結びつけ、冬至の祭りを信仰に取り入れることに成功した宗教であるといえましょう。

 日本においても昔から、冬至の祭りは存在していたのです。うきうきするのは、ご先祖様伝来のDNAに組み込まれていることかも知れませんね。

クリスマスの始まり
 実はキリスト教の草創期には、クリスマスの祝祭は存在しませんでした。福音書にもキリスト降誕の正確な日付は記されていません。西暦354年、時のローマ教皇リベリウスが降誕祭を12月25日に設定したのです。

 世界中どこにおいても最も重要な祝祭は、太陽のまわりをまわる地球の推移を示す日付の前後に置かれます。

 冬至は暦の上ではだいたい12月の22日頃。一方、死後の復活を果たすキリストの降誕祭はキリスト教最大のお祭。クリスマスを冬至の頃に持ってきた教皇は賢かった!

 日本では、例えばお彼岸は春分と秋分の日を中心に前後3日間、計7日間となっていますが、これは中国伝来の季節区分によります。
 現在は一般に墓参りや寺参りなどの行事の日になっていますが、これは仏教伝来以降のこと。

 これもキリスト教と同じように、 古来からの太陽の推移をめぐる祭りと、特定の宗教が結びついた例といえましょう。
 古くは季節の変わり目として、農神を祭り、作物の豊穣・収穫を祈り感謝する習俗があったのです。

クリスマスの語源
英語 キリストのミサ=Christmas クリスマス
フランス語 誕生日=Noëlノエル(ラテン語で誕生日Natalis dies ナタリスディエス、あるいはギリシャ語のneos新しいhel太陽ー冬至の瞬間によみがえる太陽と符号)
ドイツ語 聖夜=Weihnachten ヴァイナハテン

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