愛を教えて-Rとの対話・№5

 愛を教えて-Rとの対話・№4の続きです。


R 貴女は「他者の愛や情や好意を拒否するのは、強いからではなく、それらを受け入れられないほど脆弱な自我しか持ち合わせていないから」とおっしゃいました。
ならば「許容力、包容力」が無ければ弱いのですか?「心の余裕」が無ければ脆いのですか?
 
――そう思います。それらは精神の弱い人間には持ち得ない力だからです。

 僕にユーリのそれと同じものを感じますか?

――いいえ。あなたはユーリに憧れ、共感したかもしれませんが、ユーリとは全く別の人種だと信じます。
じゃなきゃ、私とこんな話はしていないでしょう。

 僕を弱い人間だと思いますか?

――弱いとも強いともいえません。
 少なくともまだ何の罪も犯していません。
 なんといっても成長途上にある人です。まだ16歳です(たったの!)。
 自分の望む自己をいかようにも創造してゆけます。
 あなたには瑞々しい精神のキャパシティを広げて欲しいと望んでいます。

 そう…ですか。
 貴女とこうやってお話していて、僕の考え方は変わったのかもしれません。
 あるいは、まだ変わって無いのかもしれません。

 僕の考え方は僕自身がまだ精神的に幼いので、自分にとって、都合の良い様に理屈付けて、実は事実から目を背けているだけなのかもしれません。
 しかも本質を全然理解していない。
 他人に対してだって、「信頼していない」と言いながら他人に縛られて生きていて、自分の心の器から溢れてしまった物を否定しています。
本当は自分の器が小さすぎるのが原因なんですよね。
 僕は心の狭い人間ですね。
 自分に理解出来ない、分からない物を唯否定している。
 まるで駄々っ子みたいですね。

 貴女とお話して僕は、「自分の非」を、「自分の感情」を「自分の器の狭さ」を知りました。
 それで?僕はどうすればいいんでしょうか?
 自分の問題を解決する策は目の前にある。
  「他者を包容する力、許容する力」僕に足りない物はこれですよね?
 これを知った僕は何を変えれば良いのでしょう?
 どのように感情を表現すれば良いのでしょう?
 どうしたら他者の気持ちに応えられるのでしょう?

 本来これらは自分で探さなくてはいけない物なのは分かってます。
 だから、僕は貴女の親切心に甘えているのでしょう。
 答えたくないなら、構いません。

――よくここまでたどり着きましたね!
 よくまあ、こんなハードなやり取りに耐えたものです。
 あなたには自分自身と向き合う勇気が、知性がちゃんと備わっているではありませんか。
 やはりあなたの性根は歪んでいませんでした。すでにあなたは臆病者ではありません。

 『これを知った僕は何を変えれば良いのでしょう?
 どのように感情を表現すれば良いのでしょう?
 どうしたら他者の気持ちに応えられるのでしょう?』

 これらについては明日以降、一緒に考えていきましょう。
 私なりに援助します。たよりがいがあるかどうかわかりませんが……(笑)。

 『本来これらは自分で探さなくてはいけない物なのは分かってます。だから僕は貴女の親切心に甘えているのでしょう。』

 自分で探さなくてはならないとしても、他者に助けを求めるのは当然ですよ。
 そのために経験のある大人がいるのです。

Rご迷惑ではないのですか?
僕は「他人様に迷惑だけはかけるな」といわれて育ちましたから。

 ――「他人様に迷惑をかけないように」
 これは親がよく子どもに言う言葉ですが、結構、罪つくりな言葉かも知れません。
 これを言う以上、「迷惑」と「世話になる」ことの違いを教えなくてはならないと思います。

 人は人の中でしか育つことができません。
 誰だって人を世話して、人に世話にならずには生きていかれません。
 子どもも大人も老人もです。まして、あなたのような若い人の世話をし、間違いを示唆し、面倒を見るのは大人 の務めです。
 だから人に世話になるのはいいのです。

 ただ、世話してくれた人には感謝して、さらに、いつか自分が大人になった時に、若い人に同じように愛情を返してゆけばそれでいいんではないでしょうか。
 人の世はそうやって廻ってきたのだと思うのですよ。


intermission

R こんばんは。夜分に申し訳ございません。
 今日やっと、合宿が終わり、一通りのやる事が終わったのでメールさせて頂きました。
 これからはまた、コンスタントに遅くとも一日以内に返信できると思います。
 そして、またお聞きしたい事があるのでメールさせて頂きました。

「誰かを信頼する事、愛する事。」
僕は今まで、自分が愛されたいから他人を愛すのだと思ってました。
それが全てだと思ってました。
でも、それが全てじゃないんですね。
「愛されたいから、愛す」のではなく「愛したいから、愛す」
このように自分本位の行動。
僕に出来るかどうかは別として、貴女はこの考え方で生きているのですね。

 僕は今までこういう考えを認めてませんでした。
 だから、今も他人へ抱いた想いが帰ってこない事を恐れているんですね。
 貴女は自分が信頼している人に、愛してる人に自分から何をしたいと想いますか?
 年末の忙しい時期に長い文章、本当にごめんなさい。
 返信は遅くて構いません。
 待っています。

――合宿お疲れ様でした。実りある合宿でしたか? 

 あなたのメールを読むと、よくここまでの境地に到達したものと感心いたします。
 『貴女は自分が信頼している人に、愛してる人に自分から何をしたいと想いますか?』

 例えば何かを美しいと思うとはどういうことでしょうか?
それは、そう思う人の内面に、美に対する感受性があればこそ、対象の美と感応しあって、美を美と感じることができます。
 美意識、美に対する感受性のない人はどんなに素晴らしいものを見ても何も感じません。

 愛もこれと同じで内面に愛のない人は対象に愛を感じることができないものです。
 ここまではあなたはもうお分かりですね。
 では「愛する」とは、「愛の実践」とはどういうことか?をあなたは求めているのですよね。

 『 僕に出来るかどうかは別として、貴女はこの考え方で生きているのですね。僕は今までこういう考えを認めてませんでした。だから、今も他人へ抱いた想いが返ってこない事を恐れているんですね。』

 他人を愛するにはまず、自分の中に愛が満ちる必要があります。
 ぬいぐるみを思い浮かべて下さい。
 ぬいぐるみというのは癒しのグッズです。
 ふっくらとしたぬいぐるみは思わず抱きしめたくなります。
 ところが、愛のない人というのは、ぬいぐるみの中のパンヤが少ないか、入っていないようなもので、シワシワのぬいぐるみです。
 いくら立派な布地で豪華な飾りが付いていようとも、想像するだにみじめな感じがしますね。
 
 このパンヤ(愛)は誰かが入れてやらねばなりません。
 子どもに対しては、親を含むまわりの人間たちがそれをし続けなければ、愛のなんたるかが分からなくて当然なのです。
 パンヤ(愛)が満ちてパンパンになれば自然に人を愛することが出来るようになります。

 「愛の実践」は、マニュアルでするものではないからですよ。

愛を教えて-Rとの対話・№6に続きます。

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紅茶党-小さな恋のメロディ

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管理人は紅茶党。

 煎茶や珈琲も好きですが、日常的に紅茶を愛飲しています。

朝は、お湯を沸かしてポットで紅茶を淹れているうちに目が覚めてきます。

 濃い目に淹れて、蜂蜜や砂糖、クリープや暖めた牛乳、あるいはマーマレイド、時に生姜などを淹れて飲みます。手軽なティーバッグもよく使いますが、必ず沸騰したお湯でポットで淹れ、ティーコゼー(お茶帽子)で保温します。

 茶器は、丈夫で使いやすく品のあるウェッジウッド。かつて香港やシンガポールを旅行した時に、安く手に入れたものです。

 写真は、我が家にあるブルー&ホワイトの食器。カップ&ソーサーはウェエッジウッドではなく、スポードのブルーイタリアン。ヴィクトリア時代の雰囲気が感じられる柄です。

 我が家には白地に青の柄の磁器が多く、産出国は英国、タイ、日本、デンマーク、ベトナム、韓国とバラバラです。でも、色使いが同じなので違和感はありません。
 ちなみに、普段使いするため高級品は持っていません。

