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愛を教えて-Rとの対話・№5

 愛を教えて-Rとの対話・№4の続きです。

Photo_2photo:Sozai Room.com

R 貴女は「他者の愛や情や好意を拒否するのは、強いからではなく、それらを受け入れられないほど脆弱な自我しか持ち合わせていないから」とおっしゃいました。
ならば「許容力、包容力」が無ければ弱いのですか?「心の余裕」が無ければ脆いのですか?
 
――そう思います。それらは精神の弱い人間には持ち得ない力だからです。

 僕にユーリのそれと同じものを感じますか?

――いいえ。あなたはユーリに憧れ、共感したかもしれませんが、ユーリとは全く別の人種だと信じます。
じゃなきゃ、私とこんな話はしていないでしょう。

 僕を弱い人間だと思いますか?

――弱いとも強いともいえません。
 少なくともまだ何の罪も犯していません。
 なんといっても成長途上にある人です。まだ16歳です(たったの!)。
 自分の望む自己をいかようにも創造してゆけます。
 あなたには瑞々しい精神のキャパシティを広げて欲しいと望んでいます。

 そう…ですか。
 貴女とこうやってお話していて、僕の考え方は変わったのかもしれません。
 あるいは、まだ変わって無いのかもしれません。

 僕の考え方は僕自身がまだ精神的に幼いので、自分にとって、都合の良い様に理屈付けて、実は事実から目を背けているだけなのかもしれません。
 しかも本質を全然理解していない。
 他人に対してだって、「信頼していない」と言いながら他人に縛られて生きていて、自分の心の器から溢れてしまった物を否定しています。
本当は自分の器が小さすぎるのが原因なんですよね。
 僕は心の狭い人間ですね。
 自分に理解出来ない、分からない物を唯否定している。
 まるで駄々っ子みたいですね。

 貴女とお話して僕は、「自分の非」を、「自分の感情」を「自分の器の狭さ」を知りました。
 それで?僕はどうすればいいんでしょうか?
 自分の問題を解決する策は目の前にある。
  「他者を包容する力、許容する力」僕に足りない物はこれですよね?
 これを知った僕は何を変えれば良いのでしょう?
 どのように感情を表現すれば良いのでしょう?
 どうしたら他者の気持ちに応えられるのでしょう?

 本来これらは自分で探さなくてはいけない物なのは分かってます。
 だから、僕は貴女の親切心に甘えているのでしょう。
 答えたくないなら、構いません。

――よくここまでたどり着きましたね。
 よくまあ、こんなハードなやり取りに耐えたものです。
 あなたには自分自身と向き合う勇気が、知性がちゃんと備わっているではありませんか。
 やはりあなたの性根は歪んでいませんでした。すでにあなたは臆病者ではありません。

 『これを知った僕は何を変えれば良いのでしょう?
 どのように感情を表現すれば良いのでしょう?
 どうしたら他者の気持ちに応えられるのでしょう?』

 これらについては明日以降、一緒に考えていきましょう。
 私なりに援助します。

 『本来これらは自分で探さなくてはいけない物なのは分かってます。だから僕は貴女の親切心に甘えているのでしょう。』

 自分で探さなくてはならないとしても、他者に助けを求めるのは当然ですよ。
 
Rご迷惑ではないのですか?
僕は「他人様に迷惑だけはかけるな」といわれて育ちましたから。

 ――「他人様に迷惑をかけないように」
 これは親がよく子どもに言う言葉ですが、結構、罪つくりな言葉かも知れません。
 これを言う以上、「迷惑」と「世話になる」ことの違いを教えなくてはならないと思います。

 人は人の中でしか育つことができません。
 誰だって人を世話して、人に世話にならずには生きていかれません。
 子どもも大人も老人もです。まして、あなたのような若い人の世話をし、間違いを示唆し、面倒を見るのは大人 の務めです。
 だから人に世話になるのはいいのです。

 ただ、世話してくれた人には感謝して、さらに、いつか自分が大人になった時に、若い人に同じように愛情を返してゆけばそれでいいんではないでしょうか。
 人の世はそうやって廻ってきたのだと思うのですよ。


intermission

R こんばんは。夜分に申し訳ございません。
 今日やっと、合宿が終わり、一通りのやる事が終わったのでメールさせて頂きました。
 これからはまた、コンスタントに遅くとも一日以内に返信できると思います。
 そして、またお聞きしたい事があるのでメールさせて頂きました。

「誰かを信頼する事、愛する事。」
僕は今まで、自分が愛されたいから他人を愛すのだと思ってました。
それが全てだと思ってました。
でも、それが全てじゃないんですね。
「愛されたいから、愛す」のではなく「愛したいから、愛す」
このように自分本位の行動。
僕に出来るかどうかは別として、貴女はこの考え方で生きているのですね。

 僕は今までこういう考えを認めてませんでした。
 だから、今も他人へ抱いた想いが帰ってこない事を恐れているんですね。
 貴女は自分が信頼している人に、愛してる人に自分から何をしたいと想いますか?
 年末の忙しい時期に長い文章、本当にごめんなさい。
 返信は遅くて構いません。
 待っています。

――合宿お疲れ様でした。実りある合宿でしたか? 

 あなたのメールを読むと、よくここまでの境地に到達したものと感心いたします。
 『貴女は自分が信頼している人に、愛してる人に自分から何をしたいと想いますか?』

 例えば何かを美しいと思うとはどういうことでしょうか?
それは、そう思う人の内面に、美に対する感受性があればこそ、対象の美と感応しあって、美を美と感じることができます。
 美意識、美に対する感受性のない人はどんなに素晴らしいものを見ても何も感じません。

 愛もこれと同じで内面に愛のない人は対象に愛を感じることができないものです。
 ここまではあなたはもうお分かりですね。
 では「愛する」とは、「愛の実践」とはどういうことか?をあなたは求めているのですよね。

 『 僕に出来るかどうかは別として、貴女はこの考え方で生きているのですね。僕は今までこういう考えを認めてませんでした。だから、今も他人へ抱いた想いが返ってこない事を恐れているんですね。』

 他人を愛するにはまず、自分の中に愛が満ちる必要があります。
 ぬいぐるみを思い浮かべて下さい。
 ぬいぐるみというのは癒しのグッズです。
 ふっくらとしたぬいぐるみは思わず抱きしめたくなります。
 ところが、愛のない人というのは、ぬいぐるみの中のパンヤが少ないか、入っていないようなもので、シワシワのぬいぐるみです。
 いくら立派な布地で豪華な飾りが付いていようとも、想像するだにみじめな感じがしますね。
 
 このパンヤ(愛)は誰かが入れてやらねばなりません。
 子どもに対しては、親を含むまわりの人間たちがそれをし続けなければ、愛のなんたるかが分からなくて当然なのです。
 パンヤ(愛)が満ちてパンパンになれば自然に人を愛することが出来るようになります。

 「愛の実践」は、マニュアルでするものではないからですよ。

 愛を教えて-Rとの対話・№6に続きます。

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