愛を教えて-Rとの対話・№3
愛を教えて-Rとの対話・№2の続きです。
R いいですよ。全然構わないです。いや、素晴らしい持論だと思いますよ。僕も「死」の先は「無」だと思います。残るとしても、人の記憶の中だけでしょう。

――ご賛同ありがとう。でもってですね、私はプライベートにおいては、あまり好きではない人や興味を持てない人に、時間やエネルギーを注ぎたくありません。
なるべく多くの人と広く軽く関わる、ということも、苦手です。
R でも、その事を知った上でも、行動出来ない人は居るんじゃないですか?
――たしかにいるでしょうね。おせっかいながら、行動できない理由の一つに、「荷物を持ちすぎているから」というのがありそうです。
つまり、あれもこれも手放したくない。その実、どれもこれもどうでもいいように思える。で、身動きがとれない。自分の立場も混乱してしまう。そういう経験はありませんか?
R 僕多分、このタイプですよ。僕は今まで「八方美人」って良く言われてましたから
――変える気はありませんか?
R 変えたら何が変わるんですか?
――できれば受けたくない「痛み」が、「喜び」や「楽しみ」よりも、より生きてる実感
を与えてくれる、などということはくなるでしょう。
R じゃあ、溢れている僕の中の何を捨てればいいんでしょうか?
―― ここで重要な鍵になるのが、あなたの不得意な「自分の感覚」です。
これがないと、あるいは鈍っていると取捨選択は到底出来ません。
溢れているものの中から「大事なもの」と「どうでもいいもの」に仕分けするために、まず、自然に湧き上がる自分の感情に蓋をしたり押し殺したりせず、それを受け入れてみてはどうでしょう。
外に出すのではありませんよ。
もちろんいい感情も、悪い感情も。
R 不躾ですみません。貴女は僕にどうなって欲しいんですか?僕をどうしたいんですか?
思い上がりだったらすみません。
――幸せになって欲しいんです。「僕は別に不幸じゃないですよ」とか言われそうですが。
手首を切って生きていることを実感している子が目の前にいて、それを知ってしまった以上、放っておくことができないのです。
「やりたい人間にはやらせておけばいい。本人の勝手である」
という対応は、年配者にならともかく、若い人に対しては私はしたくありません。まぁ、この答えはいずれまた。
あなたが、なまけもので、頭の悪い子なら放っておくのですがね。
Rそうなんですか……。
――自分の立ち位置が分からなくなった」例の「無 論、これ以外にもあるんですけど…」を、よければ教えて下さるかしら。
R そうですね…やっぱり、「無視」って事が関係しますね。自分が誰も信用して無いと肌で感じた時、自分から人を無視した時、「自分はこの人達とは仲良くなれない」と思った時に、「じゃあ、逆にこの人達とは違う自分は何なんだろう?
自分はあの人達と同じ場所に立ってない」と感じる事もあります。
……やっぱり、説明が下手ですみません。
――「この人達とは違う自分は何なんだろう?自分はあの人達と同じ場所に立ってない」
この感じが、あなたにとって、自分の立場が分からなくなって自傷行為に走る程しんどいのですね?
私も、そういう感覚は、実は幼稚園くらいの時から感じていたましたよ。つまり、他の皆が楽しいとする集団の遊びなどがさして楽しくない。一人で絵でも描いてる方が余程いい。
子どもって野蛮でバカだ。自分も野蛮でバカなのに(笑)。
アニメやテレビの話も、皆が夢中になるほど楽しくない。
空想をめぐらすとか、好きな本でも読むとか大人と話している方がいいとかね。でも、そういうこととは違うんでしょうね、きっと。
R いや、僕もそうですよ。大人の人と話す方が楽しいし、皆でワイワイやるのは嫌いじゃないんですが、苦手というか、めんどうくさいというか…周りの子(特に一部の女子)にはもう、呆れています。
つまらない事で集まって…僕には唯の「馴れ合い」にしか思えません。
周りの子が悪い意味で、子供に見えます。
――それは大人でも変わりませんよ。
ま、ただ本人たちが好きでしていることに対して何の文句もありませんが、自分が関わらなくてはならない場合は困りものです。
かつて、ある会議というか寄り合いの、あまりの馬鹿馬鹿しさにテーブルを引っくり返したくなるくらいウンザリしたことがあります。
そこでは誰も問題の解決など目指していない、退屈しのぎにただ、他人を招集し、誰かの噂や悪口を言って馴れ合っている。以来、そういうものには一切出席していません。
過激な危険人物です(笑)。
つまり、あなたの場合は周囲への怒りの矛先が、他人ではなく、自分自身に向かう、というのが私との違いなのでしょうか?
