Capisce l'italiano?-イタリア語が分かりますか?

 ほとんどわかりません。
 でも最近少しずつ学んでいます。

 実は声楽を始めました。
 カンツォーネからオペラアリアに到達するべく(出来るかどうかは不明)、語学もやらにゃ…と。
 あとは身体が細いので、もうちょっと筋肉もつけたいところです(笑)。

 声楽は身体全体を楽器にする、ということですね。
 発声練習をはじめると、すぐに汗が出てきます。
 自分では低い声しか出ない、と思い込んでいたのですが、先生によると、
 「音域が広く、低音からかなり高い声まで出ますね」
 とのことで、ジョハリの窓ではないですが、他者によって発見される自己というのは、いくつになっても嬉しいものです。

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 G.W.初日の土曜日に銀座のシャネル・ピグマリオンデイズコンサートで、坂下忠弘さんの歌曲を聴いてきました。

 声楽家の美しい声というのはどんな楽器にもまして素晴らしいと感じます。
 バレエダンサーや武道家、アスリートたちの優れた身体能力と同じように憧れます。

 この日の選曲は、トスティやフォーレ、ベートーベン、シュトラウスの作品の中の、春の宵に相応しい甘美なものでした。

 それらを坂下さんが華やかに瑞々しく歌い上げます。

 聴きながら、曲の中の薔薇に語りかける月、ため息をつく風、暁の神々しい光、愛をささやく恋人たち…それらが立ち現われるような感覚を覚えたのは管理人だけではなかったはずです。

 会場中が彼とその歌声に魅了されておりました。

 さて、今年のG.W.は雨続きrain
 こんな日は窓ガラスを磨いたり、網戸を洗ったり、ベランダの溝などを掃除するにはいい日です。

 さっぱりしたところで、2日(水曜日)の夜は、雨の中、夕食がてら近所のシネコンで21時からのレイトショー・テルマエ・ロマエを観てきました。
 写真は映画のパンフレットです↑

 この映画、壮大な古代ローマのシークエンスと、日本のひなびた温泉場や近代から現代のお風呂事情、キャラの濃いキャストたちの活躍など、楽しめるポイントはたくさんあるのですが、個人的には、主人公のルシウス(阿部寛)がタイムスリップする度に流れる荘厳なオペラがプラシド・ドミンゴ本人の歌唱によるものだったというのにびっくりしました。

 ところで、G.W.後半の本日5月5日はみごとに晴れわたり、夜空にはスーパームーンが現われましたね!
 ごらんになりましたでしょうか?
 
 スーパームーンとは通常よりも大きく明るい満月のこと。
 本当に、眩しいほど明るく立派な月が天空に浮かんでいる様は壮観です!

 NASAによると今回の満月は、2012年の他の満月より14%大きく、30%明るい、とのことですが、月の軌道は楕円を描くため、こういった現象が起こるのだとか。

 今現在、月は通常よりも地球に接近しているのですね。
 側に寄って引き合う惑星と衛星…。 
 今宵は潮位も高く、赤ちゃんの誕生が多かったのでは…?
 
 月が花に言う、夜は美しい。
 薔薇は言う、一番美しい女性たちを求めなさい。私たちが冠となろう。
Dice la luna ai fior': La notte è bella!
Dicon le rose: A le più vaghe anella
Noi formerem corone!

Nella notte d'april・4月の夜に:トスティ作曲・パリアーラ作詞

 今夜はカーテンをわずかに開け、普通じゃない月光パワーを浴びて眠ろうか、と(…にしても、かなり眩しいです)。

  

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春のホリデイ・アート

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 リビングのドアのカーテンが古ぼけてしまったので、新しくしました。

 今までは、ドア枠に突っ張りポールを渡して、のれんのようなカーテンをかけておりまして、これが出入りする時に邪魔でした。

 そこを改良したく、今回、金属のタッセルフックをドアに取り付け、カーテンを通したポールを引っ掛けることにしました。
 これだとドアと一緒にカーテンも移動するのです(あたりまえですね)。

 これを実現するまでになかなか腰があがりませんでした。

 このドアは規格品ではありません。

 デザイン画を描いて、建具屋さんに作ってもらった特注品。
 職人さんの作品に釘穴を開けることに長いこと抵抗があったのです。

 でもやってしまえば…もっと早くこうしていれば、と思うことしきり。

 それでもって、購入してあったカフェ・カーテンが、ドアのガラス部分に対して丈が足りなかったので、別のボーダーレースを縫いつけて丈を足しました(他にも、このカーテン一枚仕上げるのに色々大変だった…)。
 
 ついでに、ドアのところどころ黒ずんでいた部分にもペンキを塗りまして半日がかりでドアをリニューアルしました。

 吉報や幸運は、玄関からドアを通って家の中に入ってくるそうです。 
 なので、その通り道を手入れしておくといいのだとか。
 
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 さて、これは何でしょう?→

 稲荷寿司?いいえ、実はこれ…鍋敷きなんです。

 ワイン好きな方、栓のコルクってどうなさっていますか?

 ワイン・コルクって、一つ一つに可愛い文字や絵が印刷されていて、なかなか味わいがありますよね。

 瓶から抜いてしまったとたん役立たず者となってしまうんですが、捨てずに溜めておいて、ある程度まとまったら、木工用ボンドで張り合わせると、いい感じの鍋敷きになりますよ。

 奥は普通のワインの栓で、手前はスパークリング系の、マッシュルーム型の栓で作りました。

 まず、新聞紙を敷いて、その上にコルクを組み合わせていきます。
 見せたい模様や文字を上にしたり、足りないところは輪切りにした栓を組み合わせたりと、なかなか楽しいものです。
 組み合わせが決まったら、ボンドで張り合わせてゆくだけ。
 ボンドが乾いて栓どうしがしっかりくっ付いたら出来上がりです。

  大きさも自由自在。 
 土鍋やシチューパン、オーブンで焼いた鉄板を乗せても大丈夫

  ちなみに、この上に紅茶の入ったポットを置いて分厚いティーコゼーをかぶせたら、冬でも2~4時間、ポットの中のお茶は温かいままです。

 知人にプレゼントして、困った顔をされたことは…ありません(笑)。
 
Photo_2

 ホリデイ・アートがうまくゆきますと、夕方には上等の気分でワインを開けたくなります。

 この日は、ランブルスコ・ドルチェ(甘口の微発泡赤ワイン)のメディチ・エルメーテです。
 干し無花果や苺のような香りと弱い炭酸が美味です。
 
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 鮭のグリルサラダは生の鮭に塩を振ってフライパンで焼いたものと、野菜(焼きレンコンやスナックエンドウ、生野菜)を組み合わせて、フォロのドレッシングをかけただけの簡単なもの。 
 ランブルスコに合います。

 赤ワインの 〆は、梅干と海苔のおにぎりがいいですねぇ。

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ヒュアキントスとアッシェンバッハ教授

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 春の訪れのごとく、台所に置いておいたヒヤシンスが花をつけ始めました。

 青紫のヒヤシンスというのは西洋の美少年を連想させます。

 太陽神アポロンに溺愛され、西風の神ゼヒュロスに嫉妬された、スパルタの美しい王子ヒュアキントス

 彼が死んだ時に流れ出た血から咲いた花がヒヤシンスということです。 

 ヒュアキントスような美少年…といえば、ヴィスコンティの映画「ベニスに死す」に出演した時のビョルン・アンドレセン演じるタッジオですね。
 
  「ギリシャ神話から抜け出たような」
 という表現が陳腐に思えるほどの、自然という造物主の創造した最高傑作の人間とはこれですよ、と示されているような少年。

 純潔、優雅、高貴、若さ、上品さ、しなやかさ…そういった美質が指先や髪の毛の一本一本にまで行渡っているような、生まれながらにして至高の美を体現する存在に、驚愕し、打ちのめされ、ひれ伏す人間を熱演してくれたのが、ダーク・ボガード扮するアッシェンバッハ教授でした。
 (ここでは”教授”と呼ばせていただきます。)