 話を紅茶に戻します。
 管理人が小学生の頃、大ヒットした小さな恋のメロディというイギリス映画がありました。
 思春期の、可愛い子役たちの魅力が一杯の学園ものです。

 管理人にとっての最も印象的なシーン。
 
 ヒロインのメロディが、学校の帰りに、好きになったダニエルを家に誘います。
 メロディの家ではちょうど3時のお茶の時間。
 家族は、娘が連れてきた突然の来客を暖かく迎え入れます。

 お母さんが、大きなティ-ポットから熱いお茶を注ぎ、これまた大きな生ハムのスライスをお皿に取り分けてくれます。
 「ハムは骨の周りが一番美味しいわ」
と、お婆さん。
 
な、何っ!?このバラ色の、ハンカチ大の、うす~い美味しそうなハムは!
 明らかに日本のハムと違うハム。

 さらに
 「ダニエル、魚食べる?」
 とお母さん。

 魚!?ティータイムに魚!焼き魚?まさか、煮魚じゃないよね。
何だか知らないけれど、紅茶と合う魚って食べてみたい……。

 この魚、オイルサーディンですね。トーストに乗せて食べると美味しいですよね。

当時の日本の子どもには十分にエキゾチックな英国の食生活。

でもって、愉快なお父さんが、娘の初めてのBFを前にして、やたらとテンパりながら、嘘かホントか分からない話で、一所懸命笑いを取ろうとするところ。
 英国庶民の幸せそうな一家団欒の様子にすっかり魅了されてしまいました。

ダニエルとメロディの愛の語らいも、トムの頼もしいガキ大将ぶりも、ラストのカッコイイ結婚式も、ビージーズやCSN&Yの音楽も,皆みんな素敵だったですとも!
 しか~し!
 食い意地の張った子どもだった管理人の印象に残ったのは食事のシーンばかり。

 他にも、ダニエルのママが出かける直前までお茶を飲んでいるシーン、職員室の朝のティータイム(ただし、ここで先生方が飲んでいるのはネスレのインスタント珈琲だそうです)など、実に美味しそうなお茶がよく出てくる映画でした。

 高校の頃はなぜか一部の友人たちの間で紅茶が流行し、男子も女子も、ダージリンがいいだの、アッサムだの、オレンジ・ペコがどうのこうのとおしゃべりしていた記憶があります。
 
 ちなみに管理人は祁門(キームン)かアールグレイが好きです。

愛すべきガキ大将、トムを演じたジャック・ワイルドは、2006年に53歳で世を去りました。 
 映画「オリバー」で、すでに本格的な演劇人を予感させる芸達者ぶりだったジャック。 
ありし日のジャック・ワイルド

カマルグのアトリエ管理人・モーランGさんの、目頭が熱くなるようなサイトです。

 一方、ダニエルを演じたマーク・レスター
天使というものが地上に存在したら、きっと、かくあるべしと思わせる程、可愛かった彼は,カイロ・クリニックを経営する実業家に。
カールトン・クリニック
 
 

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愛を教えて-Rとの対話・№4

愛を教えて-Rとの対話・№3の続きです。

――昨夜はメールが中途半端になっちゃいましたね。
続けたい気持ちに体力がなかなか追いつきません。
いつかあなたに言ったことがあると思いますが、今の精神状態で、若い頃の体力があれば……と思うのはこんな時ですねぇ。

 さて、私が感じた「私たちの精神の共通性」は、
・ものごとを突き詰められないではいられない業のようなもの。
・文学や思想、世の中の出来事、自分の身に起こったことを言語化しようとする性。
・人嫌いではありませんが、俗っぽさばかりの中では閉塞しそうになってしまうところ。
・精神的な高み、例えば、遥かに輝く星のようなものを目指していきたいといった願望……
 他にもあるかも知れませんが、とりあえず、思い浮かんだものを挙げてみました。
 ここで、一旦、メールを止めます。テストが終わったらまた送信しますね。

あの……僕、テストなんてほとんど気にしていないんで、出来ればればこのまま続けて頂けませんか?

intermission

 返信、遅くなって申し訳ないです。
 そして、自分勝手ですが「期末テスト」が思った以上に危なかったので、一端メールを止めさせて頂けませんか?
 本当にごめんなさい。自分の学力を過信してた罰ですね。
 でも、必ず返しますから。
 まだメールを切りたくないのです。宜しいでしょうか?

――勿論ですよ。今はテスト勉強に集中なさい。
 真剣なやりとりは、勉強の気晴らしというにはエネルギーを使い過ぎます。
  いくらあなたの成績がいいとはいえ、テスト中にこんなことをしていていいのかと、とても心配でした。
 いつでも再開しますから安心してね。
 


 テスト終わりました!
 『精神的な高み、例えば、遥かに輝く星のようなものを目指していきたいと思う願望』
 僕は「高み」に行きたいの かは分かりません。
 唯知りたがりなだけでそんな大層な事じゃないと思いますが?

――あらら?これはあなたが私に言ったことですよ。
 いつか食事に向かう途中、路上で二人で、三人目を待っていた時に。
 「もっと洗練されたい。精神的な高みに近づきたいんです」って言いませんでしたっけ?

そうでしたね。ごめんなさい。僕の言動は矛盾していますよね。


ー―謝らなくていいですよ(笑)。
   その時、あなたはトーマの心臓(萩尾望都作の、少女漫画の最高峰の一つ。ドイツの寄宿学校を舞台にくり広げられる、多感な少年たちの物語。テーマは、愛と贖罪)を読んだ直後だったので、その影響から、そんな言葉が出たのかもね。

 自分の考えは常に変わります。大方の人間は皆、矛盾しているものですよ。
 私もこの年になっても、それまでの考え方がひっくり返る瞬間を、何度も経験しています。
 まして若い時は、朝と晩で変わっていました。

R こんな僕と話しているのは嫌じゃないんですか?

――あなたは、事あるごとに
「こんな僕はイヤじゃないですか?本当ですか?でも、もうそろそろイヤになりませんか?」
と、言いますね。
 まるでこちらの忍耐を試されているような印象を受けるのですが。

 僕自身にそんな気は全くないのです。
 唯、貴女もおっしゃった様に僕と性格が正反対に近い貴女は、僕と話していて苛々するんじゃないか?と心配しちゃうんです。
 だって、わざわざ僕のために時間を割いてメールして頂いてるのに、たとえ僕が故意じゃないとしても、貴女を不快にさせたらそれはとても失礼な事だと思うのです。

ー―そんな風に思ってくれていたのですね。
 私はあなたにイライラしたりはしませんよ。
 失礼だなどと感じたこともありません。
 むしろ、私の質問にきちんとメールを返してくる律儀さは驚きに値します。

 ただ、あなたの無防備さがなぁ……私じゃなくて、他人に対しての無防備さが……例えば、発する言葉に相手に対する怒りがこもってしまうあたりが、気にかかるというか、心配なのです。
 これは自分の湧き上がった感情を、自分のなかで、一旦咀嚼、あるいは咀嚼しないまでも、思いとどまるという行為があればいいと思うのですが。

 僕は貴女みたいにはなれませんよ。自分の存在も確立出来ていませんから…

――あなたは私ではないので、私のようになるのではなく、自分自身になるのです。
いつか電話で
「改心する前のユリスモールには共感するが、改心した後の彼は好きじゃない」
と言いましたね。それはどうしてですか?

 傷を負った後の彼は、他人に優しさを求めなくなり、異常なまでに感情を抑えて、まるで感情が無い様に振る舞ってました。彼の対人の立ち振る舞いは、僕の「理想」に通じる物があったのです。

――では、あなたも、サイフリートのような人物との出会い、あるいは身体にBrand(烙印)を受けることを望みますか?