R どうなんでしょう…。そうなのかもしれません…。
周りにも怒りは有るのですが、輪に入れない自分にも憤りを無意識に感じているのかも知れません…
――「輪に入れなくても構わない。むしろこっちからお断り」とはならないんでしょうね。
R 高校に入ってからは輪に入れなくて、憤りを感じる事は少なくなりました。
多分、先生や話が分かる同級生、保護者と話す方がずっと、知的で面白い、という事に気付いたからだと思います。
でも、やっぱり会話の様子を遠くから見ていると少し感じる事はあります。
――この先、大学、社会と進むにつれてあなたのレベルに合った人たちの割合はもっと多くなるかもしれませんね。
まぁ、人間には孤になれる時間が必要ですが、「集団の中の孤独」というものには、なかなか慣れないですよね……ところで、自傷行為はすでに過去のことですか?
R それは、分かりません…。確かに「居場所」の事で最近は自傷行為はしていません。でもまた、自分がそういう事で自傷行為を行うかもしれません。
それに実は、自傷行為は「居場所」の事以外でもした事が無い訳じゃないのです。
――そうなんですね。あなたとのメールを読み返して感じたことがあります。
どうも、あなたの言葉の認識の仕方に、微妙な問題がありそうな気がするのです。責めているのではありませんよ。
私はこのやり取りにおいて決して、あなたを責めたりしません。どうか、誤解しないでね。
例えば、
・他人を信じる→他人の言うことを鵜呑みにする
・自分の感情をむりやり押さえつけない→感情のままに言動を表現する
・自分の感覚に責任を持つ→自分の身の上に起こったことはすべて責任を取らねばならない
いかがでしょうか?
R今、挙げて頂いた例は確かに自分に当てはまりますが…僕の、その認識は間違っていますか?間違っているならどのように間違っていますか?
――「他人の言うことを鵜呑みにする」「感情のままに言動を表現する」「自分の身の上に起こったことはすべて責任を取らねばならない」これらを実践していたら人生はドツボにはまりまくってしまいます。
説明は…おいおいしていきましょうね。急がずにね。
あとはですねぇ……「謙虚」と「偽善」も混同している印象があります。
R 僕は自分の事を「謙虚」か「偽善者」かと言われたら「偽善者」だと思いますよ。
というより、人は皆偽善者じゃないでしょうか。
――例えば?
R 先に断っておきますが、これは僕の見解です。 かなりの偏った見方でありますが、それを押しつけてる訳ではありません。
僕から見れば、「他人のため」と言う人は、後の自分のために計算してやってる人にしか思えません。
だから、正直「ボランティア」や「募金」等をやってる人は、「誰かを助けたい」という表面の下に、社会的な見返り(賞賛や賛美)が欲しい」 という「欲求」が見える気がします。
――たしかにそういう人はいますね。
でも、「人は皆、偽善者」と言い切ってしまうのはよくありませんよ。
そうじゃない人もいますからね。もっと緻密に考えましょう。
他者に愛情を注いだり、奉仕することで得られる喜びは生きがいになり得るのです。
純粋にそれを目指す人もちゃんといます。
そうか、そうでないかを見分けるのはわりと簡単ですよ。
偽者は「善意」を他人に押し付け、自分がいかに世のため人のために頑張っているか、好かれているか、重要だと思われているかを、聞かれてもいないのにアナウンスしたがります。
あとは「べき」とか「ねばならない」とかいう言葉を多用しますねぇ。
それから、あなたは「個性的」という言葉も誤解しているでしょ。
あなたは、相当に、めずらしいくらい個性的な人です。
R 僕が個性的…どういう所がですか?
――物事の考え方というか思考回路、それらの表現のしかた、発声の仕方、しぐさ、他者のアクションへの反応。例えば、私があなたを含めた数人の子を食事に誘ったことがありましたね。その時の反応などなど、どれをとってもあなた独特のもので、他の誰にも似ていません。
R「個性的」な事は「似てない」事ですか?
――「個性」とは、その人にしかない独自性といいますか、固有な特徴のことです。
まぁ、それを言ってしまえば誰だって個性的なわけですが、私の経験からいうと、人の反応はたいてい、いくつかのパターンにカテゴライズされることが多いようです。
ところが、あなたは、非常に独特です。つまりとても個性的ですよ。
R そう言ってもらえると嬉しい限りです。僕にとって個性的な人とは明確に「我」を主張出来る人でしたから。 だから、自分は個性的じゃない思ってました。
――「個性」はどちらかというと「主張」とは無縁なものではないかしら。
なるべくしてそうなっている、あるいは、ただ、そうであるものだからです。
借り物の、観念的な「我」をうるさいくらい主張する人、例えばよき母や妻、夫、善良な市民を自認している人たちの中に多いのですが、彼らは驚くほど似通っているものです。
R 人と形態面ではなく「精神面」で似ている事は、悪い事だと思いますか?
――いいえ。私は精神性に共通点がない人とは、なかなか深くは付き合えないのです。
しかし、だからといって私と共通の精神性がない人を否定したりはしませんよ。
R では、お聞きします。貴女は僕と「精神の共通性」を感じましたか?
――とても感じますよ。
R どの様な所にですか?
愛を教えて-Rとの対話・№4に続きます。
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