 教授は「小説の作者・トーマス・マン自身と グスタフ・マーラーがモデル」といわれる高名な作家であり音楽家。
  大変な才能の持ち主なので、いわゆる一般人とは違います。

 しかし、高名な芸術家であるからこそ、超ハイレベルな神の意匠の前においては、自分の血の滲むような日々の闘い、あるいは自分自身の存在さえ、
 偏に風の前の塵に同じっつ~か、阿呆のわざくれっつ~か、要するに嘘っぱちの茶番なのだ!といった無常観を感じると同時に、エロス的情動に身を任せずにはいられない教授なのでした。

 激しい恋の嵐に翻弄される人の症状は、どうやら10代の少女よりも、ストイックに観念的に真面目に生きてきた初老のオジサンの方が、より重いようです。

 瞳孔は開き、顔は高潮し、息遣いは荒くなり、汗が噴き出し、心臓は破裂しそう。
 あるいは、苦しみに蒼ざめ、めまいに襲われ 悲嘆に暮れ、涙に咽ぶ。
  身体が宙に舞い上がるほどの高揚感と、暗い地の底にたたきつけられるような絶望感との狭間を行き来するのです。

 このように、理性が完全に失われた結果、様々な奇行に走らずにはいられない教授なのでした。
 もう、ドーパミンだかアドレナリンだかエンドルフィンだかが出まくっていて止まりません!
 でも…どうか「気持ち悪い」って言わないであげて下さい。
 本人だってどうにもならないのですから

 タッジオは、教授とすれ違ったり、一瞬視線をやったり、一瞬微笑んだような表情を向けるものの、二人は言葉すら交わしません。
 一方、教授は完全にタッジオに支配されてしまいます。
 強烈な官能の力による「恋の奴隷」状態です。

 やがて教授は、あたかもこの美しい死の天使に導かれたかのように、”天使”の姿を目で追いながら、旅先のベニスの浜で静かに息絶えるのでした。

 ダーク・ボガードという役者は、こういう役が実に似合うのですね。
 純朴さと繊細さの残る大きな黒い瞳のボガードが、魔性の相手にすっかりしてやられてしまうという展開は、映画「愛の嵐」の時のシャーロット・ランプリングとのからみに通じるものがあります。

  この物語は、作者トーマス・マンが実際にベニスに旅行した際に起きたことがベースとなっており、タッジオ少年は実在していたのでした。

 ポーランド貴族の末裔のタデウスという人物だったとか。

 ともあれ、世間に広く知れ渡った”タッジオ”といえば、ビョルン・アンドレセンその人だったわけですが、ビョルン自身は
 「今の私なら当時の自分に、そんな映画に出てはいけない、と言うだろう」
 とインタビューで答えていたくらい 、この映画に出演したことによって大変な苦労をしてしまったようです。

 もともとは音楽学校でクラシックを学び、ロックバンドを組んでいた彼。現在はストックホルムで音楽関係の仕事をしながら家族と暮らしているようです。 


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遊びをせんとや…

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 2011年の3月11日に起きた未曾有の大震災。

 その震災の起きた年の最後を海辺の小さなホテルで過ごしていました。 
 3・11の震災以来、
  「海辺で巨大地震に遭ったら津波から逃げ切れるかな」
 と、海に近づくのが怖かったのですが…。

 2012年を迎える前に、自分なりのピリオドを打ちたかったのです。「放射性物質の数値」だの、「次の巨大地震の発生場所」だのといったメディアの流す情報を、なんとなくいちいち気にする自分に。

 久々のJR千葉駅に着き、まずはそごうのデパ地下へ。
 年末なこともあって、デパ地下は大変な賑わいを見せていました(千葉そごうの地下の充実ぶりよ)。
 ジェーラートを食べたり、インド紅茶専門店で試飲したりしつつ、世界中の珍しい食材の宝庫のような場所から抜けられなくなりかかりました。

 が! そんなことでは海にたどり着けません。デパ地下で終わっちゃいか~ん! お昼を購入して、いざ!外房線に乗り込みました。
 車窓からの景色が、街から田園、林や山に変わっていきます。生姜おにぎりや鯖寿司で白ワインを飲りつつ、ワクワク感が高まります。

 Photo_2そして…美しく輝く外房の海です。
 暖かく穏やかな潮風が迎えてくれ、海辺の人々の暮らしは変わりなく営まれ、釣り人や楽しげに波乗りをするサーファーたちの姿も健在でした。

 
 家では、休みの日などは遅くまで寝ている管理人ですが、ここでは日の出前に起き、初日の出ならぬ、大晦日の日の出を拝みました。
 海から登る太陽の姿は命の源という感じです。
 目を閉じて額のあたりに太陽の光をしっかり浴びました。

 その後、早朝のお風呂へ。
 以下はお風呂で居合わせた方の話です。

 「震災翌日の3月12日にもこのホテルに来ていたんですよ。津波は怖かったけれど、予約を入れていたしキャンセル料を払うより泊まっちゃえと思って。余震があったり停電があったりしましたが、ホテルのサービスは普段と変わりませんでしたよ」

 …なるほど。
 余震にビビって、長いこと海辺に近寄らなかったおのれの小心者ぶりをちょっと反省。

 蠍座が水の宮だからかどうかはともかく、海に来ると、なんと言うか、こう、身体中の細胞がくすくすっと喜ぶような感覚を味わいます。 

Photo_4 お風呂の後はレストランで朝ごはんのビュッフェです。

 新鮮な野菜やフルーツ、濃いミルク、ジュース、薫り高い珈琲に紅茶、幾種類ものパンやパンケーキ、ソーセージやハムやチキン、ツナに卵、ハッシュドポテト、ピクルス、ジャムにヨーグルト…;:゙;`(゚∀゚)`;:゙

 何度もおかわりをして、海を眺めながら、手紙を書きながら、気がつけば2時間近くもの時間を朝食のテーブルで過ごしていました。
 
 途中、朝寝をしていた同行人もレストランに降りて来ました。
 が、おもむろに朝食をバスケットにたっっぷり詰めて、「ベッドで食べるね~。うふふ」と部屋へ戻って行きました。
 これも旅先ならではの贅沢です。

 新聞は読まずに、ライブラリーの洋書を手に取ってみました。
 英語で書かれた和食の料理本がなかなか面白くて読みふけってしまいました。
 the skin of soybean milkって何のことだかわかりますか?
 …正解です!