 でも、僕はユーリと同じように傷を負いたいとは思えません。負っても僕は彼の様に振る舞えないからです。
「改心する前のユーリ」の生き方が僕には「強く」見えました。彼はサイフリートに会い、背中に消えない傷を負いましたよね?
 傷を負った後の彼は他人に優しさを求めなくなり、異常なまでに感情を抑えて、まるで感情が無い様に振る舞ってました。
 彼の対人の立ち振る舞いは僕の「理想」に通じる物があったのです。だからだと思います。勿論、貴女は間違っているとお思いになると思います。

――そうですね。
 あなたを傷つけるかも知れませんが、やはり、あなたは「強さ」というものをはき違えていると思わざるをえません。
 例えばヤクザの下っ端のチンピラが、強さを装って肩を怒らせ、周囲を威圧して闊歩し、コワモテ風の表情やファッションに身を包むということをしますが、私に言わせれば、ユーリの振る舞いもチンピラと変わりません。
 演じているモノが違うだけで、世の中や人間の情、何よりも自分自身の自然というものをナメきった思想は一緒です。
 それは卑怯な者が、強さを勘違いして演じるパフォーマンスです。
 しかもユーリ自身はうまく演じている(周囲をすっかりだましきっている)つもりが、実はトーマもオスカーもバッカスもお見通しでした。
 エーリクなどは直感でユーリの欺瞞を見抜いてしまいます。
 ユーリは完璧主義者ですが、じつは完璧主義な人というのは完璧からは程遠く、返って自己の不完全さやほころびを過度に露出してしまうからです。
 「完璧主義」とは、「完璧」というありえないものを追求しすぎた人が陥る病ではないかしら。

 『傷を負った後の彼は他人に優しさを求めなくなり、異常なまでに感情を抑えて、まるで感情が無い様に振る舞 ってました。
 彼の対人の立ち振る舞いは僕の「理想」に通じる物があったのです』

 他者の愛や、情や、好意を拒否するのは、強いからではなく、それらを受け入れられないほど脆弱な自我しか持ち合わせていないから。
 ユーリは脆弱な自我をかかえ、自らを孤立に追い込みつつ、実は
「自分の何もかもを引き受けて現状を打開してくれる強い他者」
を渇望していました。
 ユーリが跪く(精神的に)相手がトーマだったなら、普通の人間として救われた筈ですが、ユーリはトーマの真っ直ぐで純度の高い愛情を受け入れることができませんでした。
 ピカピカの優等生でなければならないと思い込んでいたユーリは、自らのシャドウ(暗いネガティヴな部分)を過度に押し殺していたので、どうしようもなくサイフリート(悪魔)に、ひかれました。
 そして、心身ともにズタズタにされたのですね。

  その後、まあ、いろいろあって、ユーリは正気を取り戻しますが、ユーリが本当に繋がるはずであったトーマは、すでに、この世のものではなく、故にユーリは一生を、トーマ(神)への愛に捧げるべく、修道の道へ向かったのです。
以上が私の「ユリスモール」の解釈です。

 ユーリはおそらく、傷をつけられる前は自身の「自然」も他人の「情」も認めていたのでしょう。
 しかし、「傷」を受ける事で彼は変わった。
 彼は自分を律し、何事にも興味がない様に振る舞った。
 僕が思うにユーリは傷を負ってからも感情を表現したかったのだと思います。
 しかし、トーマを裏切り、サイフリートに向かったという事実が彼を締め付けているのです。
 つまり、彼にとってサイフリートに向かった事が罪で、その罰として、自分の感情を面に出さない様にしていると思います。
 罰の意識から、必死で自分を押さえ付けている人を、ヤクザのそれと同じだとは思えません。

――そもそもユーリが世の中をナメていたのは、サイフリートとの一件が発端なのではありません。
 オスカーが転入してきた当初から、彼は、臆面もなく
 「自分のソンになることはしないんだ。自己嫌悪にかかりたくないから。後悔や反省も嫌いだ」
と言うような子どもでした。
 ハメを外さず、やることすべてが考えつくされ、計算しつくされた子。
 たいした優等生哲学ですが、私自身の好みからいうと、こういうお子サマはあまり好きではありません。
 ただ、それは彼のコンプレックスに根ざした振る舞いであり、環境から獲得した感覚で、このあたりまでは、幼いながらも良く頑張っていました。

 ときにユーリのコンプレックスはファザーコンプレックスです。
彼の父親はドイツ国の基となった六つの種族にはいないギリシャ系ドイツ人。
 コンサバな人たちからは異端視される人種です。
 しかもユーリのおばあ様いわく、
 「事業に失敗し、山ほど借金を抱えて死んでしまったバカ」。
 そんな父の汚名を晴らすためと、現実にある借金を返し、自分に冷たい祖母、ひいては自分を差別的な目で見るドイツ民族を見返すために、自分はどうしても成功するしかない、と思いつめていたのです。
そして、「ひとりで虚勢をはって、自分の理想であるところの完全な人間を目指していた」わけですね。
 ユーリは、いじらしいほど健気な頑張りやだったのです。
ただ、そういう人間にありがちですが、自分が同世代の友達すべてより優位に立っていたつもりだったと思います。でなきゃ、やっていられませんよ。実際。
 友情や同情、好意といった、友人たちが彼に寄せる、血の通った人間の情といったものはユーリにとって邪魔くさい余計なものだったでしょう。

 私が思うに、ユーリの罪は、トーマではなくサイフリートに向かったことそれ自体というよりは、サイフリートに烙印を押されたことによって「自分はもうダメだ」と思ってしまったことです。
 後悔している自分自身を、ユーリを救おうと手を差し伸べているトーマを受け入れられなかったことです。
 本気で罪を悔い改めたいと望むなら、今度こそ、自分で自分を縛り付けるといった愚考をやめて、自己開示しなければなりませんでした。
 人間が罪を犯してしまう場合、ある意味しかたのないケースがあると私は思っています。
 ただ自分の罪に気付いた後にどういう行動をとるかで、その人の真価が問われます。
 ユーリの場合、罪の意識におぼれているだけで、すべてを拒絶し「死んだも同然」になっていたことがサイフリートに向かったことよりも罪深かったと感じます。そこに留まっていた限りにおいてユーリはヤクザな人間になってしまっていました。


愛を教えて-Rとの対話・№5に続きます。

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愛を教えて-Rとの対話・№3

愛を教えて-Rとの対話・№2の続きです。


 いいですよ。全然構わないです。いや、素晴らしい持論だと思いますよ。僕も「死」の先は「無」だと思います。残るとしても、人の記憶の中だけでしょう。


――ご賛同ありがとう。でもってですね、私はプライベートにおいては、あまり好きではない人や興味を持てない人に、時間やエネルギーを注ぎたくありません。
 なるべく多くの人と広く軽く関わる、ということも、苦手です。
 
でも、その事を知った上でも、行動出来ない人は居るんじゃないですか?

――たしかにいるでしょうね。おせっかいながら、行動できない理由の一つに、「荷物を持ちすぎているから」というのがありそうです。
 つまり、あれもこれも手放したくない。その実、どれもこれもどうでもいいように思える。で、身動きがとれない。自分の立場も混乱してしまう。そういう経験はありませんか?

 僕多分、このタイプですよ。僕は今まで「八方美人」って良く言われてましたから

――変える気はありませんか?

R 変えたら何が変わるんですか?

――できれば受けたくない「痛み」が、「喜び」や「楽しみ」よりも、より生きてる実感
を与えてくれる、などということはくなるでしょう。

R じゃあ、溢れている僕の中の何を捨てればいいんでしょうか?

