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愛を教えて-Rとの対話・№1

’06年の秋に出会った15歳の少年R。

 優秀な成績、熱心な課外活動、丁寧な言葉使いと、一見典型的な優等生風のRは、一方で、身のうちに飼っている獣を厚いカラで押さえつけつつ、その獣が出口を求めて暴れることに翻弄されているような印象の少年でした。
 イノセンスと俗気、拒絶と渇望、攻撃と防御……相反する要素をモザイクのようにはめ込んだような捕らえどころのない性質。

 「愛を教えて」は’07年の秋から続いた、Rとプルート通信管理人との間でやり取りされた内容を記したものです。

R 正直言って、愛ってよく分かりません。「愛」や「好意」は自分からは最も遠い感情なので。仮に誰かから「愛している」と言われても、「それが何?」って思います。

――あなたは誰かを好きになったことはないのですか?

R……僕などに好かれたら、その相手は迷惑だろうと思うので、表に出しません。
 例えば、僕は大人と話すのが好きなんですが、それは相手の経験や知恵の量に惹かれるからであって、その人の人格そのものに惹かれているわけじゃない。
 僕の知識欲を満たしてくれたり、何かを授けてくれる相手なら誰でもいいんです。

――相手が人というよりは、知識や経験に見えると?

R しかも、人間に上も下もないはずなのに、相手の考えに優劣をつけてしまう。一方、自分が他人にどう映っているか気になってしかたがないんです。だから対人関係は疲れます。

――相手にどう映っているかばかり気にしていたらそれは疲れるでしょうね。

R そんなこと気にしないで、自分の思うままに振舞える人は楽だと思います。これは皮肉じゃないですよ。心底そう思う。でも、できない。

――あなたの望みは何でしょうか?

R 感情をなくしたい。

――感情がなくて生きていかれますか?

R 僕は生きていけます。それじゃ、生きる意味がないじゃないか、といわれたら別に命を捨ててもかまわない。「死」も感情を捨てる手段の一つだと思います。

――なぜ、そうまでして感情をなくしたいのでしょう?

R 僕が一番怖くて嫌いなものは「精神的な痛み」です。「傷つく事」とも言えます。
 人に嫌われたり悪口を言われた時の嫌な気分。僕の心というか感情はそういう痛みに対して過敏です。自分が嫌いな人からも嫌われたくない。
 要するに僕は臆病者なんです。
 そういうことから逃れるために僕は「痛み」の元の自分の感情を憎むのです。感情なんかなければいいのに。嬉しいと感じるよりも悲しいと感じない方がいいんです。

――嫌いな人からも嫌われたくない。そして嬉しいと感じるより悲しいと感じない方がいいのですね。
 その先に何があるのでしょうか?とても無理なことにエネルギーを使っていると感じますが。

R 無理な事……ですか?あなたもやはり感情が絶対だとお思いですか?理性は感情に逆らえないと?

――いえ、そうではありません。私にとって絶対的なものといえば「死」しか思いあたりません。
 感情は肉体同様、ただそこに存在するのでは?。
 理性の力で心臓や肝臓の動きを操作できないように、自然に湧き上がる感情も理性や意志で押さえつけようとするのは不毛なことではないかしら。

R 沸き上がる感情は、それが好意であれ憎悪であれ、他人に対するものならば感情である事に変わりないですよね。
 その感情を「逆らえないものだから」といって、想いのまま相手にぶつけたらどうでしょう?
 相手の感情を、状況を、状態を無視して相手に自分の想うまま感情をぶつける事はいいのでしょうか?
 「理性を持たない愛はただの暴力だ」。本からの引用ですが、これは真実だと思います。

――自分の想うままに相手に感情をぶつける行為が良くないのは当然です。
 感情を対人に示す場合は、それが相手に示していいものかどうかを選択する能力と示す技術が必要です。
 私が言っているのは対人に示す前の段階のこと。

R どういうことでしょうか?

―― 例えば誰かを「憎らしい」と思う。その場合、そう思う自分を否定せず、受けれるということなんですよ。
 さらにそう思う自分と向き合ってみる。
 その感情がどこから来るのか分析してみるのもいいかも知れません。
 まぁ、そういうことが面倒くさかったら、とりあえず、湧き上がるままに放っておく。勿論、この段階で相手にぶつけないようにする。そこは理性で。
 穏やかな人というのは、何も感じていないのではないのですよ。
 感じたことを自分の中で処理して、意志の力でむやみに外に出さないようにしている人なのではないでしょうか。あるいは、感情の示し方が、他人を不快にさせない人とかね。

R どうしてですか?他人を憎む事はいけない事じゃないんですか?悪い事をしてる自分を肯定するのはいいんですか?

――感情それ自体にはいいも悪いもないでしょう。例えば、身勝手な殺人を犯す人を憎むのは悪いことでしょうか?自然な感情だと思いますが。問題は「憎しみ」に突き動かされた後に、どういった行動をとるかでは?

R 「想う」だけなら何をしても構わないんですか。

――いけませんか?