2 今回、海辺で拾ったのはシーグラス
 割れたガラスの角を波がなめらかに削りました。
 まさに小さな海の欠片です。
 たくさん集めたら、いつかランプシェードでもつくりましょうか。

  
2011年3月11日震災発生時とその後
 ●管理人:仕事場にいた。
 電車が止まり、家に帰れなくなったので仕事場に泊まる。
 夕食は近くのお蕎麦やで取り、仕事場でしばらくテレビ画面から流れてくる前代未聞の映像を観ていたが、適当に切り上げ、余震にゆられつつ、ベッドの中で、伊坂幸太郎の「魔王」を読んだ。 これは知人に借りて、バッグに入れて持ち歩いていた本。
 「魔王」は、閉塞した日本やファシズム、暴力などがテーマに盛り込まれており、村上龍を思い出したが、肉弾戦のような村上の文章に比べ、伊坂はウィットや小技の効いた文章を書くのだなぁ…などと感じたことを憶えている。
 また、伊坂は仙台市在住の作家。
 昼間見た、仙台空港を津波が覆うTV映像を思い出し、この人は無事だろうか、と思った。

 震災発生時とその後の計画停電のため、利用する鉄道の駅が封鎖されたのはこの日を入れて2回。
 いずれも仕事場に泊まった。

●獅子座の同居人:所属する合気道会の合宿中だった。
 九十九里の片貝の道場で稽古をしている最中、地震に遭う。
 すぐに宿の人が手配してくれた車数台で内陸部に避難。
 胴衣のまま車中にて一晩を過ごす。
 車中では仲間とぎっしり居たので、寒くはなかったとのこと。
 食事を調達したコンビニは、停電にもかかわらず車のライトと電卓で営業しており、たくましさを感じたという。
 翌日、一旦宿にもどり、道路が大渋滞している中、JR千葉駅まで車で送ってもらい、復旧した鉄道でなんとか帰宅。

●蟹座の同居人:家で仕事中だった。
 空気清浄機や本棚を押さえたりしていたらしい。
戻らない同居人二人の安否を確認しつつ、連絡と情報収集につとめた。
  仕舞いそこねていたお雛さまがサイドボードから床にダイビングしたが、たまたまそこにあったクッションの上にきちんと着地し、鎮座していたので、同居人に見せるべくそのままに。
 ↓
 翌日帰宅した管理人は「高貴な方は震災時の態度も高貴なことであるなぁ」と感じ入った。

 家での被害は食器棚の食器が数点割れた程度だった。
 なお、この二日間ウィルコム同士はずっと連絡が取れていた。ウィルコムが震災時の連絡に強いことが判明した…かな?。

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Christmas†クリスマス!№8冬の銀座

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 Christmas†クリスマス!№7ヴィクトリア時代
の続きです。
 今年は白いポインセチアのリースです。

 という色で連想するものは…

冬、雪、月、西、無垢、聖、無原罪、浄化、初心、清潔、白衣、白熊、白百合、ミルク、マシュマロ、シャボンやビールの泡、
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ブルボン王朝の旗…。

 同居人の一人が、易学で言うところの、12年間のうち3年ほど続く「運気の底」を意味するといわれる期間が、今年(2011年 )いっぱいで終わりを告げるとか。

 2012年の幕明けとともに、運気の喪も明けて、新たな人生のサイクルに入るということらしいのですが…本人を見ていると確かにそういう感じがします。

 そんな訳で、今年は様々な物事を清算するという意味の白でドアを飾りました。風水においても、2012年の幸運色は白だそうですよ。
 
 ところで、もしも今あなたが行き詰まりや不全感を感じていたとしたら、荷物を多く持ち過ぎて身動きがとれなくなっているのかも知れません。

 荷物とは、
・環境への過剰適応。
・気の進まない、あるいは辛い人間関係。
・言い訳をしつつ続けている事。
・時間つぶしにしか過ぎない雑事
・何かへの依存
 などを指します。

 あるいは自分の荷物でもない他人の荷物を勝手に背負い込んで四苦八苦していることも。

 そういうものに時間やエネルギーが分散されている状態では、自分が本当にしたいことやすべきことが何なのか分からなくなりそうです。
 そうなるとさらに閉塞感も増しそうです。
 こうした負のスパイラルから抜けるには荷物を絶ち切りましょう。

 (易学や占いとは関係なく) 荷物に向かって開かれていた扉を潔く閉めてみましょう。その風圧で新しい扉が開きます。荷物を手放した人には良い縁が流れ込んで来るものです。
 
 さて、2011年のクリスマスは3連休。
 「好きな人とゆっくりできて嬉しい」人、
 「こんなにいらない!することがない」人、
 「クリスマスだからって何なの」と思う人
 「稼ぎ時で大忙し」な人、様々でしょうね…。
 
 クリスマスといえば、晩秋から始まる銀座の、商店会や各店舗が施すクリスマスデコレーションは、洗練されていて華やかで本当に素敵です。
 ミキモトの巨大ツリーをはじめ、今年の銀座通りには天に向けて翼をはためかせた天使のオブジェが輝いていました

 その日管理人は、銀座のシャネルビルのネクサスホールで行なわれるピグマリオン・デイズ・コンサートを聴きに行く日でした。

 それは、創始者ガブリエル・シャネルが無名時代のピカソ、コクトー、ストラヴィンスキーら多数の芸術家を支援していた精神に則って行なわれているもので、才能ある若手アーティストたちと観客との出会いの場を提供しているとのこと。
 インターネットで応募すると抽選で招待メールが来ます。

  お昼過ぎに日本橋へ行き、そこから歩いて京橋の画廊などをめぐりつつ、旧友との待ち合わせ場所・教文館へ向かいました。

 ちなみに画廊考古洞はお勧めです。
 京橋の裏通りにひっそりとある古へのタイムカプセルのような場所です。
 遥か古代の芸術作品のパワーに魅入られること間違いなし。

 演奏会はソワレ(17:00開演)だったので、安いカフェで、サンドイッチを水で流し込み(演奏会前にカフェインを取るとトイレが近くなるため)いざシャネルビルへ。

 本日の演奏は、ピアノ、ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラによるブラームスとシェーンベルグ。

 クラシックってわからない、敷居が高い、という方は多いですよね。
 それは、日常的にあまりなじみがなく、特別な時に高いお金を出して聴くもの、という日本の、クラシック音楽を取り巻く環境に起因していそうです。

 どんな芸術でも、とりあえず数多く触れてみないことには、その良さも楽しみ方も分かりえないのは当然かも知れません。
 そういった意味で、シャネルの取り組みは素晴らしいといえます。
 約一時間ほどの小コンサートなので、仕事帰りや買い物ついでに、カジュアルな気分と服装で楽しめるのも嬉しい。 ここでお気に入りのアーティストに出会う人もいるでしょう。

 迫力満点の演奏会終了後、なんと、観客にシャンパン・ロゼが振舞われました!
 素晴らしきかなシャネル!
 京橋・銀座に着いて、目と耳と舌をかなり楽しませて、この時点で掛かかった金額は、サンドイッチ代の350円のみ。
 素晴らしきかな銀座!
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並木通りにあるお店で手に入れたタッセル。雑誌の付録のトートも、使い古したメッシュのバッグもちょっと変身しました。→

 その後、友人とキリンシティ・ビヤホールで久々の再会の祝杯をあげました。
 友人とは、高校美術部の後輩で、大学も同じだった人。初めて出会ってから幾星霜…。
 お兄さんが父上の後を継いでくれないので、しかたなく社長になっちゃったとか。
 お互い、今年も無事に年越しを迎えられそうですかな(笑)。
 
 銀座のビヤホールというと、今はなき、旧交詢社ビルジングの一階にあった東欧風ビヤホールピルセンを思い出します。

 実は管理人は、そこに高校生の時から制服姿で出入りしていました。
 高校の美術部の顧問が毎年、晩秋から冬にかけて、銀座で個展を開いていたですが、そのお手伝いをした後、ご褒美に連れて行ってもらえたのがピルゼンだったのです。

  昭和初期の重厚な名建築の中にあったビヤホール。
 内装や調度品、巨大ビヤ樽、エキゾチックな料理、お客たちの陽気で文化的な雰囲気など、店内は完全に東ヨーロッパでした

 ものすごく辛いウィルキンソンのドライジンジャエールや、名物の薄~い皮の中にスパイシーなミンチが詰まったウラル風ピロシキ、衣がゴツゴツでジューシーなチキンバスケット、どこか糠漬けっぽいマイルドな味のザッハクラフトなどはピルセン独特の味わいで、忘れられません。
 