―― ここで重要な鍵になるのが、あなたの不得意な「自分の感覚」です。これがないと、あるいは鈍っていると取捨選択は到底出来ません。
 溢れているものの中から「大事なもの」と「どうでもいいもの」に仕分けするために、まず、自然に湧き上がる自分の感情に蓋をしたり押し殺したりせず、それを受け入れてみてはどうでしょう。
外に出すのではありませんよ。もちろんいい感情も、悪い感情も。

R 不躾ですみません。貴女は僕にどうなって欲しいんですか?僕をどうしたいんですか?
思い上がりだったらすみません。

――幸せになって欲しいんです。「僕は別に不幸じゃないですよ」とか言われそうですが。
 手首を切って生きていることを実感している子が目の前にいて、それを知ってしまった以上、放っておくことができないのです。
「やりたい人間にはやらしておけばいい。本人の勝手である」
という対応は、年配者にならともかく、若い人に対しては私はしたくありません。まぁ、この答えはいずれまた。
あなたが、なまけもので、頭の悪い子なら放っておくのですがね。

そうなんですか……。

――自分の立ち位置が分からなくなった」例の「無 論、これ以外にもあるんですけど…」を、よければ教えて下さるかしら。

 そうですね…やっぱり、「無視」って事が関係しますね。自分が誰も信用して無いと肌で感じた時、自分から人を無視した時、「自分はこの人達とは仲良くなれない」と思った時に、「じゃあ、逆にこの人達とは違う自分は何なんだろう?
 自分はあの人達と同じ場所に立ってない」と感じる事もあります。
……やっぱり、説明が下手ですみません。

――「この人達とは違う自分は何なんだろう?自分はあの人達と同じ場所に立ってない」
この感じが、あなたにとって、自分の立場が分からなくなって自傷行為に走る程しんどいのですね?
 私も、そういう感覚は、実は幼稚園くらいの時から感じていたましたよ。つまり、他の皆が楽しいとする集団の遊びなどがさして楽しくない。一人で絵でも描いてる方が余程いい。
 子どもって野蛮でバカだ。自分も野蛮でバカなのに(笑)。
 アニメやテレビの話も、皆が夢中になるほど楽しくない。
空想をめぐらすとか、好きな本でも読むとか大人と話している方がいいとかね。でも、そういうこととは違うんでしょうね、きっと。

 いや、僕もそうですよ。大人の人と話す方が楽しいし、皆でワイワイやるのは嫌いじゃないんですが、苦手というか、めんどうくさいというか…周りの子(特に一部の女子)にはもう、呆れています。  
 つまらない事で集まって…僕には唯の「馴れ合い」にしか思えません。
 周りの子が悪い意味で、子供に見えます。

――それは大人でも変わりませんよ。
 ま、ただ本人たちが好きでしていることに対して何の文句もありませんが、自分が関わらなくてはならない場合は困りものです。
 かつて、ある会議というか寄り合いの、あまりの馬鹿馬鹿しさにテーブルを引っくり返したくなるくらいウンザリしたことがあります。
 そこでは誰も問題の解決など目指していない、退屈しのぎにただ、他人を招集し、誰かの噂や悪口を言って馴れ合っている。以来、そういうものには一切出席していません。
 過激な危険人物です(笑)。
 つまり、あなたの場合は周囲への怒りの矛先が、他人ではなく、自分自身に向かう、というのが私との違いなのでしょうか?

 どうなんでしょう…。そうなのかもしれません…。
 周りにも怒りは有るのですが、輪に入れない自分にも憤りを無意識に感じているのかも知れません…

――「輪に入れなくても構わない。むしろこっちからお断り」とはならないんでしょうね。

 高校に入ってからは輪に入れなくて、憤りを感じる事は少なくなりました。
 多分、先生や話が分かる同級生、保護者と話す方がずっと、知的で面白い、という事に気付いたからだと思います。
 でも、やっぱり会話の様子を遠くから見ていると少し感じる事はあります。

――この先、大学、社会と進むにつれてあなたのレベルに合った人たちの割合はもっと多くなるかもしれませんね。
 まぁ、人間には孤になれる時間が必要ですが、「集団の中の孤独」というものには、なかなか慣れないですよね……ところで、自傷行為はすでに過去のことですか?

 それは、分かりません…。確かに「居場所」の事で最近は自傷行為はしていません。でもまた、自分がそういう事で自傷行為を行うかもしれません。
それに実は、自傷行為は「居場所」の事以外でもした事が無い訳じゃないのです。

――そうなんですね。あなたとのメールを読み返して感じたことがあります。
 どうも、あなたの言葉の認識の仕方に、微妙な問題がありそうな気がするのです。責めているのではありませんよ。
 私はこのやり取りにおいて決して、あなたを責めたりしません。どうか、誤解しないでね。
例えば、
・他人を信じる→他人の言うことを鵜呑みにする
・自分の感情をむりやり押さえつけない→感情のままに言動を表現する
・自分の感覚に責任を持つ→自分の身の上に起こったことはすべて責任を取らねばならない
いかがでしょうか?

今、挙げて頂いた例は確かに自分に当てはまりますが…僕の、その認識は間違っていますか?間違っているならどのように間違っていますか?

――「他人の言うことを鵜呑みにする」「感情のままに言動を表現する」「自分の身の上に起こったことはすべて責任を取らねばならない」これらを実践していたら人生はドツボにはまりまくってしまいます。
説明は…おいおいしていきましょうね。急がずにね。
あとはですねぇ……「謙虚」と「偽善」も混同している印象があります。

 僕は自分の事を「謙虚」か「偽善者」かと言われたら「偽善者」だと思いますよ。
というより、人は皆偽善者じゃないでしょうか。

――例えば?

 先に断っておきますが、これは僕の見解です。 かなりの偏った見方でありますが、それを押しつけてる訳ではありません。
僕から見れば、「他人のため」と言う人は、後の自分のために計算してやってる人にしか思えません。
だから、正直「ボランティア」や「募金」等をやってる人は、「誰かを助けたい」という表面の下に、社会的な見返り(賞賛や賛美)が欲しい」 という「欲求」が見える気がします。

――たしかにそういう人はいますね。
 でも、「人は皆、偽善者」と言い切ってしまうのはよくありませんよ。
 そうじゃない人もいますからね。もっと緻密に考えましょう。
 他者に愛情を注いだり、奉仕することで得られる喜びは生きがいになり得るのです。
 純粋にそれを目指す人もちゃんといます。
 そうか、そうでないかを見分けるのはわりと簡単ですよ。
 偽者は「善意」を他人に押し付け、自分がいかに世のため人のために頑張っているか、好かれているか、重要だと思われているかを、聞かれてもいないのにアナウンスしたがります。
 あとは「べき」とか「ねばならない」とかいう言葉を多用しますねぇ。
それから、あなたは「個性的」という言葉も誤解しているでしょ。
 あなたは、相当に、めずらしいくらい個性的な人です。

僕が個性的…どういう所がですか?

――物事の考え方というか思考回路、それらの表現のしかた、発声の仕方、しぐさ、他者のアクションへの反応。例えば、私があなたを含めた数人の子を食事に誘ったことがありましたね。その時の反応などなど、どれをとってもあなた独特のもので、他の誰にも似ていません。

「個性的」な事は「似てない」事ですか?

――「個性」とは、その人にしかない独自性といいますか、固有な特徴のことです。
 まぁ、それを言ってしまえば誰だって個性的なわけですが、私の経験からいうと、人の反応はたいてい、いくつかのパターンにカテゴライズされることが多いようです。
 ところが、あなたは、非常に独特です。つまりとても個性的ですよ。

 そう言ってもらえると嬉しい限りです。僕にとって個性的な人とは明確に「我」を主張出来る人でしたから。 だから、自分は個性的じゃない思ってました。

――「個性」はどちらかというと「主張」とは無縁なものではないかしら。
 なるべくしてそうなっている、あるいは、ただ、そうであるものだからです。
 借り物の、観念的な「我」をうるさいくらい主張する人、例えばよき母や妻、夫、善良な市民を自認している人たちの中に多いのですが、彼らは驚くほど似通っているものです。

R 人と形態面ではなく「精神面」で似ている事は、悪い事だと思いますか?

――いいえ。私は精神性に共通点がない人とは、なかなか深くは付き合えないのです。
 しかし、だからといって私と共通の精神性がない人を否定したりはしませんよ。

 では、お聞きします。貴女は僕と「精神の共通性」を感じましたか?

――とても感じますよ。

 どの様な所にですか?

愛を教えて-Rとの対話・№4に続きます。

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愛を教えて-Rとの対話・№2

愛を教えて-Rとの対話№1の続きです

 相手の思惑は怖くないのですか?

――怖いのは、他人の思惑ではなく、抑圧し続けた自分自身の自然から、ある日、復讐されることではないかしら?

Rそれは、自分が関わりたくない人と関わり続けた結果、ある日突然フラストレーションの限界を超えるという事ですか?

