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Christmas † クリスマス!№2冬至祭Ⅱ

 クリスマスはもともと冬至の祭りだったと前回の記事に書きました。当時の人々はどんな気持ちで冬至の祭りを迎えたのでしょうか。

 

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 とりわけ寒さが厳しいヨーロッパにおいて、冬というのは、常に死の恐怖と結びついていました。雪や氷や吹雪に閉じ込められ、気温は零下何十度にもなる日が何ヶ月も続きます。それは、このまま明るい太陽は拝めないのではないか、春や夏というのは自分の思い過ごしだったのではないか、と思えるような厳しさでした。

 保存食が尽きたら、槇が底をついてしまったら、重い病気にかかってしまったら…それらは即、死を意味するも同然。そんな恐怖とともにじっと身を潜めるようにして生きねばならない季節だったようです。
 この自然が与える厳しい試練ゆえ、冬至を迎えるということは、冬の峠を越えたも同然。この日を境に太陽は日増しに力を取り戻し、次第に昼が長くなります。死の恐怖を克服し、生への希望をとりもどす日として、いかに喜ばしい日であったか想像にかたくありません。

クリスマスの元になったお祭りと儀式
 ローマ神話のサトゥルヌスは農耕と豊穣を司り、土星Saturnの語源となった神。古代ローマではこの神を崇めるサトゥルナリア祭が行われていました。

 12月25日(冬至)から1月の6日までの7日間(12月17日から24日までという説も)、仕事や学業は休みとなり、ミサ(豊穣の儀式)や道化祭り、無礼講の宴会、仮面劇などが催され、人々は古代の精霊たちと一体になったかのような騒ぎに打ち興じたといわれています。そしてこの祭りが後の、カーニバルやハローウィンになっていったということです。

 その後に来るローマ帝国時代は初期キリスト教時代。キリスト教とは無関係のミトラ教の方が広く信仰されていました。ミトラ教は12月25日を「Nataris Sol Invictus (ナタリス・ソル・インヴィクタス)ー無敵の太陽の誕生日」という名の祭日としていました。この日は若い太陽神を崇める日で、再生した太陽の神が新生児の姿を借りて現れるとされていました。
 しかしミトラ教はローマ帝国の国教とはならずに、次第にキリスト教に取って代わられていきました。キリスト教はミトラ教を吸収していったのです。

 日本における冬至の祭りとはどんなものだったのでしょうか。
 日照時間が一年で最も短い霜月の下弦の日(現在の12月22日頃)は、農耕生活者にとっても危機感をあおる日だったようです。神々を村に迎えて盛大に祝う行事が冬至前後に集中していたようで、地方によっては地上で盛んに火をたいて太陽の光を強めようとする祭りなどもありました。
 冬至の夜に神聖な旅人が村々を訪れ、奇跡を起こすという伝説が多く残っており、これなどはサンタクロースを彷彿とさせます。ちなみに、この旅人は弘法大師とするところが多いそうです。

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