 成人してからもピルゼンには美術系の知人たちとよく行ったものです。今はもう記憶の中にしか存在しない場所ですが。
 
 管理人にとって銀座の街や画廊やビヤホールは、高校の美術室から続くエコールだったといえます。

 美術部の顧問の先生、あの頃は反抗的ですみませんでした。
 どうか長生きして下さいね。
 …っていうか、先日も電車の中でばったりお会いした時の様子からして、そうとう長生きしそうなので、まぁ、特に心配していないんですけど。 

プルート通信内のクリスマス関係の記事は、画面左側のプルートカテゴリーの最下、Christmas†クリスマス!をクリックすると、古い順に読めます。

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祝婚

 ー何があっても自分が帰る場所はこの人のいるところー 

 1さわやかな秋晴れの土曜日。
 六本木で管理人の甥の結婚式がありました。

 二人ともまだ20代半ばですが、現在二人して立ち上げた会社を切り盛りしています。

 東南アジアと日本を行き来して仕事をし、オフの日は家庭生活を大切にし、一緒に旅行や趣味を楽しんでいる様子。

 甥は純真な上に子どもの頃から自主自立の精神がしっかりある子でした。
 対する花嫁も学生時代から仕事を通じて社会への参加を果たしてきた人。
 なのでお互いにビジネスパートナーでもある素敵な伴侶を得て本当に幸せそう。

 花嫁とヴァージンロードを歩いてきた父親から、花嫁を託された時の新郎が、緊張のあまり汗びっしょりで、ロボットのような動きになってしまったり、指輪交換の時に、やはり緊張した花嫁が右手を差出してしまい、神父さんに
「ヒダリ…ヒダリ…!」と言われて、あわてて甥が花嫁の右手から指輪を抜いて左手に嵌めなおしたり……
などというエピソードも初々しくて微笑ましいかぎり。
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 「結婚ばかりが幸せではない」
 「結婚で不幸になることもある」
 「結婚は人生の墓場」
 などといった結婚に対するネガティヴな思想をお持ちの方や、結婚制度そのものに懐疑的な方々もいらっしゃることでしょう。

 でも…精神的にも経済的にも自立した二人がした
 何があっても自分が帰る場所はこの人のいるところ
 という決心は、たぶん揺らぐ事はないのでしょう。

 物心ついた時から自分の心の奥にあった思い。
 「いつの日か愛情を注げる相手を得て、自分も幸せになりたい
 それを実現できる相手との結婚は幸せのひとつのありかたではないでしょうか。

 結婚の決め手は?
 の質問にはこんな答えが。
 ・価値観が似ている、相手の手料理が好き(お互いに)
 ・器が大きい、いっぱい笑わせてくれる、将来が想像できた(新婦より)
 ・家庭的、清潔感がある、笑顔がかわいいーホント誰が見てもきれいで可愛いですー、尊敬できる(新郎より)
 

 新婦は牡羊座、新郎は天秤座。
 2011年の運勢は以下のとおり。

牡羊座:自立することにエネルギーを注いできた人は今年は、互いに必要とし必要とされることの意味を、実体験を通して学びます。
11月以降は、愛する人と同じ目標に向かってともに進む選択をしそうです。

天秤座:自分の弱みだと思っていた部分は実は相手にとって必要な部分だったりして、今年は一気に結婚にたどり着く人もいそうです。

……とのことで、まさに今の二人を言い当てているようでした。


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料理と経験則

 最近、獅子座の同居人がシフォンケーキをいきなり上手に焼けるようになりまして、このところ、何個も焼いては
家族や友人にふるまっております。
Photo

  アルバイト先の東陽町のカフェレストランではケーキ作りもまかされるようになったとか。

Photo↑プレーンシフォン
←アールグレイの茶葉入り紅茶シフォン

 
 同居人同士というのは、誰かが作った料理が不味かろうが、ヤバかろうが、とりあえず処理しなければならない運命にあります。

 なので、同居人の一人がこんなにふわっふわでしっとり軽~いケーキが焼けるようになったということは、感無量です。

 獅子座の同居人の料理は基本的に丁寧でして、パスタやご飯のおかずなどはなかなか上手です。
 しかし、お菓子に関しては…。

 かつて獅子座の同居人が焼いたビクトリアンケーキなるものは、一体何をどうしたのか、小学生が使う油粘土によく似た仕上がりで、食することが適わず、かといって捨てるのはもったいなく(だって高いカルピスバターとか卵とかふんだんに使っていやがったのですから)肥料として土に埋めました。

 蜂の巣ケーキなるものも、「……?」といった仕上がりでして、前向きな蟹座の同居人が
 「お腹がすいている時にレンジであっためて、さめないうちにすぐ食べきればなんとかなる」
 というコメントを発しながら、どーにかこーにか半分ほど処理していたようですが、残りは管理人によってやはり土に埋められるという運命をたどりました。

 これらの失敗により獅子座の同居人は、
 「どうも自分はバターを使う凝った焼き菓子には手を出さない方がいいようである」
 ということを学んだようです。 
 これを経験則といいます。
 
 その昔…。
 管理人のきょうだい(同じ蠍座ですが)のかつての料理も、なかなか食するに困難をきわめたものだったことを思い出します。

 なんとなれば、その手にかかると、高級和牛が水でしめったダンボールのような食感になり(味は完全に抜けていました)、ホワイト餃子は、見事なまでに真っ黒こげに。
 ホワイト餃子が焼きあがるのを楽しみにしていた一同がっかり…shock
 「こいつぁホワイト餃子じゃなくてブラック餃子だぁ
 という、誰かのなかなか冴えたギャグも、この時ばかりは空しく響くばかり…。

 さらにイギリス留学から帰国した年のお正月。
 親戚一同が集まっている中で
 「今日は本場のスコーンを作って皆さんに披露します。英国式本場のスコーン、食べた事ないでしょ?」
 そして…出来上がったのは石のように硬い固~いシロモノ。
 年配の方は噛むのをあきらめたほど。
 「これはスコーンというよりストーンだな。わはは
 と、ボケた叔父さん、ナイスでした…。
 あれは食べ物というよりレンガに近いものでしたよね。

 さらにさらに韓国から帰ってきたある日。
 「今日の夕食は本場の韓国料理を作るから、皆何もしないでいいからね」
 果たして…その日の夕食は、お蕎麦やさんの出前を取ることとあいなったのでした。

 今ではさすがにちゃんとやっているようですが…(´▽`)。

 料理がうまくなるコツというのは

 ●まず身近でシンプルなものを美味しく作れるようになる。
  例えば味噌汁とかオムレツとか豚の生姜焼きとかね。
  (本場英国式やら韓国風はそれらをクリアした後にしましょう)

 ●材料の性質をよく知る。
  (米、肉、野菜、粉、油、卵などそれぞれの食材が、どうすればどうなるかの基礎知識はある程度必要)。

 ●経験をつむ。

 ●美味しいものをたくさん食べ、美味の基準値を知る。

 それから
 ●失敗を恐れない←これ重要!