――そういうこともふくまれるでしょうね。例えば、リストカットなどの自傷行為をする子。彼らはどうやら、自傷行為をしている時だけ「生きている」感じがして、普段は生きている感覚を持てないらしいのです。普通にしているだけでは生きている実感がない。それ程までになるには余程、自分の自然な感情を押し殺してきてしまったのではないでしょうか。あるいは誰かに押し殺させられているのです。

 実を言うと…僕も…リストカット経験者です。僕がリストカットしたのは自分の立ち位置が分からなくなったからです。
自分の存在を確かめたくて、確かにここにいると思いたくて手首を切りました。

――そうだったのですね。

「痛み」はできる限りなら…受けたくないものです。 でも、「痛み」は僕にとって「喜び」や「楽しみ」よりも、より生きてる実感を与えてくれるのです。

――そういうことなのですね。リストカットは生きることを実感したいからする。死にたいわけではないのですね?

Rはい。死にたいのではありません。

――わかりました。ところで「自分の立ち位置が分からなくなった」と感じたことについてもう少し詳しく教えてくれませんか?

 うーん…何と言えば言いのか…。ある意味、立ち位置が分からないという事は「無視される」に近いと思います。
 例えば、三、四人の集団で話し合いをしていたとします。その中で自分も話し合いのメンバーなのに、話し合いは自分の存在を無視して、まるで始めからいなかった様に振る舞われる。
そんな時に不意に「自分はどこにいるのだろう?」と思う時があるのです。
無論、これ以外にもあるんですけど…うーん説明が下手ですみません。

――他人にどう思われているか気になってしょうがない、あるいは、嫌いな人からも嫌われたくないあなたにとって、これは辛いでしょうね。
つまり、あなたの存在が、他人の目の中にしか存在しないと感じられるならば。そう感じますか?

そう…なのかもしれません。他人は自分を感じるためにいる…のかもしれません
  
――あなたは他人本意で生きているのではないでしょうか。
世の中には、他人本位で生きている人と、自分本位で生きている人がいます。
 自分本位というと、自己中心な、わがままな、自分勝手なという意味に取られるかもしれませんが、そういうわけではありません。
 「自分の感覚に責任を持つ」という意味なのです。他者の反応は受け入れはしますが、それに振り回されたりはしない。よって、自分本位の人は、他人がどうであろうと、世の中で何が起きようとと、それはともかくとして、自分は自分である、と思えるのです。

 一方、他人本位というのは、「他人任せ」という意味です。自分が他人次第で、周りの状況次第で、いかようにも変わってしまう可能性があるので、非常に不安定な心もとない立場だと思います。どうでしょうか?

 そうです。自分には多分「個性」というものが無いのでしょう。
それに、「自分に責任を持つ」そんな事が出来る程、僕は強くありませんでした。僕はこんな人間です。自分が無いのかもしれません。話しいて嫌になりませんか?特に貴女の様に自分に責任が持てる人は、こういう人間を嫌うのではないですか?

――うーん。あなたは非常に個性的だと思いますけれどね。
「自分の感覚に責任を持つ」ということが、そんなにも難しいというか、何か特別な強さを必要とするのかな。
まあ、それはともかく、先日、あなたが私の頼んだ原稿を書き上げてきてくれましたよね。その時の嬉しさを今でも覚えていますが、あなたは他人に頼まれたことに対して、きちんと誠実な対応ができる人です。いとおしいと思いこそすれ、嫌うなどということはありません。

 僕にそんな感情を持っても良い事なんか無いですよ。

――私はあなたに何らかの見返りを求めているわけではありませんし、何か「良い事」を期待しているのでもありません。「可愛い」とか「いとおしい」という気持ちは、それを感じていることそれ自体が、私にとって幸せなことなのです。

Rそう……なんですか……。

――あなたは、他人から、「好き」、「愛しい」、「可愛い」と言われることは苦痛ですか?あるいは、苦痛ではないにしろ、「だから何?」といった感覚を覚えますか?


R だから何?と思う事はあります。愛し方も愛され方も分かりません。愛は重いと思います。相手の思いに対しては、断るとしても義を尽くすべきだとは思いますけど。


――あなたとのやりとりで、私が感じたあなたの思想―他人は信じるな。他人など愛してもどうせ裏切られるだけだ。この世の中に自分の居場所などない。人生は苦痛だ-―
これらをあなたに吹き込んだのは誰ですか?それとも、あなたが全くの自分自身のみで獲得したものですか?

R えーと…まず、人生は苦痛じゃないです。そこまで悪いものとも思ってません。
唯、別に何時この人生が終わっても構いません。僕は何時、死んでもいいのです。
勿論、「何時も後悔が無い様に生きて来たから、何時死んでも構わない。」なんて、前向きなものじゃないです。
僕が居なくても、世界も、学校も、人も、回っていくんですよ。変わらないんですよ。
それは、僕に代わりなんていくらもいるでしょう?
こういう考え方は…強いて言うなら「環境」から学びました。だって、誰が何と言おうとこれは感じられる「真理」の一つですよね?
「感情」に関して言えば、僕自身の経験や僕の性格から、こんなにねじ曲がった物になってしまいましたよ。

――ということは、裏を返せば、あなたは世の中や、世の人々にとって、特別なかけがえのない存在でなければ、ここに居る理由というか、生きる価値が見出せないと、言っているように聞こえるのですが、この解釈は違っていますか?

そういう訳ではありません。自分が特別じゃ無くてはいけないなんて思った事は無いです。「居ても居なくても同じ」って事です。

――それをいうなら、別にあなたじゃなくても、ローマ法皇だろうが、一国の首相だろうが、マザーテレサだろう
が、誰であろうと彼らが死んでも、世界も、学校も、人も、相変わらずなんの支障もなく回っています。その意味では、確かに「居ても居なくても同じ」。だから?この後に続く言葉は?

 うーん。勘弁して下さい。もう、僕なんて居なくてもいいではありませんか(笑)!

――(笑)では、あなたの人との理想的な関係はどんな感じですか?

R 円を思い描いて下さい。
円の中心に僕がいます。
円の中が僕の領域です円を構成する線が僕と外の境界線です。
僕の理想は「この線から僕は外に出ない。だから、あなた達もこの線より内に入って来るな。」つまり、線を引きたかったんですよ

――円の線を乗り越えようとする人がいたら、どうします?

R 何もしません。というよりできません。

――私は乗り越えまくりですが、これはいいのですか?

Rあくまで理想ですから。人生は思い通りにはいきません。

――人は、たとえどんなに優れて世に貢献していようとも、目を見張るほど美しくても、例えばナイフの一突きで、あっけなく、それこそ死ぬ時は、人もミジンコも全く同じように逝ってしまいますよね。
その後はただの骸です。

私は、死んだ後には、霊魂も前世も後世もへったくれもないと思っています。
あったとしても、そんなものはどうでもよろしい。
私にとって人生とは、たかだか何十年の今生しかないのです。
「今は冴えなくても、来世はイケている人生を」だの「天国では幸せになれる」
という思想は否定はしませんが、私にはなじみません。

とにかく、死んだらこの私は完全に無に帰するのです。それは、いつかわかりません。
「あと10年です」などと分かるのであれば計画の立てようもありますが、明日かも知れません。
ま、いずれにしろ、あなたも私もあと100年もしないうちに完全にこの世から姿を消しています。
誰も覚えてすらいないかも知れません。
そう思うと、自分を含め、回りの人間が、今、生きていてお互いにかかわっているということが、奇跡としか思えないのです。

人間が生きているうちに出来る、一番シンプルでしかも尊いものは、愛情や友情のやりとりであろうと思います。
これが私の持論ですが、反論その他、何でもどうぞ。

愛を教えて・Rとの対話―№3に続きます。

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包丁砥ぎ

 趣味というほどではないけれど、包丁を砥ぐのが好きです。
 プロのように、刃先が真っ直ぐにならないのですが、それでもよく砥がれた包丁の刃は、対象をきっちりととらえて離しません
たいした力も入れずに、スパッとした鮮やかな切り口や、極上の切り心地を経験するたび「もっと頻繁に砥ごう」と思います。
Dscn0910
 まず砥石を水につけて水分をたっぷりと含ませます。そうしてからおもむろに砥ぐのですが、なかなかその気になれず3~4日砥石が水につかりっぱなしということも。