R あなたはご自分を肯定していますね?自分の中の「我」に重きを置いていらっしゃる。だからこんなにも感情を肯定されている。僕みたいな考えの人間とは平行線をたどるばかりですね。

――そう思いますか。私は、この話し合いが平行線だとは全く感じていませんよ。
 ただ、あなたの思考の回路が停止して、考えることを拒否している印象があります。
 世にあまたあるミステリーやサスペンスやホラー小説。
 それらは作者が自分の中の悪意を、作品という形で昇華させた結果です。
 悪意を抱くのが悪いとして、感情を抑圧していたら存在しえなかったのでは?他にも絵画や映画などの芸術作品、漫画などもね。
 あなたは、私が自分を肯定していると言いましたが、私には、自分を肯定せずになぜ生きていかれるのか不思議です。
 この世界を認識しているのは自分自身なので、自分を肯定できないということは、世界をも肯定できないということではないですか?それで生きるのは、なさかなかしんどそうです。

R そう思えるのは、あなたが自分以外の誰かに必要とされ、大事に想われているからですよ。
 また、あなたがその想いを信じているからではないでしょうか。

――私が誰かに必要とされているかどうかはともかく、私は自分を受け入れてはいますが。  

R あなたはとても強い人だと思います。そんなことが出来るのですから。僕には出来ません。
 それはたぶん、自分を一番信じていないから。
 僕は自分が世界に唯一のものだとは思えないんです。代わりがいる気がしてならないんです。
 僕には……自分が此処に居ていいのか、自分がここにいる理由が、分かりません。

――あなたはこの世で、唯一無二の存在ですよ。
 その顔の、その肉体の、そのDNAのRさんは、他に存在しません。現に今だって、あなただから、私に目をつけられ(笑)、ここでこんな話をしているのです。他の人ならこういう展開にはなっていないでしょう。

R でも、この話し合いだって、何も僕じゃなくてもよかったんですよね。

――私とこんなやり取りをするハメになったのはあなただからです。
 自分がここに居る理由。それは苦労しつつも自分で発見しなくてはなりません。人生とはその問いの答えを探す旅ではないでしょうか。「人生の意味」とは、それを問うのではなく、私たち自身が、人生から問われているのです。「あなたは何故、今、ここに存在しうるのか?」と。
 まあ、「すべての生き物はただ生まれ、死ぬ。人生に意味なんかない」とする考えも、私はそれはそれでいいと思います。ただ……そう思うには人生は長すぎるし、目的や意味を欲するのも当然か、と。

 それはともかく、私は、本日ただいま、あなたとの話し合いに全力を注いでいるつもりですが。
 この年まで生きていれば、若い人とこんな話をしている自分に出会うことが出来るという感慨とともに。

R あなたはどうして他人を信じられるのですか?

――信頼しないと何もできないからですよ。それこそ生きていかれません。
 世の中は、人間同士の信頼で回っています。仕事を依頼し、納期どおりに仕事が上がってくる。まぁ、たまに間に合わないことや、どうにも出来上がらないこともありますよ、そりゃ。思わぬミスや、詰めの甘さなどでよくない結果になることも確かにある。
 でも、社会は基本的に信頼と約束事で動いています。
 時間通りに電車が走り、お店や職場が開き、物品やサービスとお金のやり取りがあり、お釣りはごまかされない。とりあえず、現代の日本の社会はそうですよね。
 報道をにぎわすアナーキーなケースや人々もありますけれど、大方の人は他人を裏切ろうと思って生きてはいません。

 私は、個人的には相手の言うことはそのまま受け入れるようにしています。カルト教信者の言うことも、「本人がそう言うんだから、それは本人にとってそうなんでしょう」と受け入れますよ。
 ただ私にとってはそうではないので、私自信は入信しないだけです。
 相手が約束をたがえた場合は、相手には約束を果たせないだけの理由があったのだろうと、認識しますが。私自信、やむを得ず約束を果たせない場合がありますから。勿論、事前のことわりや、事後のフォローをきちんとしますが。

 それでも、相手が信じてくれないなら、その現実を受け入れるしかありません。
 なぜなら相手の感覚は相手の領分なので、私がどうこうできるものではないからです。
 自分がどうこう出来るのは自分だけです。 他人のことは、いくら想像したところで、あくまで、こちらの想像の範疇を出ない。
 ただ人間というのは面白いもので、言葉よりもその人の行動や身体に現れる様々な表情が実に雄弁に、その人の真実を語っていたりしますよ。

R ……そういう不安定な関係の中で人を信じるんですか?
 相手は嘘をついてるかもしれないんですよ?

――嘘でもいいじゃないですか。それがその人にとっての真実なのかも知れませんよ。
 相手が何を差し出そうと、こちらは率直な信頼を差し出していればいいのでは。そうすると、相手を甘く見て嘘で丸めようとする相手は遠ざかってゆきます。嘘を重ねすぎると、相手ではなく、自分自身が内部崩壊していくものではないかしら?
 そんなわけで私の交友関係は仕事もプライベートも全く不安定ではありません。皆、それなりに信頼で繋がっています。でなければ仕事は立ち行かないし、友人関係も続きません。ただし度を越えてプライベートに踏み込んだりすると、信頼関係は壊れます。
 他人に見せている顔とプライベートが完全に一致する人は多くはないでしょうから。

 相手の思惑は怖くないのですか?

――怖いのは、他人の思惑ではなく、抑圧し続けた自分自身の自然から、ある日、復
讐されることではないかしら?

愛を教えて-Rとの対話№2に続きます

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