 「だってぇ、大昔の、ひとの失敗をブログで暴露するような怖~い人がいるんだもん。
 トラウマになっちゃったじゃないかぁ」
 と、恨みがましくボヤく方。

  いちいち何でもかんでもトラウマに仕立てあげるヒマがあったら料理をちゃんと仕上げろ!。
 新鮮な食材がゴミと化すのを見せられ、失敗作を何度も食べさせられたこっちこそトラウマものじゃ。
 だいたい、できないくせに他人に仰々しく披露するその身の程知らずぶりが記憶から抜けないんじゃ!!angry
 ↑
 きょうだい喧嘩は誰も喰わない。が、時として真実をついているものだ←経験則 

 ともあれ、美味しく出来たと思ったら誰かに食べてもらいましょう。まあ、これについては、うまく出来ると誰かに食べさせたくなるわけですよ。
 何であれ相手が喜んでくれるのは嬉しいもの。
 
 管理人が、ものごころがついてから誰かの手作りの料理を
 「こ、これは美味しい!」 
 と、感じたのは小学5年生の時。
 叔母さんの友人宅へ遊びに行ったら、彼女の弟さん(当時大学生でした)がカレーを作ってくれたのでした。
 それは市販のカレールウや水を一切使わずに、彼が調合したスパイスと、野菜や鶏から出た水分だけで出来た本格的オリジナル作品。

 それまで食べたことのない味でした。
 辛かったけれど、止まらなくなっちゃって、2回おかわりをしたら、作者がとても喜んだので、
 「おいしい、と言いながら沢山食べると、料理の上手な人はこんなに喜ぶんだ
 ということを知ったのでした。 
 ,

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宝石の星、水の星

この夏は大銀河のロマンに思いを馳せた夏。1
 2011年6月。
NASAによると、地球から1350光年ほど離れた天体では、ぺリドットの雨が降っている(!)らしいことがわかったそうですね。

ぺリドットはGem of the Sun(太陽の宝石)と呼ばれる 8月の誕生石。または天秤座の守護石。
宝石言葉は「夫婦の愛」。
明るいグリーンの美しい宝石です。


 さらに8月。
豪州などの国際研究チームがダイヤモンドでできた惑星を発見!
こちらは地球から4000光年の彼方。
惑星の直径は地球の約5倍。
それがほぼダイヤモンド…。 

ダイヤモンドは4月の誕生石。または獅子座の守護石。
宝石言葉は「永遠の絆・純潔・不滅・勝利」など。

なんとまあ…壮大でゴージャスで、夢の中の夢のように途方もない宇宙の現実。
ーBGMは、作詞:岩谷 時子・作曲:内藤 法美の「イカルスの星」ー


2 宝石の惑星に対して地球は水の惑星ですね。
特に日本にいると、なんと水の豊富な星であることだ…と実感します。

 写真はこの夏、獅子座の同居人がゼミの取材で行った沖縄の伊是名島で写したもの。
東シナ海の浜辺で拾ったのは珊瑚です。

 冒頭の一枚は、自家製のパンやスープを供するカフェの店内だとか。
 窓の外には亜熱帯の森が見えます。
 映画「青いパパイヤの香り」のような東南アジアっぽい雰囲気満点です。
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 木に登っているのは、鮮やかなグリーンのヤンバルの蜥蜴さん。
 ぺリドットのグリーンも美しいですが、樹木と蜥蜴のグリーンの美しさもなかなかのもの。 

 水のもたらす地球の生命活動。
 
 考えてみれば水を湛えた青く輝く地球は、ダイヤモンドで出来た星やぺリドットの降る星と同じくらい奇跡的です。

 もちろん、青い地球と銀白色の月とのペアもかなり素敵です。

 人類にとっての地球上のこの安定した環境は、月の存在によるところが大きいそうですね。
 月がなければ地球はおよそ人類が生息するには厳しすぎる環境になると聞いたことがあります。

 古来より私たちが月を愛でてきたのも、単に大きくて美しい星だなあ…ということでだけではなく、自分達の存在自体が月のお陰であることを、DNAレベルで知っているからかも知れません。

 奇跡のようなバランスは、見た目の美しさにも現われる…?
 
 

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映画・ノルウェイの森

 2011年2月の公開最終日に滑り込みで観てまいりました。
 3・11の震災などの影響…は、ほとんど関係ないのですが、今頃、映画評を書いています。ははは。
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 映画・ノルウェイの森のパンフレット→
 プルート通信内の関連記事ノルウェイの森のこともご参照下さい。

 ●緑役の水原希子ちゃんは、トラン監督の奥さんの若い頃にそっくり!母性を感じさせる弥勒菩薩顔。
 
 監督の奥さんとは、彼の作品には欠かせないアーティストのイェンケ・リュゲルヌです。
 青いパパイヤの香り夏至などでヒロイン役をやっていた人ですね。

 女性の好みが一貫しているところが一徹な山羊座のトラン監督らしいなぁと感じ入りました。
  
 ●日本人監督なら(たぶん)69年当時の雰囲気を作品に盛り込むにあたり、当時の風物…たとえば都電とか、街や路地などの様子を再現したくなるんじゃないか…と感じるのですが、この映画にはそういったものはありません。
 あくまで外国人の想像上の過去の日本なのです。
 なので、作品世界が、確かに過去の日本なんだろうけれど、実際の69年というよりはパラレルワールドの過去の日本といったような不思議な感じでした。

 なんといいましょうか、「此処ではない何処か」を描いたファンタジー作品のような…。

 「ノルウェイの森」の映画化に関しては、これはもうよく村上春樹からOKをもらえたことだ!のひとことでして、そういった意味合いで、私はトラン監督は「よくやった」のではないかと感じます。
 
 もっとずっと後の世代に、それこそ原作者亡き後とか、この作品が古典的なポジショニングを得るであろう頃とかに、映画化する日本人が出るかも知れませんが。

 作品世界の芸術性に関しては、私は好きです。
「青いパパイヤ~」や「夏至」などのトラン作品同様、どの場面を切り取っても、細部まで監督の芸術的神経がいきわたったみごとな絵になっていました。

 さて…映画ではなく原作に関して。
 
 これは、「死」という絶対的で敵わない相手に囚われてしまった儚げな直子姫を、なんとか生きた世界に連れ戻そうと奮闘するも、敢え無く敗れ、自身も深い傷を負う騎士ワタナベの物語。

 この作品の個人的な感想は、観念的な何か(この作品の場合は死)に囚われ過ぎてしまった頑固者はどうにも出来ないものであるなぁということでした(最初に読んだ20年以上前も、今も)。

  およそ、自然は人間がコントロールできるものではありません。
 いくら文明を発達させても、台風や地震や火山の噴火などの自然現象そのものを防ぐことは不可能です。
 死も同様です。

 ・どうせ死ぬのだから、漫然とその時を待つのではなく、死に方と死ぬ時期を自分で選び取りたい派。

 ・いづれ死ぬのだが、それまでは何らかの代償を払いつつ、とにもかくにも生きてゆく派。
 もしこういった派閥あるがあるとしたら、管理人は後者です。

 死とは、絶対的で理不尽です。
 死んで楽になりたいくらい辛い、と感じても望みどおり死ねるものでもないし、また、どんなに生きたくても、無念にもその生をもぎ取られてしまうこともある。
 死はコントロール出来ません。
  
 死んだ瞬間には自分の意識はすでにないので、私たちは死そのものを体験したり味わったり堪能したりも出来ません

 死んだ後の事も、遺された人たちのことも、死んでしまった身にはあずかり知らぬこと。
 死がイベントになりうるのは、あくまでも死んだ本人ではなく生きている人たちにとってのことなのです。
 
 これはとどのつまり私にとって私の死は存在しないということではないか。
 管理人流メメエントモリの結論はこのように整いました。
  
 自分の死とは観念以外の何ものでもありません。
 観念に囚われすぎて現実生活がうまくいかなくなってしまう、というのは…受身すぎるかヒマすぎるかのどちらかではないか、と。
 小人閑居して不善をなす(個人的経験上)。

   井戸に落っこちるのはしょうがないとして、そこからいかに這い上がったか、という話なら好きなのですが。
  
 そんな感覚なものですから、死の妄想とか死ぬことに囚われてしまった人の話には…やはりどうにも心が惹かれないのです。 

   

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ラー油もち、塩豚もち

小麦粉の美味しさが味わえる中華風のおやつ(おつまみ)です。小麦の練り粉は手触りがよくて、こねたり、のしたりもとても楽しいですよね。
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★ラー油餅
Photo_3薄力粉2カップ、塩ひとつまみをボウルに入れ、水カップ半分強を注いでこねます。
粉と水がなじんだら丸くまとめてラップをかけて20~30分ねかせます。