 いざやり始めるとかなり集中。やっているうちにハイな気分になってくるのです。特に夜中。キッチンには砥石が刃を削るシャー、シャーという音のみが響きわたり賊が侵入して来ても、今ならOKかもな!なんて気に。

 写真の一番下のプチナイフはもう20年ほど使っています。 当初の刃幅より半分ほどのスリムさになりました。

 あまり細いので時々指を砥いでしまいますが、ジャガイモの芽をくりぬいたり、鶏肉を骨からはずしたり、果物やプチトマトを切るのに、また、ガス台のゴトクにこびり付いた油の焦げ付き汚れなどをスッキリはがすのに重宝。

 包丁を砥いだ後は、ついつい大量の野菜の千切りなどをします。たかが一杯のラーメンにネギ1本分の小口切りが山盛り、とか。

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愛を教えて-Rとの対話・№1

’06年の秋に出会った15歳の少年R。

 優秀な成績、熱心な課外活動、丁寧な言葉使いと、一見典型的な優等生風のRは、一方で、身のうちに飼っている獣を厚いカラで押さえつけつつ、その獣が出口を求めて暴れることに翻弄されているような印象の少年でした。
 イノセンスと俗気、拒絶と渇望、攻撃と防御……相反する要素をモザイクのようにはめ込んだような捕らえどころのない性質。

 「愛を教えて」は’07年の秋から続いた、Rとプルート通信管理人との間でやり取りされた内容を記したものです。

R 正直言って、愛ってよく分かりません。「愛」や「好意」は自分からは最も遠い感情なので。仮に誰かから「愛している」と言われても、「それが何?」って思います。

――あなたは誰かを好きになったことはないのですか?

R……僕などに好かれたら、その相手は迷惑だろうと思うので、表に出しません。
 例えば、僕は大人と話すのが好きなんですが、それは相手の経験や知恵の量に惹かれるからであって、その人の人格そのものに惹かれているわけじゃない。
 僕の知識欲を満たしてくれたり、何かを授けてくれる相手なら誰でもいいんです。

――相手が人というよりは、知識や経験に見えると?

R しかも、人間に上も下もないはずなのに、相手の考えに優劣をつけてしまう。一方、自分が他人にどう映っているか気になってしかたがないんです。だから対人関係は疲れます。

――相手にどう映っているかばかり気にしていたらそれは疲れるでしょうね。

R そんなこと気にしないで、自分の思うままに振舞える人は楽だと思います。これは皮肉じゃないですよ。心底そう思う。でも、できない。

――あなたの望みは何でしょうか?

R 感情をなくしたい。

――感情がなくて生きていかれますか?

R 僕は生きていけます。それじゃ、生きる意味がないじゃないか、といわれたら別に命を捨ててもかまわない。「死」も感情を捨てる手段の一つだと思います。

――なぜ、そうまでして感情をなくしたいのでしょう?

R 僕が一番怖くて嫌いなものは「精神的な痛み」です。「傷つく事」とも言えます。
 人に嫌われたり悪口を言われた時の嫌な気分。僕の心というか感情はそういう痛みに対して過敏です。自分が嫌いな人からも嫌われたくない。
 要するに僕は臆病者なんです。
 そういうことから逃れるために僕は「痛み」の元の自分の感情を憎むのです。感情なんかなければいいのに。嬉しいと感じるよりも悲しいと感じない方がいいんです。

――嫌いな人からも嫌われたくない。そして嬉しいと感じるより悲しいと感じない方がいいのですね。
 その先に何があるのでしょうか?とても無理なことにエネルギーを使っていると感じますが。

R 無理な事……ですか?あなたもやはり感情が絶対だとお思いですか?理性は感情に逆らえないと?

――いえ、そうではありません。私にとって絶対的なものといえば「死」しか思いあたりません。
 感情は肉体同様、ただそこに存在するのでは?。
 理性の力で心臓や肝臓の動きを操作できないように、自然に湧き上がる感情も理性や意志で押さえつけようとするのは不毛なことではないかしら。

R 沸き上がる感情は、それが好意であれ憎悪であれ、他人に対するものならば感情である事に変わりないですよね。
 その感情を「逆らえないものだから」といって、想いのまま相手にぶつけたらどうでしょう?
 相手の感情を、状況を、状態を無視して相手に自分の想うまま感情をぶつける事はいいのでしょうか?
 「理性を持たない愛はただの暴力だ」。本からの引用ですが、これは真実だと思います。

――自分の想うままに相手に感情をぶつける行為が良くないのは当然です。
 感情を対人に示す場合は、それが相手に示していいものかどうかを選択する能力と示す技術が必要です。
 私が言っているのは対人に示す前の段階のこと。

R どういうことでしょうか?

―― 例えば誰かを「憎らしい」と思う。その場合、そう思う自分を否定せず、受けれるということなんですよ。
 さらにそう思う自分と向き合ってみる。
 その感情がどこから来るのか分析してみるのもいいかも知れません。
 まぁ、そういうことが面倒くさかったら、とりあえず、湧き上がるままに放っておく。勿論、この段階で相手にぶつけないようにする。そこは理性で。
 穏やかな人というのは、何も感じていないのではないのですよ。
 感じたことを自分の中で処理して、意志の力でむやみに外に出さないようにしている人なのではないでしょうか。あるいは、感情の示し方が、他人を不快にさせない人とかね。

R どうしてですか?他人を憎む事はいけない事じゃないんですか?悪い事をしてる自分を肯定するのはいいんですか?

――感情それ自体にはいいも悪いもないでしょう。例えば、身勝手な殺人を犯す人を憎むのは悪いことでしょうか?自然な感情だと思いますが。問題は「憎しみ」に突き動かされた後に、どういった行動をとるかでは?

R 「想う」だけなら何をしても構わないんですか。

――いけませんか?

R あなたはご自分を肯定していますね?自分の中の「我」に重きを置いていらっしゃる。だからこんなにも感情を肯定されている。僕みたいな考えの人間とは平行線をたどるばかりですね。

――そう思いますか。私は、この話し合いが平行線だとは全く感じていませんよ。
 ただ、あなたの思考の回路が停止して、考えることを拒否している印象があります。
 世にあまたあるミステリーやサスペンスやホラー小説。
 それらは作者が自分の中の悪意を、作品という形で昇華させた結果です。
 悪意を抱くのが悪いとして、感情を抑圧していたら存在しえなかったのでは?他にも絵画や映画などの芸術作品、漫画などもね。
 あなたは、私が自分を肯定していると言いましたが、私には、自分を肯定せずになぜ生きていかれるのか不思議です。
 この世界を認識しているのは自分自身なので、自分を肯定できないということは、世界をも肯定できないということではないですか?それで生きるのは、なさかなかしんどそうです。

R そう思えるのは、あなたが自分以外の誰かに必要とされ、大事に想われているからですよ。
 また、あなたがその想いを信じているからではないでしょうか。

――私が誰かに必要とされているかどうかはともかく、私は自分を受け入れてはいますが。  

R あなたはとても強い人だと思います。そんなことが出来るのですから。僕には出来ません。
 それはたぶん、自分を一番信じていないから。
 僕は自分が世界に唯一のものだとは思えないんです。代わりがいる気がしてならないんです。
 僕には……自分が此処に居ていいのか、自分がここにいる理由が、分かりません。

――あなたはこの世で、唯一無二の存在ですよ。
 その顔の、その肉体の、そのDNAのRさんは、他に存在しません。現に今だって、あなただから、私に目をつけられ(笑)、ここでこんな話をしているのです。他の人ならこういう展開にはなっていないでしょう。

R でも、この話し合いだって、何も僕じゃなくてもよかったんですよね。

――私とこんなやり取りをするハメになったのはあなただからです。
 自分がここに居る理由。それは苦労しつつも自分で発見しなくてはなりません。人生とはその問いの答えを探す旅ではないでしょうか。「人生の意味」とは、それを問うのではなく、私たち自身が、人生から問われているのです。「あなたは何故、今、ここに存在しうるのか?」と。
 まあ、「すべての生き物はただ生まれ、死ぬ。人生に意味なんかない」とする考えも、私はそれはそれでいいと思います。ただ……そう思うには人生は長すぎるし、目的や意味を欲するのも当然か、と。

 それはともかく、私は、本日ただいま、あなたとの話し合いに全力を注いでいるつもりですが。
 この年まで生きていれば、若い人とこんな話をしている自分に出会うことが出来るという感慨とともに。

R あなたはどうして他人を信じられるのですか?

――信頼しないと何もできないからですよ。それこそ生きていかれません。
 世の中は、人間同士の信頼で回っています。仕事を依頼し、納期どおりに仕事が上がってくる。まぁ、たまに間に合わないことや、どうにも出来上がらないこともありますよ、そりゃ。思わぬミスや、詰めの甘さなどでよくない結果になることも確かにある。
 でも、社会は基本的に信頼と約束事で動いています。
 時間通りに電車が走り、お店や職場が開き、物品やサービスとお金のやり取りがあり、お釣りはごまかされない。とりあえず、現代の日本の社会はそうですよね。
 報道をにぎわすアナーキーなケースや人々もありますけれど、大方の人は他人を裏切ろうと思って生きてはいません。

 私は、個人的には相手の言うことはそのまま受け入れるようにしています。カルト教信者の言うことも、「本人がそう言うんだから、それは本人にとってそうなんでしょう」と受け入れますよ。
 ただ私にとってはそうではないので、私自信は入信しないだけです。
 相手が約束をたがえた場合は、相手には約束を果たせないだけの理由があったのだろうと、認識しますが。私自信、やむを得ず約束を果たせない場合がありますから。勿論、事前のことわりや、事後のフォローをきちんとしますが。

 それでも、相手が信じてくれないなら、その現実を受け入れるしかありません。
 なぜなら相手の感覚は相手の領分なので、私がどうこうできるものではないからです。
 自分がどうこう出来るのは自分だけです。 他人のことは、いくら想像したところで、あくまで、こちらの想像の範疇を出ない。
 ただ人間というのは面白いもので、言葉よりもその人の行動や身体に現れる様々な表情が実に雄弁に、その人の真実を語っていたりしますよ。

R ……そういう不安定な関係の中で人を信じるんですか?
 相手は嘘をついてるかもしれないんですよ?

――嘘でもいいじゃないですか。それがその人にとっての真実なのかも知れませんよ。
 相手が何を差し出そうと、こちらは率直な信頼を差し出していればいいのでは。そうすると、相手を甘く見て嘘で丸めようとする相手は遠ざかってゆきます。嘘を重ねすぎると、相手ではなく、自分自身が内部崩壊していくものではないかしら?
 そんなわけで私の交友関係は仕事もプライベートも全く不安定ではありません。皆、それなりに信頼で繋がっています。でなければ仕事は立ち行かないし、友人関係も続きません。ただし度を越えてプライベートに踏み込んだりすると、信頼関係は壊れます。
 他人に見せている顔とプライベートが完全に一致する人は多くはないでしょうから。

 相手の思惑は怖くないのですか?

――怖いのは、他人の思惑ではなく、抑圧し続けた自分自身の自然から、ある日、復
讐されることではないかしら?

愛を教えて-Rとの対話№2に続きます

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桃源郷のお雛さまⅡ晩餐

前回の続きです。

Chirashizushi_3
 雛祭りの晩餐のメインはやはり散らし寿司

 まず、市販の散らし寿司の素&胡麻でベースのご飯を作ります。
 トッピングは甘~い錦糸玉子と鮭の刺身を出汁醤油に漬けたもの。いわば鮭のヅケですな。そして、爽やかな風味とシャキシャキ感を加えるためのルッコラ
 
 これに、若布と手毬麩のお吸い物(筍も用意しておいたのに入れ忘れた)。
 副菜は菜の花のオリーブオイルおひたし。菜の花を茹でて、味ポンとオリーブオイル、柚子胡椒少々を加えあえます。春らしい一品です。

 日本文化の伝統食を作ったつもりが、どことな~くイタリアン入っています。が、しかし、美味しいので、お雛様も許してくれることでしょう。でもって、どぶろくです。

 デザートは苺の練乳かけと明治屋のマシュマロ。
 かつては四角い三段重ねのババロア(ヨーグルトと生クリームの白、抹茶の緑、トマトピューレのピンク)など作ったりもしましたが、そんな気力は今ありません。遥か昔のことですねぇ……。

 

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桃源郷のお雛さまⅠ

Dairibina
Mebina
 思想的に、あまたのフェミニストの方々からはキツいクレームがつきそうなのが「雛祭り」ですが、管理人は雛人形って好きです。

 五節会の一つ上巳は3月3日の雛の節句。

 我が家のお雛さまは江戸木目込みの一対の内裏雛で名前を桃源雛といいます。

 お2人とも、ふっくらとした白い瓜実顔に神秘的なアルカイックスマイルを浮かべ、半眼がうっとりと見つめているのは遥か桃源郷……といった風情。

 この方たちがいると、あたりには、なんというか、こう、えもいわれぬ気品と静寂がただよう。

 とかなんとか言っているわりにゃ、毎年出すのが面倒で、今年なんて、なんと、3月3日のひな祭り当日に及んでようやくお出まし頂きました。しかも出したのは蟹座の同居人。

「あ~もう、日にちがないよぅ。も~今年はあきらめよう!」という管理人に対して、
「どんなに忙しくても、こういうことをきっちりやるのが文化ってもんでしょ。お雛さまは出してあげなきゃ」
とのたもう。

 ショッピングセンターで桃の枝をさがしたら、なんと、しょぼい花のわりに高い。その横で華やかなデンファレの束が200円!

 まよわずデンファレを買い、白酒のかわりに微発泡の濁り酒
どぶろく・十富禄酒を買い、なんとな~く邪道っぽい我が家のひな祭りですが、夕方には散らし寿司もつくりましょ。

 そういえばお雛さまの檜扇が数年前から行方不明。デパートで調達しなきゃと思いつつ、気が付くとひな祭りが終了してしまい、「じゃーまた来年ということで」と、お雛さまを手ぶらのままにしてあるのもいーかげんバチあたりですよねぇ。

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獅子座にとって自宅は城

Lunch1
 
 我が家は築何十年も経た古いマンション。でも昔の建物のよさか、堅牢で良く出来ています。
 すべての部屋(お風呂にもトイレにも)に窓があり、南にも北にもベランダがあり、間取りは風水に則ったかのように、タブーを避けて作られています。
 玄関もお風呂も広々。

 ここの住人たちの多くは、この建築士がきちんと作った住まいを愛し、毎年メンテナンスをおこたらず暮らしています。

 我が家が14年前に入居するにあたり、思い切って全面リフォームをしてしまいました。
 もと4LDKだった部屋はすっかり改造され、ほとんど原型をとどめてはいません。 
 Door_1ここ数年、玄関からリビングに通じるドアのペンキがはげてきて気になっていたので、ついに先日ペンキ塗りを決意し、水性ペンキ(ベージュ)を買ってきて塗り始めました。

 塗りだすと、家中の白い部分が気になって止まらなくなり、獅子座の同居人と二人して、何かに憑かれたように二日二晩塗り続けました。完全にPainting High(?)です。

 途中、蟹座の同居人が、乾いていない部分を踏んづけて足の裏が白くなる、という絵に描いたようなギャグを演じ、「とにかく白い部分は塗りたてだと思って触れるな!」という条例(?)ができたりしつつ、リフォームしたてのようなキレイさが蘇りました。水性ペンキは乾きが早く、扱いもラクでいいですね。
 
 ところで、獅子座の人にとって自宅は城なんだそうです。
 自分の住まいが満足のいくものだった場合、誇りを持ち、他人を招待して歓待することが無上の喜びになるとか。

 家族や友人や仲間のために、情熱を持ってどこまでも誠実になれるのが獅子座とのこと。プライドが高いゆえに、それに見合った努力を惜しまないのも獅子座のいいところでしょう。

 同居人の獅子座人も、外交的でイベント大好きで、交友関係を大事にし、帰りも連日遅いのですが、実は家の中が一番好きな場所、と言っていました。

 

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シンプル美味ー塩焼き豚

日中は残暑のなごりが感じられても、夜ともなれば涼やかな虫の音が聞こえてくる初秋。
さわやかな季節の到来とともに食欲もよみがえる季節です。

そこで作っておくと便利で重宝な塩焼き豚のご紹介。
冷蔵庫で5日は持ちます。チルド室だと10日くらい。
管理人のようにおうちゃくな人向けの常備菜。ポークは疲労回復ビタミンB1が豊富です。猛暑で弱った身体に、ぜひ。
Sioyakibuta

材料
●豚の肩ロースかモモのかたまり700~800g
●塩大匙2/3程これだけ!