※強力粉があれば、それを半量弱入れてもいいのですが、薄力粉だけで十分おいしいです。

Photo_8Photo_5打ち粉をしながら麺棒で薄く伸ばし、一面に食べるラー油をのばして端からくるくると巻いて棒状にします。
端はまとめるようにしますが、多少ラー油がはみ出ても気にしなくてOK。

Photo_7これを丸く渦巻き状に再度巻き、さらに麺棒で軽くのしてフライパンで両面にこんがりした焼き色をつけ、水を注いで蒸し焼きにします(餃子の要領で)。
焼きあがったら、ピザのように放射状に切れ目を入れ、熱いうちに酢醤油で食べます。
パリパリに焼けた皮と、もっちりした粉の味が素朴でたいへん美味しい。

★塩豚餅

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1~1.5cmに厚切りにした塩豚と葱を生地で包んで閉じ、同じように焼きます。
ボリューム満点ですよ。
ハンバーガーのように丸ごとかぶりついて下さい!
柔らかい塩豚とモチモチの皮、ネギの風味が美味です。

つけるタレは酢醤油でもいいですし、即席甘味噌八丁味噌蜂蜜胡麻油少々をよく混ぜるだけ)を作ってつけると、北京風の餅(ピン)みたい。

塩豚の作り方はこちらを参照
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金色の登頂ウーロン茶やビールでどうぞ。

作るのを見ている人は、たいてい「やりたい!」と言いますので一緒にやりましょう。

中身は、マッシュポテトとバターとめんたいこや、刻んだネギとハムなどもとても美味しいですよ。

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ラ・メール,コキィユ,ピエル

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 春から初夏、あるいは秋のオフシーズンに訪れる、隠れ家のような海辺のプチホテルがあります。    
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フロントに荷物を預けたら、裸足で目の前の浜に出ます。

●日の光を吸った温かいサラサラの砂の上を歩く。
●海水を含んだ砂に足跡をつける。
●足元の砂が波にさらわれる感覚を味わう。
ラムネの瓶の色をした波と戯れる。
細かい泡が足をくすぐる感覚を楽しむ。
潮風を思い切り吸い込む。
●貝殻や綺麗な石を拾う。
砂の城を造る。
●拾った棒切れで砂に模様や文字を描く。
●波打ち際で側転をする。
●寄せては砕けて返す波をただ見つめる。
●砂の上に出来た風紋を鑑賞する。
●「波が引いた後の鏡のような砂浜に映る空や雲や太陽を脳裏に刻む。
に遊んでもらう。
……まったく飽きる事がありません。
 
 漁港や堤防の上を歩いてみるのも楽しい。
 お腹がすいたら、近くのお寿司屋さんに入りましょうか。
 新鮮な魚介のにぎりをほお張り、焼き物や天麩羅に舌鼓。
 こうなったらビールでも地酒でも(笑)。

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 雲間から日がさして、海の上に降り注ぐ様子は、神の祝福のよう
 このまま雨が降らなければ、明日の朝食はバスケットに詰めて、テラスの赤いパラソルの下で頂くことが出来そうです。
 その後はスケッチブックを持って絵を描きに行きましょうか。
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  チェックイン後は部屋でゆっくりお茶を飲んでからホテルの中を散策します。
 ライブラリーにある写真集をながめたり、誰かに手紙を書くのもいいですね。
 メールじゃなくて手紙です。
  
 大浴場では手足をぐぅ~んと伸ばしてお湯に漬かりましょう。

 そうこうするうちに夜の帳が降りてきて、窓の外のテラスにはが焚かれます。

 は四大元素…それらを結合させるのは…なぁ~んて事を思っていると、お腹がぐぅぐぅぐぅ~!っと鳴って食事を催促してきました(昼時あんだけ食べたのに)。

 レストランでは、地元の食材を使ったシェフ自慢の料理が待っています。
 すんなり眠るために食後のお茶はいつもハーブティです。薫り高い珈琲は明朝のお楽しみにとっておきましょう。
 
 夕食後は外へちょっと散歩に出てみましょうか。
 よろず屋さんに入ってみると、86歳のおばあさんがお店番をしていました。
 きれいな肌をした、驚くほど若く美しいその方は、もと海女さん。
 昔、海女さんをやっていらした頃の写真を見せて頂きました。
 そこに写っている海女さんたちのかっこいいことといったらありません!
 驚くべき身体機能を生かした職能もさることながら、眩しいような肢体の健康美は日本のヴィーナスといった感じです。
 「孫は甲子園に出たんですよ」
 と嬉しそう。

 夜の波の音ってどうしてあんなに癒されるのでしょうか。
 ベッドの中で波の音を聞いていると、思いが遥か太古の昔に戻っていくようです。

 遠くで汽笛が鳴っています。

 翌朝、早朝のお風呂から戻ってきた同行者が言いました。
 「足の甲にあった湿疹が治っちゃった…。昨日海に足を浸して遊んでいたせいかな!
 
  海のお土産は、拾った貝殻と石。

 貝殻って自然の造形美の極致といっても過言ではないかも知れません。
 建築物や身の回りの実用品、ある時代の様式美の中には貝殻をモデルにしたものもありますよね。

 本当に…どうしてこんなに美しいものが造られるのか不思議です。
 自然という造物主はすごいですね。
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 波が丸く削った石には油性のマジックペンで絵を描きましょう。
 ペーパーウェイトとして、机上のアクセサリーとして側に置いておきます。

 遠い海からやってきた可愛い子たちです。
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 昨年の春に見つけたのは、小さな丸い穴がいくつも開いた石。
 一体誰がどうやって…?

 どうやら、石の表面の凹部分に、砂粒や小さな貝殻の欠片が乗っかり、長い時間の末、波によって穴が開いていったらしいのですが…やっぱりとっても不思議です。
 
 海は饒舌で、治癒者で、芸術家。
 その差し出すものは限りなく豊かです


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蛙の王

女性の愛を獲得する前の男性はほとんどカエルのようなものであるByプルート通信管理人 

グリム童話の蛙の王(別名”鉄のハインリヒ”)というお話です。
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 LE PRINCE GRENOUILLE Illustrated by Binette Schroeder 
 ある国に綺麗な姫がおりました。
 姫はお気に入りの金の鞠を持って森に行き、そこで一人で遊ぶのが好きでした。

 その日も姫は金の鞠を持って森に遊びに行きました。
 ところが大切なその鞠を泉(湧き水あるいは井戸)に落としてしまいます。

 鞠を失った姫が泉のほとりで泣いていると、泉の中から醜い蛙が出てきてこう言いました。
 「金の鞠を拾ってきてあげる。そのかわり私の望みを聴いて欲しい」
 姫はこれを承諾します

 蛙は泉の底深く潜って金の鞠を取ってきて姫に渡しました。
 ところが鞠を手にした姫は、蛙との約束を反故にして走ってお城へ帰ってしまいました。

 次の日。
 お城で王様と姫が晩餐を囲んでいると、家来がこう告げました。
 「扉の外にお姫様のお友達がいらして中に入れて欲しいと言っています」
  扉を開けてみると昨日、鞠を拾ってくれた蛙がそこにいました。 

  「昨日のお礼が欲しいのね。宝石でもガウンでも金の冠でも、欲しいものは何でもあげるわ」 
  と言う姫に対し蛙は

 「そんなものは欲しくない。昨日あなたは私を特別な友人として大切にしてくれるという約束をした。いつも側におき、あなたと同じグラスから飲み、同じ皿から食べ、同じベッドで眠る約束を」

 姫は、人間と蛙が愛し合って一緒に暮らすなんて出来るわけない、と思っていたので、昨日、蛙からその望みを聴いた時も、ばかばかしく思い、はなから相手にする気がなかったのです。

 ところがこれを聞いた王様は姫に厳しく言い放ちました。
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たとえ蛙でも、恩のある相手との約束は守らねばならない!