①塩を肉のかたまりにまんべんなく擦り込み、室温で30分ほど置く。
②140度のオーブンで60分~70分(肉の大きさによる)焼く。以上。

コツは弱火(140度)でじっくり焼くということ。
この方法だと肉がジューシーに仕上がり、焼けすぎて硬くなったりしません。
出来上がりの目安は天板にたまった肉汁が透き通っていること。
肉を切りわけた時、ほんのり桜色の美しい切り口が見えれば成功!もし切り口が濃いピンク色で肉汁も赤いようなら、あともう10分ほど焼いてみて下さい。
香辛料は一切使わず、調味料は塩だけですが、これが豚肉本来の旨みや甘味を最大限に引き出します。

★薄切りにして辛子かワサビをつけるだけで、おいしい!お醤油を少しつけてもイケます。

細切りにして、白髪ネギ(刻みネギでもOK)をのせ、味ポンをさっとかけてラー油をたらします。実は管理人はこの食べ方が一番好き!ビールもご飯も進んじゃう。
その他、野菜炒めや焼きソバ、チャーハン、ラーメンやサンドイッチ、お弁当のおかずにそのまま使えます。

★写真は撮影用にきどって(笑)ハーブソースとバルサミコ酢でイタリア風に。
塩焼き豚を使ってすぐに出来てしまう一品。
塩焼き豚を5ミリほどの厚さに切り野菜とともに盛つけ、ハーブソースとバルサミコ酢をあしらいます。

★ハーブソースの作り方:市販のパスタ用バジルソース(バジルと松の実、チーズがペースト状になっているもの)小さじ2~3杯にオリーブ油、醸造酢、はちみつを適宜くわえ、よく混ぜておく。
豚肉は甘酸っぱい味と相性がいいんですね。これはワインに合いますよ。

アチェートバルサミコ8年250mlアチェート・バルサミコ8年もの
★長年の熟成による深いコクが味わえます。グレープフルーツにたらして召し上がってみてください。目からウロコなお味です。

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冥王星、なんだかメジャーになる

 はるか彼方の天界から……冥王星つぶやく

 前回、プルート通信管理人が冥王星よどこへ行く!?を書いた翌日の2006年8月24日(日本時間午後10時30分過ぎ)、ついに、私、冥王星は正式に惑星でなくなったそうです。

 それでですね、あの~私、こんなにメジャーになっちゃって、すんごいびっくり、というか照れくさいというか。

 だって、冥王星なんて、あなた知っていました? たとえ名前くらいは聞いたことがあっても、ほとんど興味なかった、という方が大半でしょう!? 

 それが、今回の件で世界中のかなりの数の人々が私のことを話題にしているわけですよ。
 日本の東の、とある小さな町の商店街でも、茶髪のお姉ちゃんたちが「水、金、地、火、木…」とか言っているし。

 管理人がこのサイトを立ち上げたときの知人たちの反応は
 「プルートってディズニーのイヌだっけ?違うの?え、冥王星?へぇぇ~…」
 と、まあ、おおむねこんな感じだったようですが、まあ当然でしょうね。

 そもそも私は、こんな騒ぎになるなんて想像もせず、ただ静かにマイナーに、こっそりと、あくまでマイペースに一応、太陽の周りを回っていたのでして……。
 そりゃ、「ちゃんとした軌道をふんでいない」という意見もおありでしょう。でもね、それが冥王星なんです!

 76年前に発見され、よく分からないうちに惑星の称号を与えられた時も「なんか、それって本当ですかぁ?」といった、全く他人事のような感覚だったんですよね~。

 なので今回、惑星から降格だの、Dwarf Planetになっただの、さよーならだのと言われても、「なんだかなぁ」って感じなんです。
 自分とは与り知らぬところで、揚げたり下げたりされてもねぇ。
 梅雨時の洗濯物じゃないんですから。

 ワシントンポスト紙の記事の見出しなんて「惑星・冥王星は死んだ」ですよ。勝手に殺すんじゃな~い!

 私自身は今まで通り、特に何も変わっておりませんので、まあ、そのあたり、ご了承いただければ幸いなんですけれども。

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冥王星よどこへ行く!?

 え~、皆様すでにご存知かと思いますが このほど、冥王星がついに、ついに太陽系から追い出されるハメにあいなりましたことを、ここにご報告いたします。

 いや~、いつかこんな日が来るんじゃないか、とは思っていたんですよ´`(´∀`)´` 。
 管理人が2004年にUPした記事冥王星は大丈夫なのか?に、それに関する懸念が書かれておりますが、まさにバッチリと的中しました。
 
 今回の一連の動きを要約すると……。
 
 冥王星みたいなアナーキーなヤツも太陽系の惑星っていうんなら、セレスやカロンや第10惑星も仲間にいれなきゃダメなんじゃん?と、国際天文学連合(本部・パリ)いいける。

 すると、 まてまてまて、あいや、まちやがれ~、 するってえと、惑星の定義って一体何なわけ?

 セレスってのは小惑星じゃなかったのかね?そもそもカロンってのは冥王星の衛星よ。だったらヨ、おらっちのお月さまの立場をどうしてくれるんでぃ?冥王星なんて月より小さいじゃんかー、などなどの騒動に発展す。

 ええ~い、ええ~い、なんと面倒くさいlことよのう!そもそもすべての元凶は、冥王星が惑星になっているということ。
ってーことはぁ、あれだね、冥王星から,惑星の定義を剥奪しちゃえばすっきりするんじゃないかね?まあ、冥王星を発見したアメリカは大騒ぎするだろうけど、まぁ、しょーがないってーことで。
 
 と言ったかどうかは知らねども、国際天文学連合は’06 8月23日惑星を増やすのをやめてぇ、惑星の定義から外れる冥王星を惑星とするのを以後やめちゃうかんね。という結論を目指して、調整に入ったことは確かみたい。

 現在、太陽系の惑星は水、金、地、火、木、土、天、海、冥の9つ、ということになっていますが、このほどすいきんちかもくどってんかいで終わり、ということに。

 なんだかしっくりこねぇなぁ。「どってんかい?」なんて聞かれても、おらっちは知んねえよぉ、そんなこたぁ。最後の”めい”がなくなって、しまりがないったらありゃしねぇ。

 「だからといって冥王星がなくなるわけじゃあない。人間の決めた定義が変わるだけじゃ。冥王星が蠍座の支配星であることには変わりはないのじゃよ」と満天王
 
 ちなみに蠍座は2005年11月から2006年の11月までは12年に1度の大幸運期。はからずも、その幸運期の最中に、支配星が太陽系惑星から追ん出されるなんてぇ、さすが蠍座だぁ。粋だねぇ(意味不明)
´`(´∀`)´` 。
 
★プルート通信内のさそり座に関する記事。

 
 

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春の一皿

harunohitosara

 みずみずしい黄緑色の葉がふんわり巻かれた新キャベツが出回る春。
 洗ってザク切りにしただけで十分美味。甘く柔らかく、シャキシャキです。

 さらにこの時期の旬といえばアサリ。この二つを鍋に入れ、細かく切ったトマトも入れ、酒か白ワインで蒸し煮にします。味付けはバターと塩。コーンスターチでちょっととろみをつけ、胡椒を少々。

 キャベツの甘味とアサリの旨みとトマトの酸味が一体となった美味しい春のシチューは、これだけで十分食事になるのですが、写真は、生タラに塩胡椒をしてこんがり焼いたものにこのシチューをソースのようにかけてあります。青みには万能