 蛙は姫の膝の上からテーブルに飛び移ると、姫の金のお皿からぴちゃぴちゃと下品な音を立ててスープを飲み、他の料理も姫のお皿から食べました。
 
 満腹になった蛙は今度は
 「お姫様のベッドで一緒に眠りたい」と言い出しました。
 姫は蛙を嫌々自分の部屋へ連れて行きますが、ついに怒り心頭に発し、蛙をつまみあげ、壁に思い切り叩きつけました。

 が、次の瞬間、姫が目にしたのは、潰れた蛙ではなく、美しい目をした優しそうな若者でした。
 
 実は蛙は、魔女に呪いをかけられて、蛙にされ泉に閉じ込められていたある国の王子でした。
 お姫さまに叩き潰されることだけが王子にかけられた魔女の呪いを解くただ一つの方法だったのです。

 姫は約束どおり彼を大切にし、二人はめでたく結ばれました。
 
 ★管理人による物語の解釈★いきます。
 
 叩き潰された蛙が王子さまに…!?
 いいえ、実は蛙は最初から人間の男性だったんです。

 思春期の頃の若い男性って、手足ばかりが伸び、筋肉もゴツゴツし始め、変声期で声は蛙みたいにヘン。
 おまけに汗臭くて、顔には吹き出物が出来たりするし、精神的にはモヤモヤするし…感受性の強い男子などは、もう、まるで自分が醜い怪物にでもなったみたいな気がしてしまいます(よね?)。
 
 そこに母親(おとぎ話の魔女というのはたいていは不幸な母親のことです)という存在がさらに追い討ちをかけてきます。

 不幸な母親は、幼く無垢な息子に対して
 「この世はロクでもないんだよ。信じられる他人などいないかもね。幸福なんて望むのはおこがましいよ」
 ということを、言葉というよりその生き方によって、長年にわたり洗脳し続けます。

 その毒気によって、彼はまるで呪いをかけられたように萎縮し、外界に出てゆくことが出来ずに、井戸の中(自分の内なる世界)に逃避したり、引きこもったりしたくなってしまうのです。

 彼は夢想します。
 もし、気高く綺麗なおねえさんが自分を受け入れてくれたら…時に優しく、時に厳しく叱責しつつも、心身ともにずっと寄り添ってくれるなら、 自分はまた新たな生を与えられる
 そうでなければ、一生この狭い井戸から出るまい…。
 そんな感じで絶望と希望の狭間を行きつ戻りつ月日を過ごします。

 そんなある日、まさに理想的な乙女が目の前に現われたわけです。
 彼はなりふりかまわず必死で求愛します。
 ずうずうしく感じられるのは彼が一か八かの大勝負に出たから。
 ふられたら恐ろしい孤独と虚無感が待ち受けているでしょう。
 でも、何もしなくても、どの道この暗い井戸から出てゆけそうにありません。

 一方、女の子は思春期頃からどんどん女性らしく綺麗になっていきます。

 特に親の庇護のもとで不自由なく育った美しい女の子というのは、自己矛盾やら自己嫌悪やら激しい情動などとは基本的に無縁で、自己愛を育んでゆきます。
 自分と自分の世界以外にあまり触れる機会もなく、他者に対する想像力が欠けていたりします。

 とはいえ、この自己愛が後に男性や子ども、あるいは世界へと注がれる愛情の元となるので、女の子の場合、これは健全な自己愛といえましょう。

 この時期の女の子からすれば男の子はほとんど蛙みたいなものかも知れません。
 食事はガツガツ食べているだけでマナーとかなっていないように見えるし、洗練もされていない。
 本能に突き動かされて生きている様子は野蛮にしか映らない(でも、このプリミティヴさは、男性的生命力の表れでもあるのですけどね。)

 でもって、ガラガラ(ゲコゲコ)声でなんか幼稚な事を言っているけど、まともに聞いちゃいらんないって感じ?
 蛙のくせに「親密になりたい」なんて、意味わかんない…とかなんとか。
 
 とはいえ女の子も、親に庇護された少女の世界からいつかは出て、誰かと一緒に自分自身の人生を創っていかねばなりません。いつまでも、穢れない世界の住人ではいられないのです(どうしてもイヤなら尼寺へどうぞ)。

 姫を、少女から大人の女性へと目覚めさせるきっかけになったのが、強い怒りという情動だったというのが、この物語の秀逸なところだと思います。
 
 汚れを知らない夢見る少女が、ある日、陥った危機的状況。
 彼女は初めて怒りのエネルギーを爆発させます。
 それは殺意をも孕む狂気の沙汰。
 蛙を叩き潰す行為は実は姫自身の殻を打ち破る行為でもあったのです。

 この通過儀礼がないと、魅力的な大人の女性への成長や強い母性の獲得はむつかしいのかも知れませんね。

 実際、幼稚な精神状態なままの女性、芯の弱い女性、隷属的で自分の意志がまるでない女性、自尊心の低い女性は、異性や子どもを愛し抜くとか守り抜くという強さがありません。

 一緒にいる相手をうんざりさせ、子どもに呪いをかけたりします。
 ひどい場合はDVの餌食になったり、子どもを放置・虐待などしてしまうケースにつながることも。

  さて、このショッキングなイニシエーションの後、彼女は初めて世界を、異性を、そして自身の女性性を直視できるようになります。

 そして、それは蛙の王子にとっても同じこと。
 お姫さまに、いじけて醜く引きこもっていたネガティヴな自分を、思い切り叩き潰してもらったお陰で、ようやく大人の男性としての新しい自分を獲得できたのです。
 ひ弱な姫では、魔女の強力な呪いは解くことが出来ないのです。

 父親である王様が、可愛いはずの娘に対して、やけに厳しいのも納得がいきます。
 実は王様もかつて若い頃、蛙のようにみじめな孤独を味わったのかも知れません(お妃さまがそれをぶちのめして救ってくれたのでしょうか…)。
 また、手塩にかけた可愛い娘だからこそ、スポイルせずに突き放すことが最終的には娘の幸福につながるという親心から出た厳しさだったのかも知れません。
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 この物語は別名「鉄のハインリヒ」ともいいます。
 最後のおちはこうです。
 
 若い二人が結ばれたよく朝。
 金色に輝く八頭立ての立派な馬車が二人を迎えに来ます。
 馬車にはハインリヒという王子の忠実なしもべが乗っていました。
 ハインリヒは、王子が蛙にされて井戸に沈んだ時、悲しみのあまり胸がはりさけてしまわないように、胸に3本の鉄の輪をきつくはめました。
 その輪が今や、幸せと嬉しさのあまりに膨らんだハインリヒの胸から大きな音を立てて弾け飛んだのでした。

 ハインリヒは王子の心の擬人化である。
 管理人的にはそう思います。


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クリエイター・クリーチャー

 学生時代の友人から「銀座で個展を開きます」というお知らせが来ました。

 よく晴れた土曜の昼下がりに、別の友人と誘い合わせて行ってまいりました。
 管理人の知人には芸術系が一定数おりまして、中には定期的に個展を開く人々もおります。
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 銀座では毎日どこかの画廊で個展やグループ展が開かれていますね。
 画廊めぐりがお好きな方もいらっしゃることでしょう。

 今回の知人の作品は油彩画で、ポロックに代表されるアクションペインティング系

 う~ん、だからさぁ…そういう事言われても、わっかんないんだよねぇ。もう、芸術って近寄りがたいんだもんなぁ、と思う方もいますよね。

 中には芸術論の好きな作家もいて(この日の管理人をのぞく他の二人もそう)、あーだ、こーだと何やら論議を吹っかけ始めたりしますが、はっきり言いまして、芸術を鑑賞するのに小難しい議論は不要です。

 「これって丸美屋ののりたまみたい」
でいいんですよ。
 
 そう言われたからって怒る作家はいません。
  彼らは自分の作品に対する鑑賞者の感想は素直に受け入れ、嬉しそうに聞いています(他のことはともかく)。

 たとえエレベータを降りる階数を間違えて、たまたま寄ってしまっただけであったとしても、観に来てくれた方には感謝の念を持っているのが作家というものです。 

 もし、道を歩いていて画廊があったら、その時あなたが少しでも興味を持ったなら、気軽に覘いてみてはいかがでしょう。

 もしかしたら非日常の出会いがあるかも知れません。
  作家は歓迎してくれますし、中にはお茶やお菓子を振舞ってくれる場合も。

 絵の見方にたいそうな流儀などありません。

 ある作品を前にした時、自分の中にあるもの、意識、あるいは無意識の中にある何かしらが反応すればそれでいいのです。
 全く反応しなかったら?
 勿論、それはそれでいいのです。その作品と鑑賞者の縁はそういうものだった、というだけです。

 ともあれ、友人たちの芸術論を聞きながらそこにいると、時間が過去にタイムスリップしたかのような感覚を覚えました。
 いったん画廊を出て近くのビヤホールでランチを食べ、また画廊にもどってしゃべり続けましたが、まるでアトリエと学食を行ったり来たりしていた学生時代の日常に戻ったかのようでした。

 大学の、正面大ギャラリーの静謐な空間にそびえ立つ実物大のサモトラケのニケ像を見た時は、圧倒されて皮膚があわ立つような感覚を憶えたもの。
 あなたたちもそう言っていましたね。 
 ミッシェル・ポルナレフをたどたどしいフランス語でハモった時も、アトリエでしょぼいクリスマスパーティを開いた時も一緒だったのにね。ふふっ…。
 
 今や降り積もった年月の分だけ、生活も仕事も人間関係も全く交わることのない私たちですが、かつては、同じ枝から出た芽のように、同じ場所で生きていたのです。
 
 「E子さんはスエーデンの人と結婚して向こうにいるよ。名字が難しくて読めないし、名簿を作るにも英語のアルファベットにない文字があって当時は入力も一苦労だったよ」
 それは初耳。

 「大学の前にあったキャンディって喫茶店、まだやっているんだよ」
 ああ…キャンディとアスペンにはよく入り浸っていましたっけ。
 おしぼりが出ると、それで全身を拭く男子学生がいたり(笑)。

 「石膏デッサン赤い飛沫事件って憶えてる?」
 「え、何それ?ぜんぜん知らない」
 「何で。同じアトリエで一緒に描いていたじゃない」
 「……」

 「そういえば■■君が△△ちゃんを好きでさぁ」
 「■■君って?」
 「組長だよ」
 「外人っぽい顔だった?」
 「いや、ぜんぜん違う。角ばった和風顔」
 「……」

 「じゃさ、◎◎君は憶えてる?」
 「いつも紙袋を持って移動していた?」
 「それはオレでしょ」

 まあ、その…当時の記憶って人によってまちまちなのもですね。
 
 写真は知人の個展とは何の関係もありません。
 管理人の家に生息している植物の「テルノさん」です。
 すらりとしたなかなかの美人さん。
 家に来た当時、熱烈歓迎のあまり過保護にしてしまったら一回死にかけました。
 別の場所で放ったらかしたらみごとに復活しました。
 ケータイで撮っただけの写真をちょっとアートっぽく処理してみました( ´艸`)。
 
 

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粉砂糖のプレ・バレンタインデー

211 
 2011年は、バレンタイン・デーの前日までの11日、12日、13日が三連休。

 しかも…連休初日からになりました。

 粉砂糖をふりかけたような屋根や街路樹。

 街が砂糖菓子で出来ているかのようになり、なかなかロマンチックです。

 若い恋人たちにとっては、寒さも雪もかえって相手への恋しさを募らせるのかも知れませんね。

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 管理人はこんな日は冬籠もりを決め込みました。

 珈琲を淹れ、バレンタイン用のチョコレートの箱の蓋をあけると…なんとも繊細な意匠が凝らされたチョコは、食べるにはもったいないようなビジュアルです。

 「祝い菓子」という感じがして気持ちが高ぶります。

 ああ…普通の安い板チョコで十分なのにこんな可愛いく美しいものを食べてしまうなんて、どうも、どうもスミマセン…!。

 さてバレンタイン・デーです。
 古代ローマ帝国時代、2月14日は、ローマ神話の女神ユノー の祝日でした。
 ユノーはJuno・英語ではジュノー、フランス語ではJunon・ジュノン。
 ギリシャ神話のへーラーと同一神です。

 ユノーは最高神ユーピテル(Jupiter・英語ではジュピター)の妻。
最高位に位置する女神で、結婚や家庭生活における女性の守護神です。
 
 この女神の祝日がなぜ、キリスト教の祝日になったか…は割愛いたします。
 例によって、世界中の冬至祭を「クリスマス」というキリスト教の祝祭に取り込んでいったのと同じような経緯とでもいいましょうか。
 
 管理人的には、結婚の守護神ユノーの祝日に、愛する相手をねぎらう、想う、あるいは会いに行く(別にチョコ持参であってもなくても)…という方が分かりやすくて好きですけど。

 雪の降る寒い休日に愛する人や友人と会えたら…暖かい部屋で料理を作って、身も心も温まる、というは素敵な過ごし方ですよね。
 家庭の女神様の祝日らしく。

 もしも、雪が積って都市機能がマヒして、帰れなくなったら…。
そのまま部屋で遭難していてもいいではありませんか。
 三連休だし…。

 そして…現在2月14日 22:35p.m.
 夕刻からの雨は夜ふけ過ぎに雪へと変わりました。
 
Photo
 静かで幻想的な一面の銀世界は、思いがけない天からの贈り物。
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 2011年、首都圏はその日の最後にホワイトバレンタインデーとなりました。

 世界中の恋する皆さま、愛する人のいる皆さま、どうぞよい夢を…。

 Bonne nuit.
 Goog night and 
 dream your sweet dreams….

 
 

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焼きレンコン・ちからラーメン

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 お正月のご馳走に飽きたら、シンプルなものが食べたくなります。

 焼きレンコンレンコンを、5~7mmの厚さに切って皮を剥き、両面に胡麻油をぬって、焼き魚用のグリルで表面にこんがりとした焼き色が付くまで焼きます。

 を振って食べますが、レンコンの味が濃縮されているので、そのままでも美味です。
 サクサクとした歯ざわり
 根菜の滋養が体しみ入るような味です。
 蛇足ですが、ビール進みます。

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 我が日本のインスタントラーメンで作るちからラーメンも、しみじみ美味しいです。

 この日はたまたま、三つ葉お餅などのお雑煮の材料があったので、それらを入れましたが、材料はお好みで。
 鶏はフライパンでガーリックソテーにしました。
 油を使わず、皮面を下にして焼きます。鶏から出る脂だけでちゃんと仕上がります。

 管理人は、インスタントラーメンは塩味や味噌味も好きですが、この場合はやはり醤油味ですかね。
 油揚げでない麺とすっきりした醤油スープ。
 昔、子どもの頃に食べた中華そば(祖母などは「支那ソバ」と呼んでいた)を彷彿とさせる味のラーメンを使いました。

 しかし…
美味しくて安い日本のインスタントラーメンは偉い!
 焼いただけでこんなに美味なレンコンも偉い!


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